☆ わたしの英雄 " 野口英世博士 " ☆ | ☆魅力のRoyalカラーをアナタへ☆

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一柳忍 オフィシャルブログ

一丸

2月29日は、ニューヨークで仕事。夜間飛行で朝 ... ケネディー国際空港
に着きレンタカーで真直ぐ野口英世博士が眠る
ウッドローン墓地(ブロンクス地区)に真っしぐら。
( 車で北西に約一時間程。ヤンキー球場から10分程北上。)
 
野口博士
に大切な質問があり博士を訪れる事にした。
( 何故なら博士は、細菌学の歴史においては最上の権威者である )
 
ズバリ日本国の
『 有事 』
問題です。
 
博士は、当時の最先端技術の顕微鏡で次々に細菌を発見
したが、その黄熱病(ウイルス)の原因が発見できず
その黄熱病が致命傷で死去。
 
名言を残して死す ...
どうも私には分からない
 
ウイルス(黄熱病)は、電子顕微鏡の倍率で漸く発見できた
媒体であった。
(電子顕微鏡は、博士が黄熱病で亡くなられた3年後開発された)
 

野口英世博士碑石

おにぎり・麦酒・カップラーメンをお供え、博士に挨拶。
( ラーメン1ケは博士に、1ケは私に ... 朝食を共にした )
 
 
奥様・メリーさんに些細ながら海苔抜きのおにぎり・みかん・林檎で
ご挨拶。
 
生前の父・母(現役)と共に 9月21日1995年
 
今、現在の結果で日本の2021年以降が天国になるか地獄を
見るかが決まる。オリンピックを計算に入れた増税の
成功・投資・経済効果がもし裏目に出れば
地獄を見るのかもしれない !?
 
首相・国会(全党)・全国民(一億人)が
『 一丸  
を信じ5月半ばまで頑張って貰いたいものです。
 
全世界に日本人の何が出来るかの歴史的
『 先例 
を是非、成し遂げ ... 紹介しようでないでしょうか。
 
 
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2月29日の夜は、自由の女神像を眺めながらパーティー。
( 正に、正面に立ち眼を見ながら話すとはこの事です )
 
パーティーをしながら、『 自由の女神像 』に問いかけてみた。
 
自由とは ... 世界の平和とは???
 

皮肉にも、この"殺人ウィルス"のお陰で、人類(世界)が命の大切さを

再認識し一体に成ろうとしている。

 

 
 
リバティーウェアハウス・レストラントは、ニューヨーク全地域で唯一、
自由の女神がフランス国に向って正面を向いている場所です。
( 真正面に位置するレストランです。初めて知りました。)
 
The Liberty Warehouse is the only location in all of New York where 
the Statue of Liberty is face front as she looks on to France.
 
 
たまーに、高級パーティーで見る ... ちらし寿司のオートブル
ファショナブルな日本のメニュー文化です。
 
DJの " DJ Kristaval "さん
 
世界のトップ100人に選出されるニューヨーク超美形DJ ビックリマーク
!! 久々の再会 !!
 
 

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朝、野口英世博士にお会いでき夜は

自由の女神像にお会いできた ... これからも又頑張ろう。

 

!!  元気を取り戻そう『日本』!!

 

 

忍耐は苦し、されどその実は甘し 
〜〜〜 野口博士語録 〜〜〜 
(私の生涯の宝のお言葉です)
 
 
 
 
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PS

 

3月4日の追加文 ... この追加文は、全く個人的な経験です。

どの様に野口博士の事を良く知れたかを書きます。

 

興味のある方だけ読んで頂ければ幸いです。

 

1975年の秋、暖炉の温もりとその炎の優しい光を交えての夜の話です。

(ターザナ地区、ロサンゼルスにて)

 

192cmのスレンダーな紳士のアール・ラーソン博士(92歳当時)と

164cmのチビな私(23才)の会話です。

 

アール博士とは初対面で、先ずは私の自己紹介をし、そして博士も博士の

生き様を語ってくれた。実は、博士は私が結婚したアメリカ人の妻の

お爺様でした(後離婚)。

 

お爺様は、やはり孫娘の事が可愛く ... 彼女と私達の未来を

案じて下さったのでしょう。

 

 セレンディピティ 

 

暖炉の火を交えアメリカらしい空間の中、ある会話で話が多いに盛り

上がった。私と博士が心良いトーンの中で静かに会話が始まった。

 

博士の『私は日本人が大好きですよ』と ... その一言で私の緊張感が解れ、

心の中で190cmも超えよう程の長身の博士に、何かまだまだ偏見の

残るアメリカにおいて強い引け目な姿勢が私にはあった。

心の中で ... もしかすると、孫娘と結婚をしてはいけないと

言われるのでわないかという不安??

 

 有名なドクターでもあるアール博士は、日本人のある博士について話し始めた、

1900年初期のペンシルベニア大学医学部での話である。

まだアメリカには当時、日本人がほとんど住んで居なかった時代である。

アール博士は「私の恩師は日本人のドクターであり、その先生は勤勉

で克つ寝る時間をおしんで勉学と研究に徹した方だったと」 ... 。

その下でアシスタントとして働いたアール博士は「なぜ日本人はこれ程までに

勤勉なのかと驚いたと」 ...?

 その話しを聞き、私には思い出す事があった。私達が幼少の頃から、大人になり 

もし出世したなら『いずれは総理大臣か博士(野口英世)に ... 』なるよう

志を受けて来た。

 

そこで、アール博士に日本でも歴史を通して有名な医者が居ると誇らしげに

説明を初めた。私は、その博士を“ドクター野口”と説明した。

そしてその会話の中でアール氏が、私の先生も“ Dr.ノグチ” という方だと。

私は日本人の誇りである“ドクター野口”の話しを刻々と話し続けた。

偶然にも同じ名前のドクターが二人居ると大いに盛り上がった。

誇らしげにドクター野口の話しをする私には、もう一つ大切な話しを

付け加えなければ成らなかった。

 

それは、ドクター野口が幼少の時に左手を囲炉裏で火傷をしてしまった悲劇だ。

指の肉が焦げて一つの棒のように成ってしまったという ... 

その致命的なハンディキャップにもめげず、日本人の大ヒーローにまで

成られた方であると…

 アール氏は、もうその時、その話しで解ったのでしょう。

20秒位の時が過ぎたと思う ...「私の先生も左手を火傷されたと… 」

 

 『 えっ!』と私の心臓の鼓動が爆発音を上げた。

”Ooow! my God! ” 

とアール博士は答えた。

 

『 野口英世博士 』の事だった。

 

 現在の若者達には理解し難い事だろうが、私達の理想で在り尊敬する博士とは、

偉人伝に出て来る神のレベルの存在であった。

その神に使えたアール博士に生で野口博士の人物像を習い大切なお話しが

聞けた事は、今でも私の人生の『宝の経験』で有り、大なる誇りである。

 

野口博士のお陰だろう ... アール博士は初対面の私をやさしい微笑みで、

 

      “ Welcome to my family, Shinobu .”       

 

 と言って私を大きな体で抱き包んでくれた、

 

“ Thank you so much, Dr. Al .

 

その温もりは今も私の魂に残り続けている。

 

その "時" 以来、私に取手の野口博士は、大切な恩人になりました。