いい人ほど、早く死ぬ。

それは、本当かもしれないと思う。
そんな死に今まで何度か触れて来た。

今朝、亡くなったと知らせがあった友人もそんな一人だった。
その人には、まだ中学3年生の男の子がいる。
まだ成人にならない子どもを残してこの世を去る苦しさや無念さは
私なんかの想像を遥かに遥かに超えたものに違いない。

でも、不思議なもので
悲しみというのは、すぐに感じられないものらしい。

今朝、その報せを聞いたとき、
どちらかというと、これは大変だ、という方が先だった。
残された家族の大変さの方が想像しやすかったからかもしれない。

でもさっき、突然、悲しくなった。
でかけた先で、たまたまあった(あった、という表現が今の私には相応しい)献血車。
「あなたの献血が、誰かの命を救います」と呼び込んでいる
スタッフの方の声が耳に入った。

「誰かの命を救います」

その言葉に、引き寄せられるように、

「お願いします」

と列に並んでいた。

献血なんて、20歳の記念にやったきりだった。
大昔と違って、書類にいろいろ書き込まなければならない上に、
質問もいっぱい受けて、体重計にまでのせられた。
しかも、検査報告を家にまで郵送してくれるらしい。
随分と変わったものだ。

やっと順番が廻って来て、看護婦さんに言われるままに、
腕まくりをしてをしてまずは検査を受けた。
すぐに献血に、とはいかないらしい。


なのに数分後、
「ごめんねさいね、あなたの血は薄くて献血できないわ」
とあっさり言われた。

なすすべもなく、献血車を降りることに。
しかも、その看護婦さんは、満面の笑みで
「御苦労さまでした」と、私を見送っくれた。

ほんの少し、歩きだしたとき
また、この呼び込みの声が聞こえてきた。

「誰かの命を救います」

何かが壊れたように、泣き出した自分がいた。

ごめん。