〜ふうふモラトリアム〜第7章





🔹本日も貴重なお時間をご一緒して頂き、ありがとうございます🙇‍♀️


拙いblogへのご訪問、いいねを頂き嬉しく思っています😊


🔸二桁の月に突入すると、途端に今年が終わる感じがして、何故か焦りに近い気持ちが駆り立てられます😅💦

私だけかな?!

あっという間に11月になり、年末がきっとすぐ来ますね。

ところで、11月ってこんなに暑い日ありましたか?!😵

私ごときが心配しても仕方ないのでしょうが、地球が心配💦💦



気まぐれな気候に振り回されながら、苦手な衣替えも待ってる季節。秋服を出したら、あっという間に冬服が必要になるし、悩ましいですね😁



子供服は、大人と違って(大人も身体のサイズ変わる事はあるけれどw)サイズアウトがあるので、来年着られるか?いつも、悩んで取って置いてしまいます😅勿体無い精神がムクムク出てきちゃう💦

これが、片付けられない所以である!

と、わかってはいます。

思い切り良く、片付けられる練習をしたいと思います!!



皆様は、スパっと捨てられるタイプ?勿体無いおばけが出て来るタイプ?どちらでしょうか😁



さて、本日は『泥んこばなし』のつづきです。

自分の中にある『我慢』と、少しずつ向き合う事にしたお話です。

前回のお話はこちらです↓


ご興味ある方は、宜しければお付き合いください🙇‍♀️





🔹夫とは何度か話し合いを持ち、ここまで来ました。

私は、『話合える夫婦』になりたくて理想だったのです。

同居以前までは、私の中では話合えている感覚はありました。


ですが、同居をしてからと言うもの、夫婦の会話もぎこちなくなり、話し合う回数も減りました。

意を決して、話し合いを持ち掛けるのも、毎回私からになっていました。


同居してからの話し合いは、今振り返ると私が不満をぶつける形が多かった様に思います。


だって、『私の方が物理的にも、精神的にも負担が増えてるから!』その気持ちが強かったからです。

(まぁ、実際そうなんですけどね😁)


話し合いをして『わかった!』と、次の日から別人の様に夫が変わった!!✨

なんて、魔法は残念ながらありませんし、私はそんな魔法は使えません😅


すると、私の中に更なる不満が募ると言う、負の連鎖が始まるのです。

『なんで、わかってくれないの?話し合いしたじゃない!』と。


不満が募り続けると、頭の中に『離婚』すら浮かびはじめるのです。



🔸では、何故私は離婚を選ばず今まで居るのか?


理由として、簡単な事を言えば経済的な事はあります。

働けば良いじゃん。ってなりますが、息子が不登校を経て自由登校をしているので、早退する際は保護者の迎えが必要な為、私はパートで働き、私が仕事の時は義母にお願いしています。


ですが、一番大きな理由は『子供の為』ではありません。

『自分の為』です。


『自分の事が理由に、母が人生選択を出来なかった。』

そんな風には子供達に思って欲しくないし、私も思っていません。


息子の自由登校も、支援を何とかすれば出来ない事はない。

息子を無理矢理学校に居させる事も、出来ない事はないとも思います。


けれど、息子の心の安心感を優先させてやりたい。と、思って決めたのは私です。


そう。以前のblogにも書きましたが、『誰かのせい』にするのは辞めたからです。






🔹私は『離婚』にマイナスイメージはありません。

DVや、モラハラ、虐待等、迷う事無く直様離婚をする方が良い時も勿論あります。


結婚をしてみないと、わからなかった事も沢山あるし、お互いや、家族にとって幸せな形が離婚なら、寧ろプラスになると思っています。


私自身、夫婦仲が良くない両親に育てて貰ったので、結婚が素晴らしい✨とも思っておらず、両親にも離婚を薦めていた程でした。


けれど、母は子供達の為に離婚しなかった。

父は、自分のプライドの為に離婚はしなかった。


時代背景もあったでしょう。

そして、母は実家にも頼れない事情もありました。


そんな両親を見て来て、そして早くに結婚した知人の話を聞いていて、結婚願望は無いに等しい私が何故結婚したのか?


