明けましておめでとうございます。会員のご活躍を紹介するシリーズ、令和4年年頭の今回は 地域医療機能推進機構(JCHO:ジェイコー)仙台南病院院長の 朝倉 徹 氏(昭53理卒)へのインタビューです。今回も、リモートでご協力いただきました。

 

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仙台支部会メンバーのご活躍状況(第3回/前編)

 

地域医療機能推進機構 (JCHO:ジェイコー) 仙台南病院

院長 朝倉 徹 氏(昭53理卒)

 

令和4年1月4日(火)

聞き手:仙台支部会 副会長 畠 敏郎

 

【 病院長のお正月 】

畠)明けまして おめでとうございます。この度は新年早々ご多忙のところ、仙台支部会のインタビューに応じていただき、誠にありがとうございます。

 さて、外来はお休みになるにしろ、200床の病棟では、正月と言えども浮かれる暇もなくドクター初め、看護師さんや病棟薬剤師の方が臨戦態勢で24時間勤務されていらっしゃるわけですが、統括されるお立場の病院長としてはお正月はどのように過ごされたんですか?

 

朝倉) 今年は自宅近くの大崎八幡神社に初詣に行きましたね。今年一年大過なく病院運営が行えるように、また新型コロナウイルス感染症が終息し通常の社会生活に戻ることなどを願掛けてきました。病院には例年通り正月2日に初出勤し、勤務スタッフの労をねぎらいに行きました。

 

 一関には年末30日に墓参りと空き家になっている実家の手入れに戻りました。庭が広いこともあってしばらく放置すると大変なことになりますので。

 

【 震災直後の石巻赤十字 】

畠)朝倉院長は、仙台南病院の前は、震災直後の平成23年4月に石巻赤十字病院の副院長として赴任されています。石巻市立病院はじめ沿岸部の病院はことごとく津波によって壊滅的な状況となっていた中で、石巻赤十字病院は孤軍奮闘されていました。赴任された経緯や、当時の石巻赤十字の状況はどのようなものでしたか?

 

朝倉) 震災前まで主に東北大学消化器内科で診療に従事しておりました。石巻には市立病院と赤十字病院の二病院にスタッフを派遣していたわけですが、市立病院が津波で壊滅的被害を受けてしまいました。そこで二つの病院の医師を赤十字病院にまとめてセンター化する目的で同院に赴任することになりました。

 

 地震の翌週あたりからだったと思いますが大学病院から被災地へ資材や応援スタッフ搬送のため往復運航していたマイクロバスに揺られて石巻に通いましたが、病院に津波被害者が押し寄せてきていてまさに野戦病院然とした佇まいでした。また全国からDMATという災害救助隊のヘリが到着し、敷地内に臨時キャンプを立て救助活動されてました。

 

 ただ多くのDMATは阪神淡路大震災の経験で成り立っていたため、地震被害者の多くは瓦礫の中に埋もれており72時間以内に救出しなければ救えないという前提に立っております。

 そのため部隊は3日後にはヘリで帰ってしまったようです。

 

 ところが今度の震災は津波被害がほとんどです。地震から72時間以降も続々と救出されて病院へ搬送されてきます。水を飲みこんだ肺炎や寒さで凍えた人など直接被害者の他、人工透析や在宅酸素を利用していた患者など命の梯子を外されかねないことから病院へ殺到しました。また吐下血で搬送される患者が急増し、私も直接内視鏡での止血処置を行っていました。

 

 一睡もできない日もありましたが、宮城県沿岸部でまともな医療を提供できる唯一の砦となった病院での経験は今では貴重な財産となっております。

 

【 仙台南病院院長就任 】

畠)仙台南病院は、平成10年に現地に新築移転して以来 … 仙台市立病院のあすと長町移転以降は多少状況が変わったかもしれませんが…、仙台市南部、名取市域の医療の中核を担っています。平成25年4月に院長に就任されましたが、就任されてお感じになったこと、また、仙台赤十字病院と県がんセンターの統合移転が取り沙汰されていますが、それによる仙台南病院の新たな役割など、どのようにお考えですか?

 

朝倉) 当院は仙台市の最南端に位置し、名取市との境界に接しております。患者の多くは太白区と名取市の医院や施設などから紹介され、伝統的に消化器や糖尿病などを中心に診療しております。長町に移転した仙台市立病院とは「病病連携」といって頻繁に患者さんのやり取りを行っております。地域にとって使いやすい、敷居の低い病院を自負しています。

 

 村井知事は病院の統合問題を知事選挙の争点に位置付けて5選を果たしましたが、出発点は年に十数億もの予算を繰入れている県立がんセンターの赤字問題です。そこに同じく赤字で苦しんでいる日赤を合わせて統合すれば解決すると見込んでいるようですが、名取とその周辺のみで新たに必要な医療ニーズはありません。

 

 そもそも仙台医療圏は急性期医療に偏った病院が多く将来的に大幅な病床削減が必要になります。足りないのは介護や慢性期病床です。大規模総合病院を新設するのは現状ある地域の医療連携を崩壊させる危惧を感じます。そうなった場合は当院の立ち位置が変化してく可能性はありますが、医療サービスというのはあくまで患者サイドのニーズにこたえるものです。「今そこにあるニーズは何か」を問いかけていくのみだと考えています。

 

【 ドクターを志したのは 】

畠)そもそも、朝倉院長が、医学部に進学されてドクターを志された理由は何ですか?

