(旧)皐月二十八日
世の闇の蠢くモノに巻かれ死す
安積の皇子の眠る茶畑
雲端
元「道の駅茶処和束」のローソンから道を挟んだ所に
小高い丘が見える。中腹の斜面は茶畑だが、頭頂部には
木が生い茂り古墳のようなたたずまい。これが安積皇子の墓。
安積皇子は、聖武天皇の第2皇子で光明皇后との間に生まれた
基皇子の早世によって有力な皇位継承者であった。
時に天平16(744)年閏1月11日、難波宮に向かっていたが
病気となり恭仁京へと引き返した。その2日後に絶命。
簡単なことだ。時の権力者、藤原仲麻呂による毒殺である。
安積皇子の母は県犬養広刀自で藤原腹でないのが理由だろう。
藤原鎌足から始まる藤原氏とはこういう氏族である。
後の早良親王しかり、菅原道真しかり。。。