それは、自分の人生に『結婚』と言う、次なるステージに進んでみても良いかも知れない。

と、言う思いと、母の死があったからです。



🔸生前母は、私の孫が抱きたい!と、よく言っていました。

(結婚もしていない娘によく言うな。。。😅と、思ってはいましたが)


その願いを叶えてあげられず、母の死は家族にとって、ある日突然でした。

何の心の準備も無く、迎える事になってしまう形でした。


突然母を亡くし、苦労を掛けて来た母に、娘として何もしてあげられなかった。

そんな、後悔の念と、寂しさで私は暫く自分の心がどこかに行ってしまった、抜け殻の様な日々を過ごしていました。


そんな私を、当時の仕事場の方々も心配して下さり、慰め、優しく、沢山の暖かな心で支えて頂き、ほんの少しずつ、少しずつ、自分が出来る事に目を向けて行きました。


どんなに悲しくても、辛くても、遺された人は生きていかなければならない。


『親は、自分が成すべき事を遂げた時、旅立つ』そんな言葉も、私の生きる力になりました。


今まで、どこかで母に認められたくて、褒めて貰いたい、母の役に立ちたい、そんな気持ちが根強く、『母』の影響が強く歩んで来た人生を、やっと『自分の人生』にシフトチェンジする時期が来た様に思いました。


『結婚』と、言うのは私が母に出来る

『最期の親孝行』かも知れない。

(あくまでも、私個人のその頃の意見であり、『結婚』=『親孝行』だとは今でも思っておりません)


そう思い、苦手だった婚活に挑戦しました。





🔹苦手な婚活を自分なりに頑張り、沢山の方と知り合った訳ですが、結果的に言えば元々知り合いだった夫と結婚をする事になりました。

(人生って本当にわからない(笑)😁


夫の真面目で、実直で、純粋な所に何より惹かれ、自分自身が自然体で居られた。

一緒に過ごす穏やかな時間が好きでした🍀



違う環境で育った人同士がする『結婚』と言う制度。


私の中では、『結婚』すれば『運命共同体』と言う感じでは無く、『それぞれの人生で縁あって出逢い、一定期間共に道を歩む。

けれど、それぞれの人生はそれぞれのもの。』

それが、『結婚』の様な気がしていました。



この人となら、色々な事があっても笑い合い、話し合いをしながら、結婚と言う道を、共に生きられる様な気がして、不思議と結婚に不安を感じる事も無く、結婚出来ました。



🔸その頃から、10年以上の時を経て、可愛い我が子2人と出逢う事が出来、沢山の出来事が私達の関係に変化をもたらし、思い描いた結婚生活からは遠く離れてしまった現在。


勿論、今の関係性に悲しみ、悔しさ、寂しさが無い訳はありません。


けれど、今の私が『離婚』と言う選択をした所で、環境を変える事は出来ても、『私自身』は本当の意味では変わらない。

単なる現実逃避にしかならない。



この人(夫)と、まだ、しなければいけない課題の様なものがある気がしていて、それをクリア出来、自分に自信を持ち、もっと素敵な自分になりたい✨

その結果が、離婚ならきっと私は後悔も無く、幸せに次へと歩めるだろう。


そう思い、『自分自身の為に今は離婚をしない』選択を選びました。



生まれてしまった溝は、溝が出来た年月の倍の時間が。

出来てしまった壁は、壁の高さが高い程、

越える為の労力が必要になります。


未だ、再構築中ではありますし、『完結』は無い世界線の話ですが、もう暫くこのお話にお付き合い頂ければ幸いです。


では、つづきはまた次回へ→



今日のお話は以上です✨

今日もあなたに、感謝をこめて🍀