〜ふうふモラトリアム〜 第14章
🔹本日も貴重なお時間をご一緒して頂きありがとうございます🙇♀️
拙いblogへのご訪問、いいねを頂き嬉しく思っております😊
🔸春ですね🌸
3月は無事、娘の卒園式を終える事が出来てホッとしている間に、4月に入れば入学式✨
私の中では、いつまで経っても小さな子の感覚が抜けないのですが、小学校の制服に袖を通して颯爽と歩く姿に、『まさかこの子が小学生だなんて✨』と感慨深くなっていました😭💕
兄が居る事で、小学校には不安よりも楽しみの方が多い娘です😊
娘も娘で、色々気掛かりもあるので、担任の先生がどんな方か?気になりましたが、ベテランでめちゃくちゃ優しく温かい方✨と、息子の支援級の先生からもお聞きしていた先生が担任だなんて、有難い限りです。
就学児前健診で、最後に先生とお話する機会があるのですが、息子も小学生になってから発達障がいとわかり、娘は娘で気掛かりである事を伝えておきました。
そう言う事が考慮されての担任配置かはわかりませんが、まずは一つ安心材料があると親としてはホッとします🍀
勿論、相性などはありますが、こう言う親の直感って割と当たる気がしています😁
🔹春は、私の仕事柄毎年職場環境が変わります。それに対しても、不安もありましたが、今年は娘の進学、そして、我が家にとって1番ショックで大きな悲しい変化がありました。
息子を、3年間支援してくださっていた神様の様な先生が、突然学校を去る事になった事です。
詳しくは、またいつかじっくり書きたいと思いますが、学校組織の闇の部分もあるので書けるかな💦
先生ご自身も、私達も息子の小学校生活最後の一年を、共に過ごす事を心から希望していました。
学校の先生の異動は常にある事です。
ですが、今回は納得のいかない事が積み重なり、何よりも先生のお気持ちを踏み躙られた事、息子の心情を考えると自分の事以上に辛いのです。
そんな春を迎える事になるとは思いもよらなかった。
『人生は、そう言うものだ』
そう思える程には、私も年齢を重ねては来ていますが、子供の事となると心の揺れは大きくなってしまいます。
まだまだ、未熟な私です。
『学校に行く』
その事自体が、持久走に挑む位の負荷がある息子。
ずっと側で伴走して下さって居た先生が居ない。
きっと、1番辛く、寂しく、不安を抱えながら学校生活を送る息子を、精一杯応援し、守れるようになりたいと思います✨
皆様の春はどんな変化がありましたか?
ポカポカ陽気の様な、暖かな日常だと良いですね😊
🔸春の精神的ジェットコースターがあり、間が空いてしまいましたが、泥んこばなしの続きになります。
ふうふ問題、愛情表現、自己内省や、変容等にご興味ある方はどうぞお付き合いください🙇♀️
前回のお話はこちらです↓
🔹『愛情のコップ理論』
子育て関連の読み物等で、目にする機会がある方がいらっしゃるのではないでしょうか。
この理論を知った時、自分自身の『コップ』が大きいから沢山の愛情が無いと満たされないのかな?
そんな風に思っていました。
そして、同時に息子も『コップ』が大きいタイプなのかな。とも思いました。
このコップ理論を知った時期は、私が1番子育てに迷走していた頃だった事もあり、息子の『コップ』が大きい。と、思っていたのでしょう。
息子の特性だったのかも知れませんが、息子を大切に思い、手探り状態の中精一杯の愛情を私なりに注いでいても、息子に私の愛情が届いていない感覚があったのです。
息子は、義母になら安心して自分を出して、甘えている。
だけど、私と過ごす時間の中では、ほんの少しの事で癇癪を起こしたり、話が出来ない状態。
『こんなに大事に思っているのになんで!?
私が悪いのか??!』
そんな気持ちが常にありました。
勿論、私と義母では人生経験、思慮深さ、比べたら敵うものなんて殆ど無いし、雲泥の差です。
『母親』としてほんの数年間でも、必死にやって来た私より、無条件に甘えさせてくれる義母に心を開く息子に、寂しさや虚しさ、そんな事を常に感じ続けていた頃でした。
その後から、この『泥んこばなしシリーズ』でも書き連ねている様に、自分を立て直す事に重きを置き、ほんの少しずつ変わって来た頃、ふとコップ理論をまた考える機会がありました。
🔸自分と実母の事を振り返ってみると、母は
『子供の為に生きる』そんな人でした。
子供の為に、仕事を何個も掛け持ちをし、毎日美味しいご飯を作ってくれ、自分の事なんて二の次三の次位の気持ちで生きていた人。
そんな母の愛情は、勿論感じていました。
すごくすごく愛情たっぷりの人でした。
だけど、私は満たされている感じはなかったのはなぜ?
