会員の活躍を紹介するインタビューシリーズ、今回は 加美町振興公社 社長の 阿部昌孝 氏(昭54普卒)です。今回も、リモートで協力いただきました。

 

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(第4回/前編)

 

加美町振興公社 社長

 阿部昌孝 氏(昭54普卒)

 

令和4年1月30日(日)

聞き手:仙台支部会 副会長 畠 敏郎

 

【 若き日の夢 】

畠)いやぁ、阿部さん、昨年は阿部寿樹選手(中日)の観戦応援に球場へお越しいただきありがとうございました。今日は同級生へのインタビューと言うことで、一高時代は目立ちたがり屋だったビスコ(当時のあだ名)が、どうして加美町振興公社の社長に収まっているのか、今日は、丸裸にして行きたいと思いますのでよろしくお願いします。

 大学へ進学してからは、学業そっち退けでマルチタレント?ミュージシャン?を目指してオーディションも受けていたと聞いていましたが、どのような活動をしていたんですか?

 

阿部) 皆さんこんにちは。54年普通科卒業の阿部です。同級生の仙台支部会の畠君から話があり、このような形で私のことをお話するのは恐縮しますが、質問には正直にお答えしていきますので、お付き合いください。

 

 若い頃の夢の質問ですが、確かに高校時代から友人達と学校行事には積極的に参加し、楽しい思い出は沢山あります。高校時代もバンドを組んで歌も歌っていました。東京の國學院大學に進学してから「スター誕生」のオーディションを受けて合格し、同級生達も応援に来てくれ後楽園ホールでテレビ出演もしました。

 

 しかし、私以外の出演者は日テレ音楽学院に通っている、真剣に音楽で生活しようとしている人ばかりで、ちょっと別世界だなぁ~と感じ、その後はバンド活動もしてはいましたが、大学時代からレコード会社に出入りをしていて一流ミュージシャンとも知り合い、音楽への考え方が変わりプロデューサー業に興味を持ち、音楽業界はじめクリエーターの皆さんと交流し刺激をもらっていた時代です。

 

【 ディズニー・オン・アイス 】

畠)ボクはテレビを見ていませんでしたが、「スタ誕」合格って、すごいですよね。確か、ディズニー・オン・アイスの公演にも関わってたと聞いてますが?

 

阿部) 大学卒業後も前段の流れでエンターテーメント業界の友人からディズニー・オン・アイスの日本公演を手伝わないかと誘いがあり、アメリカのショービジネスにも興味があったので日本公演の全国ツアーに参加し、その後アメリカの会社、FELD ENTERTAIMENTからの誘いで世界ツアーでヨーロッパ、アメリカ、アジアを回り6年間仕事をさせて頂きました。

 

 アメリカの会社はディズニー・オン・アイスだけではなく地上最大のショーと言われたRingling Bros and Barnum & Bailey circusやラスベガスのショーの制作運営もしていて、日本のツアーもあったのですが、その中で唯一の日本人として、アメリカエンターテーメントのマーケティングを勉強させてもらった時期です。

 

【 就職 】

畠)ボクの知らないうちに地球を何周もしてたんですね。その結果、JTBに落ち着いたということですか?

 

阿部) 6年間ツアーで世界を回っていたのですが、アメリカに永住するつもりは元々なかったことと、私もひとりっ子ということもあり31歳の時に日本に帰り、JTBのキャリア採用で仕事をすることになりました。

 

 最初は海外での経験やイベントの仕事の経験を生かして、イベントや国際会議の担当、広告代理店業務の仕事をしていたのですが、その後、東北の多くの市町村が地域おこし目的で観光施設等をオープンするようになり、そのような施設の企画運営の仕事を主に担当するようになりました。

 

畠)地球を股にかけた仕事から、東北の市町村の観光施設の企画運営の仕事を担当するようになった切っ掛けは?

