2026年1月18日

 日曜日の夕方。新幹線で高崎に向かっている。午前中に都内で重要なミーティングに参加。「全集中の呼吸」で臨んだ。(ふう)

 本日のブログは、小学校時代の思い出から始める。草津小学校に通っていた頃、町内に「セントラル」という映画館があった。

 怪獣映画が封切られると、必ず学校の友だちと一緒に「セントラル」に足を運んだ。時には、年上のお兄さんや、大人に連れて行ってもらうこともあった。

 昭和の「ゴジラシリーズ」も、「ガメラシリーズ」も、結局、3本しか作られなかった「大魔神3部作」も、今、見ても超クールな「海底軍艦」も、実写の「黄金バット」も、全てこの劇場で見た。

 こうした子ども向けの「怪獣&特撮映画」は大抵、2本立てだった。もう1本は、子どもではよく理解出来ない恋愛映画だったりした。

 そりゃあ、そうだろう。小学校低学年の自分に「恋」とか「愛」の意味なんて、分かるわけがない!(ガクッ)

 が、それでも、日曜日の早朝(時には午前6時過ぎ?)から古びた映画館の入り口の前に並び、見やすい席を確保した後は、ゴジラの登場前に上映される「よく分からない大人の映画」も鑑賞せざる得なかった。(ふう)

 そちらは、明るい青春ものから、悲恋のストーリーまで、色々あった。今、思えば、毎回、その時代を象徴する人気俳優が顔を揃えていた。

 ちょうどその頃、ゴジラ映画(?)の前に上映された「舟木一夫と内藤洋子」が主演する映画に、(なぜか)とても胸を揺さぶられた。それまで感じたことのなかった「切ない気持ち」が、湧き上がって来るのを(子ども心に)感じた。

 以来、映画の主題歌として流れていた舟木一夫が歌う曲のメロディーとフレーズを、ずっと憶えていた。「君が美しくなれるなら、僕には夢がなくなってもいい…」みたいな???

 実はその後、何十年も、(思いつく度に)ネットや資料で調べようと試みたが、結局、映画のタイトルも、心に残った曲の名前も分からないままだった。

 昨晩、あることで、60年前(?)に見たこの映画のシーンをふと思い出した。「どうせ、分からないだろうな!」と思いつつ、7、8年ぶり(?)にググって見た。すると、遂に長年の謎が判明した!しかも、かなり簡単に!(驚)

 映画のタイトルは「君に幸せを〜センチメンタルボーイ」だった。なるほど、主題歌の名前も「センチメンタルボーイ」だったのか!公開年は1967年。青春映画として人気を博したらしい。

 10年前と比較したら、恐らく検索を通じて到達出来る日本語の情報が、飛躍的に多くなっているに違いない。ネットの威力を痛感すると同時に「ある種の怖さ」も感じた!(ふう)

 過去のブログでも触れたが。デジタル社会では、いいことも、悪いことも、半永久的にサイバースペースに刻まれる。10年前のことも、(何かキッカケがあれば)昨日のことのように炎上し、拡散される!いわゆる「デジタルタトゥー(削除されない傷)」というヤツだ。(ふう)

 改めて思った。「だからこそ、直滑降ブログも諸刃の剣!発信には、十分、気をつけなければならない!」と。

 ええと、1967年の公開ということは、当時9歳。つまり、偶然、あの映画を見たのは、小学校3年生の頃だったことになる。

 気づいたら無くなっていた映画館「セントラル」の懐かしい記憶が、次々に蘇って来た。映画「ニューシネマ・パラダイス」みたいな箱だったな!(笑)

 ちなみに、(どうでもいいことだけど)山本一太の初恋の相手は、当時の東宝を代表する青春スターで、永遠の美少女と呼ばれた「内藤洋子さん」だった。

 

 確か映画のラストシーンは、ケーキ職人を目指す若者を演じた舟木一夫が、米国に旅立つ直前の内藤洋子に手作りのケーキを渡そうとして、間に合わず、船が出るシーンだった気がする。今、考えると、船のデッキで泣きながら遠くを見つめる内藤洋子さんの姿を見て、人生で初めて(9歳で?)「誰かに恋をした」のだ。きっと、そうに違いない!(ため息)

 子どもの頃の経験や感覚は、後の人生におけるそのひとの考え方を、大きく左右するらしい。

 そう言えば(振り返ると)、過去に付き合った女性はほぼ全員、内藤洋子さんのように「おでこが広い」という特徴があったことに気づいた。(笑)

 この全く不必要な情報は、どこかで詳しく取り上げる。

 映画「君に幸せを」の情報を調べるうちに、もう1つ気づいたことがあった。それは、2人の主人公(舟木一夫と内藤洋子)の出身地が、石川県の和倉温泉だったことだ。

 そうか、映画の中には、舟木一夫が地元の伝統芸能である和太鼓を叩く場面があった(?)ような記憶もある。

 2024年の能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県和倉温泉。地元の方々が力を合わせて、「創造的復興」に取り組んでいる!馳知事も、様々な形でバックアップしているはずだ!

 「日本の温泉文化をユネスコ無形文化遺産に登録する」ことは、和倉の人たちにも、力強いエネルギーを与えるはずだ。

 お陰様で、政府の国内候補になることは決定した。2030年の登録実現に向けて、一層、頑張らないといけない!!

 あ、間もなく高崎のアナウンス。