両親の介護の為、横浜から広島まで新幹線で通っていました
わたしのお店が日曜日と月曜日が連休なので、大抵は日曜日の朝から出て火曜日の夕方には横浜に戻るという生活でした
火曜日の夜にはお店を開けなくてはいけないからです
仕事が夜で、寝るのは昼間という習慣だったのに体内時計が狂ってしまったせいか
介護に通う内、昼も夜も眠れなくなりました
それがうつ病の始まりでした
どんどん疲れは溜まって来るし、お店も開けなくてはならず、介護にも通わないとならずで二進も三進もゆかなくなって来ました
ケアマネジャーやヘルパーさんには当然お願いしていましたが離れていて様子が分らない分、心が休まる時がありませんでした
寝れなくなって半年程して内科に行ってみました
そこで軽い眠剤を処方され飲んで寝ていました
その時だけは眠れたのですが。
回想すれば、その頃はまだまだましな方で、やがては身体が鉛のように重くて動けなくなってしまい気分も下降気味で何も出来ない状態に陥りました
とうとう3ヶ月間寝込んだのです
幸か不幸か、丁度コロナ禍だったので思い切ってお店を閉め、休養しつつ出来る範囲で両親の元には通ってました
給付金を貰ってもお店は赤字でしたが、後々になって思えば英断でした
介護うつ
それはそれは辛いものでした
好きだった事や興味のあった事さえも無関心になり、何もしたくない
しても楽しく感じない
これは大変な事になったと思い、次に評判の良い
心療内科へ行く事にしたのです
心療内科の診断では、
適応障害の抑うつ状態と不眠と言われ、その日から投薬治療が始まりました
先生からは
■長い目で見て焦らない事
■無理をせず休養に充てる事
■規則正しい生活をする事
…等々注意を受けました
だが、しかし
お店の方は良いとしても両親の介護は待ってはくれません
泣きたくなる思いで、どうしたら良いものか
うつ病になると咄嗟の判断が鈍るのです
今まで出来ていた簡単な事さえ出来なくなるのです
そうして3ヶ月間が過ぎる頃、漸くほんの少しずつ動けるようになりお店も開ける事が出来ました
まだ寛解ではありません
何とか動けるという程度です
併せて両親の元へも通い続けました
そんな折にサービス付き高齢者向け住宅へ入所の段取りや、特別養護老人ホームへの転居。
多岐に渡る手続き等したのでした
そして現在に至りますが、
今も心療内科に通って治療を続けています
今は随分回復しました
我が家は高血圧の家系でして、わたしもこの所血圧の薬を飲むようになりました
先月のお薬です
もうじきGWに突入するのでそれまでに病院に行く予定でいます
何事にも
定められた
『時』がある
全てのコトには
時がある
黙るに時があり
泣くのに時があり
笑うに時がある
わたしもその『時』を待とう
いつか寛解して薬を手放す日が来る時を。。。
明日は朝から予定通り、特別養護老人ホームにいる要介護5の両親へ会いに行って来ます