鈴木通信
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第3日目 その一

次の日
ホテルの楽しみはルームサービスだ、と、妻が言うので、朝御飯はルームサービスで。
前の晩のうちに、注文票に書き込んでドアにかけておきます。
なんとなく、私はちょっとなれなくてそわそわしてしまうんだけどね。申し訳ないような気がして。
古典的なイングリッシュブレークファストですが、いろんな注文項目があって、注文票にめいっぱい書き込んじゃいました。こういうのは、なかなかできませんからね。それこそ、馬に食べさせるほどいろいろなものがトレーからあふれ出さんばかりに乗っています。
ゆったり朝御飯をたべ、のんびり、チェックアウトタイムぎりぎりまでを過ごします。

今日も天気はなんだか変な感じ。ざーっと降ってきたかと思うと、さっと晴れたり。
12時過ぎにチェックアウトし、写真をしこたまとってから荷物だけしばらく預けて、散策に出ます。
メールの端末もあるんだけど、ニフティは文字化けしちゃって読めませんでした。

まずは、ホテル前面の芝生へ。private groundになっていますので、鍵はコンシェルジェに頼みます。
宿泊客だけは入れてくれるんです。でもって、100メートルほど降りていくと、石垣があって、ここを越すと公園。昨日、この芝生に大勢人がいたようにみえたのは、こっちのパブリックなほうだったのですね。芝生の上をどこまでもどこまでも歩いていくと、ホテルを中心に視界いっぱい広がるクレッシェンドが、実に雄大です。
そこからバースの街へ歩いて出ます。
ひとつは、空港で両替し損なった500ポンドのチェックを換金すること。
あとは、多少のおみやげと、観光。3時半には、隣村のモンクトンコブに船が用意されていますので、そんなに長い時間はいられないのだけれど。
どうしてこんなに、と思うような巨木が町中にごろごろしています。ジョージアン・サーカスの巨木を眺めたりしながら、オースティンセンターの脇をぬけて、橋まで。なんだか、「エマ」の仮装をしている人がいるぞ、と思ったら、オースティンセンターの呼び子だった。
両替はすったもんだしたあげく、バークレイ銀行で無事終了。その間、彼女はウインドウショッピングしてましたけど、小一時間かかったよね。どこで、チェックを換金できるかいつも苦労する。
紅茶屋でおみやげ用の紅茶をしこたま買い込んだ上で、ローマン・バスに高いお金を払って入場。彼女はあまりこういう観光地の意義を認めていない上に、見所を要約して3分で語れ、とか言われてもねえ。
温泉が湧いているということと、ローマ時代の遺跡、ということか。
サトクリフあたりが代表的ですが、ローマン・ブリテンという時代は、ずいぶんいろんな事のベースになっているんだなあ、と思います。というよりも、ヨーロッパ文明における「古典主義」の位置づけと言うことになるのでしょうか。これは日本人の歴史観とは全く異なる部分ですから、非常に興味深いですね。
つまり、「過去が輝いていた」という感覚です。
ローマ時代、イギリスにもすばらしい文明があったのに、暗黒の中世を経て、自分たちは野蛮人になりさがってしまった、という強烈な感覚が、ローマ時代を全く独特の光の中に見せています。
メンテナンスを放棄されてなお数百年にわたって、完全な姿をとどめた過去の土木遺産。
現在の都市の土台部分に厳然と存在する過去そのもの。
これを現代に復活させようと言うのが、たとえば建築の「古典主義」だったりします。
ローマ神殿風の銀行みたいなものが、どうして19世紀に作られているか。ローマ時代の方が現代より優れていた、という感覚があるからですね。日本人にはないものね。奈良時代の方が現代より優れてたから、奈良時代風の公共建築を作ろう、みたいな発想は。
ローマンバスの博物館はとても興味深いと思うんだけど、まあ、駆け足で通過。日本語版の移動解説機もよくできてましたけどね。
ここでもらった、観光バスのただ券を使ってロイヤルクレッシェンドまでもどろうとしたんだけど、一階にしか座らせてもらえない上に、観光バスだから市内あちこちをぐるぐるまわってのそのそ走るのだ。
雨も降っていたからこれはこれで仕方ないんだけどね。そのバスの窓からみつけたギャラリーにちょっと雨宿り。おもちゃのようなオブジェをならべてとてもすてきなギャラリーでした。妻曰く、初めて「アート」っぽいものを発見。

