この私のブログをカスタマイズしてくれた友人、あづささんは、今、福島にいます。


WEBデザイナーである彼女と知り合ったのは、ある仕事を通じて2年ほど前のことでしょうか。


最初から妙にウマが合い、

話をしていても話題が尽きることがなく、彼女の偉そうなところが微塵もない、

そんな人柄に私は最初から惹かれていきました。



実は、あづささんと私は、私が撮った写真をもとに、彼女がデザインをし、

そこに私がまたコピーを書いて、あるメルマガを月に1度発行しています。

私自身、出版コンサル、イメージコンサルの仕事で忙しく、

このメルマガの仕事は何度も辞めようと思ったのですが、彼女とのコラボがただただ楽しく、

彼女が仕上げてくれるデザインに毎回感激し、それが楽しみで辞められずに続けてきました。



その彼女が御主人の転勤で、ここ湘南から福島へ行ったのは1年半ほどまえのこと。


福島の気候が自分には合わない、と度々こぼしていました。

この燦々とした太陽の下で育った彼女には、雪国での生活はつらかったようです。


でも、昨年暮れくらいからでしょうか。

「地域の農家の人のメッセージを発信する仕事をやってみたいな、と思ってるんだ。

私にも、ここにいるからできることって、きっとあるよね」

と話していました。


やっと前向きな気持ちになった矢先のこの震災・・・。


彼女とは3日間、連絡もとれず、本当に心配しました。

そして、やっと届いたメールには、


「運悪く、たまたま来ていた仙台で被災。こうやって心配してくれる人がいて涙」


と書かれていました。


その後、どのようにして辿り着いたのかはわかりませんが


「今、山縣にいます。

 水も食料も足りていませんが、みんなで協力しあって過ごしています。

 とりあえず、雪をかき集めて水を確保」


とのメール。

生きててよかった、そう安堵するのも束の間・・・。


昨日、朝早くに届いたメールには

「相馬にいるおじ、おばを、探しに行ってきます。

 放射能が心配なので、我が家に連れてくる予定」


とのこと。

おいおい。そこは一番行ってはまずいところだろ、

そう思うのはこちらの勝手な想い。



なんとかして行ける範囲に、自分より大変な人がいたら、行かずにはいられない。

それがおそらく、今の東北の現状であり、

それが多分、あづささん、という人なのです。



そして、彼女から昨夜遅くに届いたメールが下記です。


「余計な心配をかけ、すみませんでした。結論から報告します。南相馬市おじさん無事、相馬市おばさん無事を会って確認できました。おばさんにいたっては、自宅100メートルまで津波、相馬沿岸は何もなくなっちゃったよ。と、言っていました。東北の人達の強さを実感しています。電話携帯全く通じない状況での安否の確認について、報道に非常に課題を感じています。また、原発放射能影響、肌で感じました。恐らく軽い被爆者です。対策はしています。明日から、近所の避難所の安否不明の人達の情報公開に動くつもりです。こんなことをわざわざ報告する必要は無いと思っていますが、今はメールで、大切な友達に日記を書いているつもりなので、許して下さい。」


多分、彼女はこのメールを公開することを許してくれると思います。


そして彼女はきっと、これから、やっとつながったPCを使って、自分のもてる能力を使って

避難所の安否不明の方の情報公開のために、必死に、自分の今できることをやるんだと思います。



こういうときに使って良いのかわからないけれど、


あっぱれ、あづささん。

がんばれ、あづささん!!


こっちでできることなんて、

何もなくて、本当に申し訳ないけれど、応援してる。 祈ってる。

 

落ち着いたら、いっぱいいっぱい抱きしめたいよ。




麻由美