本当にコップが大きいだけなのかな?
🔹自分と実母との愛情のズレを感じはしていましたが、母が愛情を掛けてくれていた事はしっかり伝わっていました。
特に自分が、親になり思った事は『母だって子育てに迷走し、手探りで育ててくれていたのだろう』と、言う事。
家庭を顧みない父だったし、頼れる実家は無く、近所の人達に助けて貰いながら、母なりに必死だったんだ。
その愛情の中身に満足出来なかったのは、当時子供だった私。
今も、生きていたなら、そんな昔話を交えて素直な気持ちを言える事があったのかも知れないけれど、私にはそれは出来なくて、でも、その頃の母を想像し、自分に当て嵌めたら段々と母に対して許容出来る様になっていきました。
母に対して『許せる』気持ちが出てくると、自然と自分が息子の母親として未熟である事も、少しずつ許せる様になりました。
そして、『息子は私の愛情を喜んでくれなかったかも知れないけれど、私はその時々精一杯の愛情を掛けている』そんな自分を認められる様にもなってきたのです。
🔸『与える側』と『受け取る側』の求めている事が、相違無ければ1番良いとは思います。
けれど、そうなるのは容易い事ではありません。
コップ理論で言う『愛情を注ぐ人』が例えば
『緑茶』しか注げない人で、『受け取る人』が
『緑茶』を求めていれば、中身もピッタリなので少量でも満足出来ると思います✨
ですが、『受け取る人』が『りんごジュース』を求めているのに『緑茶』をひたすら注がれていたらどうでしょうか?
『緑茶』しかしらないうちは、それが愛情なんだ。と、思うでしょうが、様々な経験や、その人の器によって『緑茶は嫌だ!』と感じてくると思います。
それが『愛情のズレ』になる様に私は思いました。
だけど、『与える側』が『緑茶』しか知らないなら、与えられる物も『緑茶』しか注げないのは当然な事なのです。
そんな時はどうすれば良いのか?
🔹私の中では『緑茶』しか知らない人は、
『りんごジュース』の味をその人自身が知ってみる事かな。と、思いました。
自分が幼少期に戻り『りんごジュース』を注いで貰う事は出来ないけれど、その時欲しかった言葉、して欲しかった事を思い出して、注いでみる。
それなら出来るのではないでしょうか。
もしくは、『りんごジュース』を知っている人から味を教わる。
我が家で言えば、息子にとっての『りんごジュース』を知っている人は義母だったので、義母が息子に与える愛情を認めて、真似出来る事は真似る。
そこから始めました。
🔸そして、『愛情』にも個性があり、どの『愛情』も決して間違いでは無いのです。
受け取る側の器も、好みの味も、成長と共に変化します。
私が注ぐ物が合う時、満足する時もあれば、そうでは無い時もある。
合わない時に、自分が違う物を注げるなら、変えれば良いし、無理なら人に頼るのも大いに有りだと思います。
実際、1番息子とそりが合わなかった時の私の愛情は、息子にとって苦く好まない物でした。
けれど、私自身も愛情の種類を覚え、息子の器や好みの変化があった今は、私の愛情で満たされてくれる感覚も増えました。
だけど、それは私だけの愛情では無く、他の人の愛情も加わっているからこそ、息子の器は変化し、受け入れられる味が変わったからだと思います😊
🔹あなたの『コップ』はどうでしょう?
今の『好みの味』はどのような味でしょうか?
与える側として『注ぐ味』はどのような味でしょう?
受け取る側の人の『コップ』『好みの味』は?
この事を考え、話し合うだけでも『ズレ』が整うキッカケになるかも知れません。
そして、何よりお伝えしたいのは、あなたが与えた愛情は間違いでは無く、知らなかっただけなのです。
時間を掛けて『知ろう』とするだけでも、きっと何かが変わってくるはず✨
そんな風に思います😊
それに気づいた後のお話は、また次回に→
🔸今回のお話は以上です🍀
今日もあなたに、感謝を込めて✨