いぎりすだより 第2日の2

書き始めたのは夏だったのに、今はもう年末。すっかり中絶しました。
ええと、どこまではなしたんですっけ。そうそう、ソールズベリーだ。なんだ、まだ全然すすんでないじゃない。世の中、毎日ブログ書く人って偉いよねえ。

なにしろ礼拝堂が底冷えするので、服を買いに走り、ふと見回せばソールズベリーはそれなりに古くて味わいのある町。小路を曲がると古い教会と小さな喫茶店があったりしていい感じ。町の中心部に図書館もありましたが、当然、日曜日は休みです。児童室をのぞくと、なぜか実にけばけばしい絵本が並んでいます。実際、イギリスの図書館を眺めて、福音館のような地味な絵本が並んでいるのを見るのはまれです。日本の絵本のクオリティは、少なくとも、福音館の古いラインナップのようなものを見る限り世界有数ではないかと思うのです。アトリーの作品も、実は最も多く流通しているのは日本ですしね。翻訳がこんなに大切にされている国もないし、逆にいったい世界のどこに、これほど豊かな児童書にふれられる国があるのでしょう。「教文館」みたいな児童書店もついぞ聞かないよねえ。
さて、道ばたで見つけたフィッシュアンドチップスを食べ、道ばたのコーヒー屋で、ジュースを飲み、ぼちぼち、次の町へ。フィッシュアンドチップスはなぜかロンドンではあまり見ないような気がします。小さな街の食べ物ですね。相変わらずジャガイモだらけです。しかし、これが食べたくてこの国に来たような物。悲しいことに一度食べるとおなかがいっぱいになって、一日ほかの物はいらなくなってしまうのだけれど。
再び緊張しながら車を走らせます。田園を抜けながらも、一級国道、いわゆるA国道に乗ってしまえば、ほとんど高速道路と同じ。ひたすら走るだけです。
目的地はバースです。今回の旅行中、一度はそれなりの豪華ホテルに泊まることは、妻との公約でした。なにせ、後半は船ですから。
いろいろもちろん検討対象はありましたが、あまりにもカントリーハウス然としたのも、やや分不相応という気もしました。たとえば、「クリブデン」とかね。いつかは行ってみたいと思うものの、たとえば、京都にいって俵屋に泊まれるかって言うとさ、いくらお金があっても、何様って感じがするじゃないですか。それでも、お茶だけでもできないかな、と思って電話もしてみたんだけど、やっぱりいっぱいだった。
そこで、というわけじゃないんだけど、今回はロイヤルクレッセントへ。
バースは町全体がジョージアン調建築・都市計画の精華ですが、その象徴といっていい建物。数百メートルに及ぶ半円形の建物が、緑の芝生を見下ろしてたっています。その中心線にあたる部分が、現在ホテルになっているのです。ここのホテルの話も、ずいぶん昔に聞いたもの。「そういうホテルがあるんだなあ」くらいでしたが、船の予約がとれたのがバースの近郊だったので、にわかに急浮上。