 

阿部) 最初はイベントやプロモーションで東北の市町村と連携し仕事をしていたのですが、東北の人口減少、少子高齢化の課題に直面し、それまでJTBも旅行会社として「旅行に行きませんか?」という発地主導のビジネスモデルでしたが、全世界、全国に拠点を持っているJTBだからこそ「発地と着地の2wayでのビジネスモデル」が可能だと思うようになり、東北だけではなく全国の市町村の人口減少、少子高齢化の課題解決の上で、旅の力で交流人口の拡大を目指し総合旅行業から交流文化産業として地域交流ビジネスを立ち上げることを提案しました。

 

 そのプロジェクトの主要メンバーとして地域交流推進部長に任命され東北の責任者として地域交流ビジネスの推進を担当することになりました。

 

【 講演活動 】

畠)地方観光の振興や地域おこしについて、多くの自治体等の審議会・協議会の委員やアドバイザーを委嘱されたり、いろいろな地方で講演もしていますよね。どのような視点からアドバイスされてきたのでしょうか?

 

阿部) 今は、国家戦略としてもインバウンドなど観光の取り組みに全国の自治体が力を入れていますが、当時は、有名な観光地がない、インバウンドなどわが町に来るわけがないという地域が多かったのです。

 

 でも、観光は裾野の広い産業ということや全国各地には文化や食の違いもあり、各地域の住民が自分の地域に誇りを持つことで他の地域の人々が憧れを持ち還流することがこれからの観光のスタイルだとして、それぞれの地域の良さをまずは再認識する取り組みが重要だということは常にお話はさせて頂いていました。

 

 また、東日本大震災の時には、一般社団法人東北観光推進機構(仙台市)の副本部長兼海外事業部長として出向していたのですが、お客様にとっては旅行で県境や市境は関係なく、各地域にないものを補う意味でもエリア内で連携した広域観光の重要性もお話していました。

 

 今は、各自治体がそのことに気づき、地域の宝探しや地域コンテンツの磨き上げなどに取り組み観光プロモーションに力を入れていますが、「来てくれ」一辺倒での観光誘致の姿勢で、外から人がやってくるだけでは、まちづくりの機運は高まらないと思っています。

 

 まちに来た人と地元の交流が生まれ「よそ者」の視点に触れることをきっかけとして地元の人がまちの魅力に気付き、自分のまちに愛着と誇りを持ち、まちづくりに自発的に参加するようになる… この流れが本当の地方創生だと思っています。

 

【 成功例 】

畠)なるほど。関わった自治体で最も成功したと思う例はどこですか?

 

阿部) 福島県の喜多方市でしょうか。平成の大合併以前の市町村単位での地域コンテンツの掘り起こしワークショップのコーディネーターとして携わっていたのですが、掘り起こした地域コンテンツを「きたかた喜楽里博(きらり博)」…「喜」しさ「楽」しさいっぱいの「里」と言う意味ですが、各エリアからのメニューを整理、統一化して着地型のプログラムにしました。

 

 ロゴやキャラクターを作成する時に日本画を趣味にしている宿の女将さんが自発的にキャラクターを描いて来てくれたり、CMソングやキャラクターの着ぐるみを自発的に地域の人が作ってくれ「こころざしの連鎖」が起きた時の記憶が一番残っています。

 

 喜多方市はラーメンや蔵で全国的にも有名ですが、ラーメン一杯の消費単価と滞留時間が短い観光地だったので、まずは合併前の地域ごとの宝を市民全員に知ってもらおうと市長が「喜楽里博」のパンフレットを喜多方市全戸に配布をしてくれ、最初は2か月限定のプログラムが、今では年中いつでも「喜楽里博」になっています。

(後編へ続く。2月9日(水)に掲載予定です。)

 

エンターティナー 阿部昌孝! 若き日を偲んで音楽を楽しむ(仙台市内)

ニューヨーク・ヤンキースタジアムで