☆ 私の " 2つ " の先祖供養 ☆ | ☆魅力のRoyalカラーをアナタへ☆

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一柳忍 オフィシャルブログ

8月は、ヘッダーで紹介しているスギライト(杉石)に付いて触れてみます。スギライトが不慣れな方々には、雑学として読んで頂ければ幸いです。(詳しくは、アメブロのテーマ" スギライト(杉石) "を参照お願いします。)

 

日本(東洋)特有の8月の先祖供養・お盆 ... 私もこの歳(65歳)に成ると自分のご先祖(家系)を大切にしなければと深く考える様になりました。最近は、92歳の母より家系の話を聞く事が多くなりご先祖あっての自分が生かされているのだと痛感させられます。

 

考えてみると此の30年間、飴細工とスギライトの普及途上多くの関係者の方々が亡くなられました。私自身の家系は、全く一般ですが ... スギライトに関しては、運命に選ばれた特別な人脈の方々が多く、ふと考えると1942年のスギライト(1975年命名)発掘よりまるで赤子が生まれスギライト(杉石)と名を受け今日まで育ち75歳の年齢に成っている様です。 

 

杉健一博士 (1901年5月15日〜1948年7月6日)

 

博士は、帝国大学(現東京大学)を卒業後、明治維新以降日本の岩石学の基礎を築いた功労者の一人で、後に九州大学理学部新設に携わった。1944年には、岩城島で未解決鉱物を発掘し日本鉱物学会に申請。この切っ掛けが後の杉石命名に繋がる事になります。
 

村上允英(1923年10月25日〜1994年7月20日)

 

1975年、新種の石に恩師の"杉"博士の名前を明記、"杉石"の名が世界レベルと動き始める。

 

1993年7月20日村上博士宅(最後の晩餐)にて" 杉石 "の未来を楽しく語りあった。今、考えると大変貴重な協議だったのだと村上博士に感謝です。博士の独特の福岡訛りが今も耳元に聞こえ懐かしく思えます。翌年7月20日ご冥福。

 

スギライト研究のキーマン、加藤敏郎博士(1993年1月山口大学にて)
 

もし加藤博士(鉱物構造解析の権威)の共同研究のオファーが無かったなら恐らく"杉石"の命名は、現在に無かっただろうと村上博士が語ってくれた。

 

アイ・カーゲン(1924年〜2016年)

 

I.カーゲン氏は、アメリカ・西洋圏でMr.ローヤル・アゼールとしてスギライト普及に努めた立て役者でいられる。

 

75歳に育ったスギライト(杉石)ですがその間、産みの親 ... 杉博士/村上博士/加藤博士/アイ・カーゲンetcの方々が亡くなられました。そう考えるとこの方々は、スギライト(杉石)のご先祖様だと気付かされました。又、博士達を支えた辛抱強い献身な奥様方あっての発見でした。やはり、裏方の奥様方の辛抱あっての結果と誠に有難うございます。

 

私的な柄、この場をお借りし諸先生方への深い感謝の意と供養に心よりお祈申し上げます

 

合掌

 

一柳 忍 / 米国宝石学会GG(ロサンゼルスより)

 

 

スギライト(杉石)に付いて興味のある方は下記で詳しく知る事ができます。

 

ローヤル・ウタンド