都会は女一人が
歩いていても何故かサマになり
居心地のいい無関心さがある



すれ違う人は
どの人も見知らぬ他人で
風を切るようにして歩いていて。

誰もが確実に胸にドラマを
しまい込み、
健気な笑顔かポーカーフェイスで上手に隠して闊歩してる




誰の人生にも
間違いはあるのに、
さも何事もなかったかのように。







本当は、
『もういい!』と、
何もかも投げ出したい時もあるはず。

投げ出せば
この哀しみや苦しみから
逃げ出せるのかも知れないと思う時もあるはず。




それでも投げ出せないで
悶々とした日々の中で、
平然とした顔して過ごすのは
何故だろう






こんな時、
わたしは暗澹として暮らすよりは、諦観するのもひとつの手段。


この世には
何かを捨てる事で手に入れるものが沢山ある




澄み渡る麗らかな時の流れに
生きている喜びを
重ね合わせて時を刻んでゆきたいと思う

わたしなりに。







人はみなある程度のところで
多少の諦めを繰り返しながら
幾星霜を重ねて他生へと繋がってゆくんじゃないのかな














人はみな苦しんだ量だけ
強くなれる
日の当たるところも
当たらぬところも。。。