ソールズベリーから、車をとばして一時間。バースに入ります。急に、谷は深く、坂はきつく、田舎の中に突如として街が出現します。18世紀ロンドンを彷彿とさせる、町並み。地図はないので、これまた街の中をあっちへうろうろ、こっちへうろうろ。坂の町だもんですから、苦労しましたとも。もちろん坂道発進。交差点の真ん中でとまっちまったりね。ついに、ぱっと視界が開けたかと思うと、ロイヤルクレッシェンドの前を走っていました。
無数の扉が並ぶ中の一つが、ホテルです。傍らに置かれた植木鉢にロゴが入っている以外、ここがホテルである、とわかるものはなにもありません。
玄関のホールにコンシェルジェが座っているだけで、フロントもありません。予約をつげると、暖炉の広間のソファーへ。旧主ヨーク公をはじめとする肖像画に見下ろされ、ロビーにはふんだんな生花。気分は貴族の館へご招待!です。ここは確かに、我々の記憶にある限り、最も格式の高いホテル。
やがて、中庭を抜けて、我々の部屋へ。3階のはじですが、いい部屋でした。ベッドの上で、ロイヤルクレッシェンドのロゴのはいったクマがお迎えしてくれました。ベッドサイドのテーブルの上に並べてあるのはジェーン・オースティンのペーパーバック。
今日はもう、ホテルの部屋が一番の目的地ですから、一歩も外へはでません。
夕食の予約もしてありましたので、それまでの時間、館内をあるきまわったり、庭でお茶をいただいたりいたします。なにしろ、このホテルに泊まるために、出発の前日、銀座まで行って一張羅を買い込んできたくらい。彼女は着物とドレスをトランクに入れてはるばる運んできたのですから。コスプレごっこですともさ。
英国でお茶を
英国でお茶を2
そんなおめかしで、館内をそぞろあるき、巨木が木陰をつくる中庭の芝生の上でお茶をいただいていると、頭上を熱気球が2つ、3つと通り過ぎていきます。観光気球です。
この季節、日は長く、8時の予約はちょうどよかったですね。そろそろ薄暗くなってくる時間帯。めいっぱいのおめかしをしてディナーへ。
ラウンジでしばしシャンペンをグラスでいただきまして、やがて座席に。
そもそもバースの街は一種のリゾート地ですので、周りの人たちはみんなカジュアルです。かちかちにおめかししているのは私たちくらいかしら。それはそれで楽しいかも。食事もたっぷりだけど、格式あるディナーコース。ラム肉がメインディッシュでしたけど、いかにも「肉」という感じのこのメインは、イギリスっぽいなあ。それとも単なる偏見かしら。
彼女はシャンパンで酔ってしまって、最後、お茶はルームサービスにしてもらいました。
でも、夜中まで楽しみましたよ。泡風呂なんかも楽しいんだよねえ。