 

朝倉) 私の父の家系は明治初期から続く医師一家で、父を含めて親戚の多くが医師であったことから、幼いころからその世界しか知らないで育ったと言えます。

 

 しかし家業として継ぐ必要はなかったこともあって高校時代も医師を目指してがむしゃらに勉強するという気概には欠けておりました。当然受験では国公立の医学部へ合格する学力はなく、理数系が得意だったこともあり早稲田大学の理工学部へ進学しました。結局は2年後再受験し秋田大医学部に入り直したのですが、早稲田時代に受けた教育や社会経験は決して無駄ではなかったと思っています。

 

 冬のスキー合宿の授業の時に、同部屋の先輩として後に外交官としてイラクに赴任、2003年自爆テロで銃弾に倒れた奥克彦大使が居られました。当時から強烈なキャラクターの方で、政経学部入学当初ラグビー部では期待の大型FBでしたが、退部して外交官試験を目指していました。いろいろ話をするうちにお前は医学部へ行くべきだと言われ背中を押された気がします。医師の仕事ぶりは痛いほどわかっていましたので、再受験する気持ちになったのはその時だったかもしれません。

 

【 一番記憶にある患者 】

畠)朝倉院長は消化器内科がご専門で臨床のご経験が豊富ですが、一番ご記憶に残ってらっしゃる患者さんってどういう方でした? 差支えない範囲で教えていただけますか?

 

朝倉) 私の専門は膵臓病なのですが、多発性内分泌腫瘍Ⅰ型という多臓器にホルモンを作る腫瘍が発生する遺伝病があります。ある時東北大病院に17歳の女性が「意識が遠ざかることがある」ということで紹介となったのですがインスリンの過剰発現による低血糖発作でした。

 

 当時最先端の超音波内視鏡検査という方法で小さな腫瘍が膵臓に多発していることが判明しました。まだ若いこともあり手術には踏み切れず、発作の頻度が低いということもあって経過をみることになりました。年に2回ほどの通院で腫瘍の増大や広がりを診ていたのですが、その後彼女は大学の内科の医師と結婚、旦那さんが責任もって彼女を見守ってくれていましたので私も安心していました。

 

 ある時その旦那さんが松葉杖を着いて私に面会を求めてきました。彼女は運転中に気を失って車は横転大破し死亡されたと報告を受けたのです。同乗していた彼も大怪我を負ったということでした。なぜその時気を失ったのかは定かではありませんが、彼女の主治医である私には車の運転を注意するように喚起することができなかったのか、未だ悔いが残ります。

 

【 JCHOとコロナ 】

畠)JCHOは「時の人」新型インフルエンザ等対策有識者会議の尾身茂会長が理事長を務めていらっしゃいます。JCHOの病院として、コロナにどう向き合われているのですか?

 

朝倉) 2020年12月、Covid19が国内でも勢いを増していた頃、宮城県の担当者が来院され患者の受け入れの依頼を受けました。受け入れのためにゾーニングという空間を区切る作業が必要ですが、一般患者のスペースと完全に分けて感染対策を実施しました。

 

 当院の急性病棟は1棟50床ですが、ここをコロナ専用病床へと転換しました。また感染症や呼吸器の専門家が院内にはいないため、医師や看護スタッフのPPE研修も急ぎ実施しました。2021年の1月下旬から感染者の受け入れを開始しました。

 

 当初は高齢者の肺炎などが多く入院されたため、看護師の介護がとても大変でした。ところが高齢者のワクチン接種が進んできた6月頃には患者さんの多くは若い方になってきました。若い軽症患者さんの場合、スタッフが病室に入るのは日に一回のみでリモート診療でほとんど事足ります。ただし発熱や頭痛、喉の痛みなど訴える方に適切は治療を行うことが重要でした。

 

 当時は抗体カクテルやレムデシビルも限られており対症療法で如何に効率よく退院してもうらかがポイントです。当院の受け入れは中等症まででしたが、ほとんど重症化はしませんでしたのでそこはラッキーだったと思います。ただし、若い方は味覚や臭覚障害などの後遺症が比較的多く、退院後もしばらく症状を訴えることもあります。どうも中枢神経に障害が残るようですね。

(後編へ続く。1月11日(火)に掲載予定です。)

 朝倉院長に、自撮りしていただきました。

 

平成25年3月、石巻赤十字病院 副院長 退任に当たって