ichiro168のブログ

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毎日、ご祈念しています。

 

今はほそぼそと年金暮らし毎日が仏道修行の場だと感じ日々、精進しています。甲斐あってか重い病も今生で軽く受け強信だった母の後を受けて一人、己と闘っています。

 

20代の時は右手の指にタコができて右腕がしびれ肩まで激しい痛みが、、ついには腰まで来た。同僚からは「それはもう治すに大変!治らないかもと言われた。」三日に一回、整形外科や治療院に通い「絶対!治して見せる」と誓い祈りから始まり行動に移した。、、、一年が過ぎたころ段々と治ってきて、ついに完治した。

40代になってからは目の病に侵されメニエール病、、目がぐるぐるとまわり、気持ちも悪く立ちすくんでいて、いったん収まった時間は平日の家のそばでした。車の運転中だったら大きな事故に遭遇したかもしれません!。「守られましたね」すぐに行きつけの病院へ車で3分、まっすぐ道路を下り即、診察。気分もある程度収まり内科医の医師から「目が回っています」と即、入院、予定が一週間でした。、、、当時の病院食はまずくて、少しばかり食べただけでした。でも治療した後は回復が早く三日で退院しました。2年が過ぎて次は飛蚊症もやり白内障もやり、どうしてこんなに病魔が襲ってくるのかと自分との格闘の明け暮れでした。それも眼科医で「医師からちゃんと毎日3回、目薬をつけて」と、「はい、わかりました」。そして交互に起きた目の病もそれぞれ一か月が過ぎたころ、検査をしたら白内障も消えて、、後から起きた飛蚊症も目薬をつけて治すことができ、今は73歳ですが細かい字も見え視力も1,0ぐらいまで見えるようになっています。

 

帯状疱疹もやったなあ、、胸がチクチクと痛みがあり「かゆいやら、痛いやら」スーパー銭湯で大きな鏡の前に立った時、右胸に遠山の金さんじゃあないけど「桜吹雪があああっ!」、、、こりゃあやばいと翌日、皮膚科へ診察したら「帯状疱疹ですね」とワクチンを一週間分いただき全部飲み干した結果が綺麗に赤い湿疹のようなものが消えました。医師からは「体の毒素からから起こるもので中々消えないよ」と言われました。そういえば子供ころ食べるものが無くて蜂の巣を取ってフライパンで幼虫をこんがり焼きお醤油をかけて食べたこともあるし毒魚、ゴンズイとかオコゼ、バリとかの毒に刺されたことあるし夏は海で泳いでクラゲに刺されたこともあるし、足長蜂に何回か刺されたこともありました。今では免疫になっているかもな。(笑)

 

50代になってからは右肩の腱鞘炎の後遺症と言うべきか右肩の骨の付け根に時々痛みが障じて整形からスミル軟膏とか膏薬の大判を束でいただき、痛みがひいてはまた痛いの繰り返しで60代まで続きました。

 

60代の中ばには大病に侵され脳梗塞の初期(血管の詰まり)と医師から言われ入院はしなかったものの通院でまる5年病院通いでした。最初のころは血圧が高く中々、正常な血圧に戻らず苦闘の連続でしたが3か月がすぎたころようやく正常になりました。そして2か月に一回通院して薬をもらい体調も良くなったと実感して通院は一応、打ち切りました。

そのころ母の様態が思わしくなり介護生活が始まり、私は仕事をやめ母の介護に専念しました。食事の世話から始まり身の回りの世話、最初の3か月は汗だくでお世話をしました。トイレの介助と入浴の介助が一番大変でしたけど一年が過ぎたころはヘルパーさんに頼らなくてもスピーディーにこなせるようになって、毎回の食事の献立に「母はお前の作った料理が一番美味しい」と褒めたことが印象的です。まあ、6年間介護のお世話をしてディサービスでの、やるせない気持ちもありましたけど悔いはなく6年間介護のお世話して途中、お茶の間で倒れたことも一度あり台所で一度倒れたこともあり母が「お前なにやってんの!」と言われ、それが耳に残りハッと気づき立ち直ったこともありましたね。そういう母も要介護の4になり、とうとう96歳で亡くなりました。母は歌や絵が好きで、お茶の間で私が描いた絵が好きで次は、あの場面の絵を描いてくださいと言われ竜の口の法難の絵とか南条時光の絵とか白馬を連れてご供養する一枚が大のお気に入りで白馬がうまいねと手をたたいて喜んでいた。熱原の法難の絵も描いた。「それまででいいよ!」と手をたたいて拍手していたなあ。そういう母も来年の8月六日が命日で7回忌を迎えます。

 

今は73歳、9月23日の秋分の日が私の誕生日です。先祖代々の冥福を祈り回向する中、突然、経を上げられず声が出なくなり「もしかしたら、これは、、」翌日、行きつけの病院へ診察の結果は脳梗塞の疑いがあると医師から言われ詳しい検査をしないとわからないから今、救急車を呼んだからそれに乗って専門の脳神経外科へ行ってくださいと」わかりましたと、家では丁度、妹(きみぼー)と同居していたのですぐに連絡、入院の支度に追われ家から徒歩で10分のところにある病院へ入院する羽目になりました。CTスキャンを取ったりMRIを取ったり軽動脈の血の循環を検査したり診察の結果は「孔管内脳梗塞(血がどろどろで血液の流れが悪い)の初期ですと」9日間入院して、おわりの期日が近くになると朝の目覚めも良く小声で毎日、経が読めますように唱え、ちゃんと言えるようになりました。日が上がる太陽の光が窓越しに降り注ぎ私を包み込むような、そんな風に思えた。ある時、夕方になって窓際に立つと「あややややーーーコウモリか!?窓ガラスに5-6羽すぐそばまでバタバタと羽根を動かしコウモリのように思えたが一歩前に出てようく見ると燕でした。更に景色を見ると無数の燕がジェット機のように飛んでいるではないか!。「はぁ~、やくるとすわほー」スワケチファン笑、思わず笑っちゃいました。でも翌日のお昼ごろ病院食をもらいに廊下にあるワゴンのところに行く際、二人の看護師さんが駐車場を見て、なにやらぶつぶつと話しかけていて「つい、何見てんの」とのぞき込んだら「えーー!」真っ黒いカラスが駐車場に集まり数えてみれば100羽ぐらい、乗用車にたかり羽をバタバタと動かしていた。」不吉な予感がしたものの心の中で悪霊と言うか障魔と言うか弱みをつけこんで魔の子分たちがやって来たかと思ったが、反対に魔に負けない信心をするのだよと母が教えてくれるようでした。仏道修行してこの方依頼7歳の時から始まり母とともに信心して68年、自分の軌道を外さずにやってこられた。信心していれば結果は必ずついてくる「勝つか、負けるか」だ。師子王の心を持てる者、必ず仏になるべし!と御書にはある。私はこれからも信じぬき宿命転換を果たして参りたいとおもいます。

一家和楽の信心

先駆の門下である冨木常忍(今でいえば千葉県市川市の住民です)

 

使命がある限り日本に生まれて良かったと、最後に世界中の人たちが幸せになるようにと毎日、ご祈念しています。