いぎりすだより 第2日

7月3日(日)
どんなに眠くても、また早々に目が覚めてしまうのが、悲しい旅行中の性。私はともかくも朝食までは寝ていましたが、彼女はそれこそ夜が白む頃から起きていたようです。
朝食は、昨日食べ損なった階下のレストラン。オールド・ミルの名の由来となった古い古い一角です。
中世以来の石の壁に囲まれたテーブルで、夢にまで見たイングリッシュブレックファストを堪能しました。
朝御飯

塩辛いベーコン、ブラックプディング、たっぷりのトースト、シリアル、粉っぽいソーセージ、ミルクたっぷりの紅茶。どれもこれも、満足のいく内容でした。
このホテルはやけに少人数で運営しているらしく、(ホテルといっても、パブの2階だからねえ)、朝食は、イイヅカさんを少し長身にしたようなねえちゃんが、自分で全部卵焼くところまでやっているのじゃないかというような勢いで駆け回っていました。
朝食後、ゆったりと身支度をすませ、10時少し前にチェックアウト。荷物と車は宿に残し、大聖堂に向かいます。そもそも、この大聖堂の町を、日曜日になるように仕組んだのは、教会で、日曜の礼拝に出るためだったのです。
いままでの経験上、教会の建物を十分に味わうには、その建物本来の使用がされている場面、つまり、礼拝に参加するのが一番です。平日は毎晩晩祷というのがありますが、日曜日ならば、それはもちろんSunday Serviceです。再び、コンスタブルの風景の中を歩いて大聖堂まで行き着きますと、10時からの礼拝がとうに始まっていました。
コンスタブル
さて、ここでもまた一つ誤算。普通、日曜の礼拝なんてものは、せいぜい1時間ぐらいであるはずなのですが、今日に限っては、牧師の新任式を兼ねるとかで、渡された式次第もずっしりと重く、待てど暮らせど、延々とこれが終わらないのですよ。
立教のクリスマス礼拝に行ったときもそうでしたが、ちゃんと、式次第をくれます。ここには、どこで誰が何を言い、立ったり、座ったりするか、という指示が全部書いてあります。新任牧師らしい人が前に進み出て何か言ったり、会衆が答えて何か言ったり、それこそ立ったり、座ったり。
隣の彼女は、さすがに途中から飽きてきて、しかも、石の床がしんしんと冷えてきて、早くでようとせっつきますが、せっかくの見物なので、私としてはじっとがまん。がまん。
だまって聞いていれば、賛美歌に合わせて轟くパイプオルガンは本当に天上の音楽だし、ゴシックの列柱も、人々の声を響かせて、いい感じです。
特に、献金が回り出すと、音楽はますます高く響き、もりあげますねえ。
しかし、長い!式次第があればこそ、先が見えるので我慢できますが、後から入ってきた観光客はみんな途中でしびれをきらして出ていきました。
結局終わったのは12時近く、実に2時間もの式だったことになります。
聞いている方も物好きだね、こりゃ。
最後には大司教様をはじめ、本日の主役の面々が正面扉を開けてご退場。このへんの儀式張った感じ、というのが、カトリックっぽくてとても面白い。
いかにも大司教様、という感じの杖と衣装のお方がしずしずと行列して出ていきます。バッハみたいなカツラの人もいるし。
でも、終了後には、正面扉の前で、意外に気さくに観光客のカメラにおさまったり、サインをしていたりで、見事なミッキーマウスぶりを見せていました。
大司教様
さて、なにしろ、寒くてたまらない彼女は、早速街にでかけて、防寒具を買い込もうといたします。
英国の西友ともいうべきマークス&スペンサーをはじめデパートをいくつもまわります。
しかし、意外に衣類は高い。ポンドが強くなっていてレートが悪いせいもあるけれど、日本の衣料品の激安ぶりに慣れてしまった私たちにとって、どれもこれも妙に高いのです。やはりおとなりが中国ということのメリットを私たちはもっとかみしめていいのかも。
しかも、外は寒いのに、売っている物は夏物。イギリス人が今そこでみんな着ているコートみたいなものは、一体どこに行けば買えるのじゃ!彼女は、コートの中にTシャツを着あわせるというような着こなしの理由がよく分かった、と感心していました。だって、そうしないと寒いし、暑いのだ、という単純な理由ですね。
それにしても、街ゆく人々はおしゃれでない、との評価。安っぽい、ださい服を着ているそうです。
私にはよくわからんが。
さて、お昼にフィッシュアンドチップスを発見したところから、以下次号。



