関東土岐会のサイトを拝見し、著者の名前を知りまして、図書館で借りたのですが。

 

  とても冷静な方で、「歴史というもの、それが大衆の人気をアテにした歴史物という商品になるとどうなるか?」が書いてありまして。

 

    長年、機密文書を訳している私は、戦という非常時と大衆とのかかわりに共感する部分もありまして。

 

  本能寺の変から110年以上、経ってから刊行された「明智軍記」という物語が江戸時代に創作され、当時の木版出版の普及による出版ブームによって大ベストセラーとなり、歴史の常識として広まったという。

 

  1960年代に司馬遼太郎さんが「国盗り物語」を書いたが、これもこの「明智軍記」を元にしており、大ベストセラーとなり、これを原作として1973年に大河ドラマが放映された。その結果、「明智軍記」のストーリーが日本中に広まった。

 

  とのことで。

 

  私の個人的な感想として、尊敬する司馬さんが単なる創作である「明智軍記」をもとに「国盗り物語」を書いたと聞いて驚きましたし、もし司馬さんが今、お元気だったら、大河ドラマ「麒麟がくる」をどのようにご覧になったか、興味深いところです。

 

  「司馬さんは1つの作品を書くのに、3トントラック1杯の資料を集める」という話を聞いたことがあったので光秀に関してはよほど資料がなかったのでしょう。

 

  明智憲三郎さんのこの本によると、土岐氏は室町幕府において一大勢力を築いた一門だった由。

 

  で。

 

  それ以上は、この本を読んでいただく方がいいと思うのですが。

 

  歴史なんて、その当時に生きていて、真実を知っている人はいないのですから、いつ新しい資料が出てきて、真実が解明されるか分かりません。

 

  著者は、この本の「おわりに 土岐を継ぐもの」で、次のように。

 

  光秀の謀反で信長の中国制服は実行されなかったが、光秀の「安寧の世の再来」の祈願は、秀吉の朝鮮侵攻で打ち砕かれた。この侵攻で日朝両国に禍根が残り、光秀が信長の天下統一の先に一族存亡の危機が来るとみたのは決して杞憂ではなかった。安寧な世は、光秀の盟友、家康の手によって実現した。

 

  拡大主義の戦国武将は一代で滅び、家康のように儒教に理念を転換した覇者は長期に安定した社会を築いた。現代社会も拡大を追求することから、持続することに理念を転換する時期にあるのではないか。

 

  と、あとがきは終わるのですが。

 

  時代は麒麟を求めている。

 

  光秀の子孫、憲三郎さんの想いは、光秀の安寧の世を願う祈りと一致するのです。

 

  今回、大河ドラマの主人公を光秀にするあたり、制作側のコメントは、「従来の価値観を見直す時代だから、光秀を主人公に選んだ」というもので。

 

  一致していますよね。

 

  「麒麟がくる」も楽しみですし、このドラマを今の日本人がどう感じるか、それを知るのも楽しみです。

 

  明智憲三郎さん、ありがとうございます。