ichiの心を楽にしていく日々ログ

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心理でも、スピリチュアルでもなく、正しさや答えを渡す立場でもありません。
人の言葉、反応、関係性の中に現れる“深度(depth)”を読み取り、評価や誘導をせず、そのまま言語化することをしています。

「誰かのせい」と思った、その瞬間に起きていること

出来事は、ただ起きている。

でも人は、そのままでは受け取らない。
意味をつける。

「誰かのせい」

そう言った瞬間、
世界は一気に分かりやすくなる。

犯人ができる。
構図ができる。
自分の立ち位置が決まる。

安心する。

けれど、その安心は
問題解決ではない。

それは、神経の安定。

脳は曖昧さが嫌いだ。

原因が不明のままでは落ち着かない。
だから最短で「外」に原因を置く。

相手のせいにすれば、
自分の無力感や揺れを感じなくて済む。

痛みを一段、後ろに下げられる。

でも同時に、
主導権も外に置くことになる。

「誰かのせい」は攻撃ではない。

回路の自己防衛。

自分を守るための、
もっとも早い反応。

だから悪ではない。

ただ、代償がある。

外に置いた責任は、
自分では動かせない。

理想は、
私は自分の選択で動いている状態。

でも「せい」にした瞬間、
感情のスイッチは相手の手に渡る。

相手が変われば落ち着く。
相手が変わらなければ荒れる。

それは依存の構造。

仮に、相手が本当に悪かったとしても。

あなたが「せい」を握り続ける限り、
あなたの変化は止まる。

正しさは手に入る。
自由は戻らない。

問いは単純。

私は今、
何を感じたくなくて「せい」にしている?

怒りの奥にあるのは何か。

寂しさか。
怖さか。
無力感か。
傷ついた自尊心か。

そこに触れない限り、
「せい」は繰り返される。

「誰かのせい」を外したとき、
残るのは責任ではない。

残るのは、選択。

距離を取るか。
境界線を引くか。
言葉を変えるか。
関係をやめるか。

そこから初めて、
主導権が戻る。

「誰かのせい」と思った、それは誰の意思か。

相手か。
出来事か。

それとも、
自分の神経の選択か。

i lead myself

私は私を導く


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