いぎりすだより 第1日

出発は金曜の夜でした。
エールフランスが夜のパリ便を飛ばしていて、これに乗れば、土曜の朝にはイギリス入りするのです。
帰りは日曜の夜にイギリスを発ち、月曜の夜日本に着くという、まあ、ぎりぎりの日程をくみました。
7月2日(土)
パリの到着は午前4時とかで、8時頃に最初のロンドン行きが出るまで、カフェも開かないシャルル・ドゴールで延々と待つのですが、それはまあいいでしょう。
最初の誤算はヒースローで、トラベラーズチェックの両替に失敗したこと。500ポンドという、ほとんど今回の旅行費用全部とも言うべき大金の両替が、なんらかのトラブルでできなかったのです。チェックの発行元がいろいろ変わったらしく、両替所の備え付け確認電話がどうしてもつながらなかったというわけ。ここでいきなり手間取りました。結局二日後に町の銀行で無事両替を果たすのですが、それまで手元資金の薄いままで心細いこと。
車を借り出すのにもまた一悶着。
でも、なんとか車を借り出して、ついに10時過ぎ、空港を出発しました。
ここからが苦難の始まりです。
イギリスで車を運転したのはじつに前回以来。
少なくとも、ロンドンには足を踏み入れまいと誓っていたのですが、どういうはずみか、せめてキューガーデンを見てから出かけようかという気を起こしたのです。地図で見れば、その距離わずか。
長距離ドライブ前の足慣らしにはちょうどいいのじゃないか、と。
ここからの2時間こそ、アルカイダのテロなど顔色なからしめる恐怖の2時間でした。例えエールフランスがハイジャックされて、これからロンドン塔につっこむと言われてもこれほどの恐怖はなかったでしょう。
4車線の高速道路から、巨大なロータリーにつっこみ、かつ、渋滞にはまり、しかも現在地も、どこに行くのかも分からず、車線変更もできず、周り中からのクラクションを浴びながら、しかもエンストする、などという。当初助手席でわーとか、きゃーとか叫んでいる妻もやがて恐怖の余り失神し、
(ドイツで同じ目にあった我が兄弟諸君はよくご存じの通り)、こっちはこっちで、天涯孤独のまま、何度も同じ道を走る羽目になり、まあ、大変でした。
おそらくタクシーなら20分かからず走破する距離を2時間かかって、到着した頃には正午を回っていました。
そもそも、時差の関係で、このころは本来日本はとうに真夜中。眠くて頭ももうろうとしているというのに。キューガーデンはさすがの充実。とはいえ、これからたっぷり田舎へ行こうとする人間には、緑豊かな庭園というのはあまりありがたみがなかったかも。
午後遅くにゆったりと出発し、田舎へ田舎へと向かいます。さすがに、高速にのって走り始めれば、町中のような恐怖はありません。2時間も走らないうちにストーンヘンジに到着です。
ここはまた、道の脇にあるんですよね。

ストーンヘンジ

このストーンヘンジ、ともかく、歴史知識が皆無の人間が見ても、まあ、世界7不思議の一つには違いなく、それが今回の選定の理由でもあるわけですが、二人ともここにくる頃にはすっかりぐったり。
ある意味、とてもイギリスっぽい風景な割に、ここほど、現在のイギリスとの関係が皆無な場所もないでしょう。あの石造物が、日本にあろうと、アンデスの山の中にあろうと、ロシアの奥地にあろうと、やっぱりわれわれは、ヘえっと思うでしょうし、同じように、何に使ったのかは謎なのでした。
ちなみに、「テス」のラストシーンがここなのも、我々にとってはポイントでしたが、だれもそんなことはどうでもいいみたいでしたね。
説明をゆっくり聞く気力もなく、道を急ぎます。5時をすぎますが、まだまだあたりは明るい、日の長い英国です。
ソールズベリーの町に近づきます。郊外のオールドセイラムの遺跡なんかも私には興味のあるところでしたが、もはやそんな余裕はどこにもなく、なんとか、町にたどり着きます。古い町をぬけ、無事に町はずれの予約のホテルに滑り込んだときには7時近くになっていました。
ホテルは日本から探しておいたもので、オールド・ミル・ホテルと称します。大聖堂から河をはさんだ真向かいに位置し、かつて修道院の製紙工場のあった、水車小屋がそのまま使われているのです。建物の中を水が流れていて、水車小屋の跡をとどめます。

オールドミルホテルにて

日本からの予約はすぐにわかり、私たちは部屋に通されました。
河に面した宿は、宿の前の道にもテーブルを並べ、近所の人たちがビールを飲みに集まっています。川の向こうには広々した野原と、羊と、大聖堂。コンスタブルの絵のままの風景が広がっています。
茨木のり子の「6月」という詩の中に歌われた、「美しい村」そのままのような気がします。
さーて、このままおとなしく宿にいればよかったものを。ここでもう一つ誤算がありました。
翌日日曜日の礼拝の時間を確認しておこう、というのと、妻の防寒着を確保できないか、などと考えてしまったのです。イギリスは彼女の予想に反して甚だ寒く、完全に夏服モードで来ていた彼女はほとんどパニック状態になっていました。
疲れた体を引きずって大聖堂に、町に向かって歩き出したのはいいものの、実は思いの外距離がありました。
河を迂回して、町をぬけ大聖堂の庭に。
8時をすぎた町には開いている店などあるわけもなく、空しく引き返した頃には9時を回り、日本での前夜から考えれば20時間以上の一日がようやく終わろうとしていました。
結局彼女は夕食を食べに階下におりる余力もなく、私が運んだわずかなバーミールで夕食を終えました。
ここで私はscampiがくるまえびであることを知り、beef tomatoというメニューのどこにもbeefが入っていないことを不審に思ったのでした。

いぎりすだより でかけるまえ

いぎりすの空
実に10年近くの宿願を果たしました。
新採の2年目に行って以来だったイギリスの再訪です。
私にとっては常に行くべき国の筆頭でありながら、こんなにも間があいたのは、財政的な問題や、個人的事情もさることながら、なにしろ「暗くて、寒い国は嫌」という妻の意向がありました。
彼女をなだめすかし、拝み倒し、泣き落としてついに本人もなんとなくその気になったのが今回。
さあ、私の妄想爆発です。
前回までと違い、インターネットの充実は、事前にかなりの程度までの情報収集と準備を可能にしています。経済的にも、比較的十分な備えができました。
数年前、いつかイギリスに行く日のためにと開始したものの、その後、諸事情で閉鎖した外貨預金の残骸が、まるまるポンドの形で残っておりました。我が家の家計簿からは抹消されたこの簿外資産が、今回の大きな原資です。
行きたいところは無数にあり、選定には困難を極めましたが、なにしろ、行くと決まったその日から、旅は始まっているのです。何度も、何度もルートは練り直され、検討し直されました。
もとより、そんなに広い範囲を回る必要はありません。
せいぜい、イングランドの中、それも、南西部、南東部、ミッドランド、ノーフォーク、ヨークシャーなど、ごく狭い範囲でいいのです。でも、初心者向けにはやはり、基本のコッツウォルズでしょう。
ナショナルトラストのコッテージを借りた数日間の滞在か。田舎の貴族の館を巡り歩くか。色々考えた末に、最後に残ったのは、キャナルボートを借りての運河の旅でした。
決行は、夏休み期間にはいりつつも、子どもたちの本格的な休みにはまだ間があり、季節も十分によく、日の長い、7月上旬と決定。慎重に休みの調整を始めます。なにしろ、年度前半の学校訪問なんかの日程が、4月の後半には決まってしまうのです。準備は3月からもう始まっていました。
飛行機をとり、日程が固まった時点で船の予約を入れます。キャナルボートは結構人気のレジャーでもあり、予定がとれないとも聞いていました。
当初、オックスフォード運河を考えていた日程は、いろいろやりとりのすえ、南部のケネット&エイボン運河に決定。起点はバースです。
全体はもちろんレンタカーで回ることに決めていました。特にイギリスの田舎に回る際には車は必須です。運河を巡る間も借りっぱなしなのは不経済かとも思いましたが、大した差がないことが分かって、飛行場から飛行場まで借りっぱなしに決定。
さて、運河ボートは明らかに私の趣味嗜好ですので、多少は妻の希望も容れなければなりません。ここでへそを曲げられたら一生イギリスに帰れなくなります。
多少分不相応でも、ここは一流に。バースに起点が決定した時点で、ロイヤル・クレッシェンドホテルへの投宿を決定します。
また、とりあえず素人でもわかりやすいアトラクションを設定すべく、イギリス南部のストーンヘンジと、大聖堂の町ソールズベりーをルートに加えます。
さあ、ここまで決めれば、ほぼルートは固まりました。
初日にストーンヘンジを経由してソールズベリーに入り、そこからバースへ。バースで船をつかまえて、4泊。あとはコッツウォルズで出たとこ勝負です。
前回イギリスで仕入れてきたイギリスの名所ガイドをくりながら、途中の町にどんな見所があるか、田舎の大きなお屋敷はどこなら行かれそうか。楽しい毎日でした。
気になるところはインターネットでさらに情報収集。すごい時代になったものです。