仙台支部会 副会長 畠 敏郎(昭54普卒) 

 

 最初に申し上げておく。私にはお能についての知識は皆無である。

 

 東京支部の上野次郎先輩から熊谷会長あて、小野寺麻利子先輩(昭48普卒、ペンネーム藤沢摩彌子)が『能に生きて 近藤乾之助』を上梓されたとのご連絡をいただいたことは既にご案内のとおりである。

 

 近藤乾之助(こうどう けんのすけ)という能楽師(ご本人は「能役者」と呼ばれる方が好きと文中にあった)は勿論のこと、藤沢摩彌子という作家も存じ上げなかったが、一関一高OBの方と宝生流を代表する能楽師との間にどのような繋がりがあってこの出版となったのか、幾ばくかの興味に惹かれ、早速「本」を注文してみた。

 

 その気になれば、仙台でも毎年「青葉能」が開催され、トップクラスの能楽師、狂言師の演能を鑑賞する機会はある。またNHK朝ドラでも紹介されたように旧登米町には藩政時代から地元に引き継がれているお能があり、お隣山形県には黒川能もあり、地元、中尊寺白山神社でも毎年薪能がある。

 

 しかし、冒頭に書いたとおり、恥ずかしながら私はお能の実演を見たことはない。せいぜい結婚披露宴で「高砂」の祝言小謡を耳にした程度である。したがって藤沢摩彌子氏(以下、小野寺先輩と表記させていただく)が書かれたこの本について、そもそも感想文を書く資格は全くない。とは言え、注文した本は宅配便で届き、1両日で読み終えてしまった。

 

 短日の内に、読み終えてしまったということは、真に読み込んだとは言えない自明でもあるが、この本は、能楽師というのはこういうことを考えているのか、お能というのは舞台上で演者が単に謡い舞うということだけではない … 等々、そうしたことを教えてくれる良書であることに間違いはなく、折角なので、拙文で恐縮だが紹介させていただくこととした。

 

 装幀は小野寺先輩によるものであるが、B6版大で約170頁、厚さに1cmほどで決して大きな本ではない。表紙カバーには、眼光鋭い凛とした舞台上の乾之助師の写真が使われており、本の中にも数多くのカラーを含む写真が配されている。因みに印刷は川嶋印刷㈱(一関市)である。

 

 乾之助師は平成27年87歳で逝去されており、今年は7回忌に当るが、生前、師についての出版があり、親交のあった小野寺先輩がその後、書き留められた原稿や膨大な写真をもとに追善本としてまとめられたということらしい。300部限定の自費出版ということが、師を知る方、師の演能に魅せられた方を対象とした、ハナッから読み手を限定した本である。

 

 本の構成は5章に分かれており、師ご自身の言葉が、第1章「能の型など」、第2章「能の曲について」に書かれてある。 第1章は、冒頭から小野寺先輩が折りに触れ師から伺ったと思われる内容が最後まで、一人称で書かれてある。時期的には前回平成17年の出版後、師がご高齢になってからということが伺え、一言一言が師のそれまでのお能に生きた人生の集大成のエッセンスとも言える。

 

 素人がぼんやりと思い浮かべる「能の型」と言えば、足の運び … 摺り足があり、その上にぶれない腰があり … というように体幹の強さに基本があるという話かなと思いきや、「肘」の使い方について特に言及しておられた。限られたスペースで舞うときの肘、揚幕から橋掛かりへ出ていくときの肘など、師本人も先輩から教えられ、後輩へとアドバイスしていったことが述べられてあったが、この本ならではのエピソードであると思う。

 

 教科書で、能楽は室町時代初期に観阿弥がそれまでの田楽や近江猿楽などの芸能に歌舞的要素をとり入れ、子の世阿弥が足利義満の全面的なバックアップを受けて芸術性を飛躍的に高めた … といった内容で習ったと思うが、その時代から今日までの蓄積が芸術性をより高めた一方で、素人には簡単には理解できない「お約束」の蓄積であり、「お約束」を理解するには、お能の機会に多く触れる … つまり、鑑賞眼を養う外ないのである。

 

 と、言い切ってしまったが、お能は理解する前に「感じる」ものであるらしい。何の知識もないままに初めて見たお能に何かを「感じ」て、ファンになる方は一定数いるらしく、小野寺先輩も稀有なそのお一人である。

 

 過日、小野寺先輩から頂戴したメールに、

「私がはじめて能を見たのは八歳のとき、中尊寺の能楽殿でした。能『船弁慶』。シテは当時の中尊寺執事長・佐々木実高(じっこう)さん、子方の義経が、子息でのちの執事長・佐々木邦世(ほうせい)さんでした。中尊寺の能楽殿は、伊達家の寄進。江戸時代、喜多流が伊達藩のお抱えでしたから、喜多流の能を生まれてはじめて見たことになります。

このときのことをはっきり記憶しております。能や能面の素晴らしさに引き込まれた最初でした。」とあった。

 

 8歳の子供が初めてお能を見て「その素晴らしさに引き込まれた」と思う感性は、私には信じ難い。台詞は古語でしかも独特の抑揚で語られ、「能面のような」と例えられるように無表情であり、(1曲の中でも序破急という緩急や、演目によって激しい動きもあるが)押しなべて動きが少なく、笑いの場面もない、退屈なものとして写るのがフツーの8歳ではあるまいか。

 

 もっとも、中日ドラゴンズ観戦でお世話になった佐藤浩先輩(昭48普卒/一関市議)は「麻利子さんとは家が近く、お手々つないで小学校へ通った仲」だったらしいが、「すべての教科の成績が良かったが、特に、国語は着眼点、表現力が違っていて感性が独特だった」とおっしゃっているので合点がいく。

 

 お能は、江戸時代に入って幕府の式楽となり、台詞である「謡」(うたい)は中下級の武士にも必須素養となって、方言・訛りを超えて共通語の役割を担ったともいわれている。明治維新によって後ろ盾を失い衰退するが、山あり谷ありを経て今日にも脈々と(地方においても)引き継がれているのは、日本人の琴線に触れる何かがあるからだろう。

 

 その証拠に、カルチャー教室では講座があり、テレビ・ラジオでも番組が組まれ、書店へ行けば何かしらのお能をテーマとした本が陳列してある。

 

 昨年以来、外出をためらって在宅の時間が増えていると思う。この「能に生きて…」は分厚いわけではなく、平易な文章で書かれているので、お能に興味のある方は取り寄せて読んでみたらいかがだろうか。

 

 ただし、私のように知識が乏しい方は、本稿にもでてきた「シテ」って何?「子方」?「揚幕」?「橋掛かり」?「宝生流、喜多流」?「船弁慶」?となると思うので、スマホを片手にググりながらの根気強さが求められることを付言させていただく。

 

【著者、小野寺麻利子氏からメッセージをいただきました】

 本の感想を書いてくださり、ありがとうございます。拝読いたしました。

 

 能を見たこともない、という方が読んだ素直な感想! 良いな、と思います。

 まずは、お能って何? 橋掛かりって何? から興味を持っていただける方もおられるかもしれません。日本人として、お能を、一度は見ておいていただければうれしいです。

 

 (ただ、良いシテの能をぜひご覧いただきたい、というのが願いです。「中尊寺薪能」は毎年すぐれた役者による演能です。「青葉能」は拝見したことがありませんが、こちらも選ばれた技量のあるシテが能を勤められるのではないかと思います。)

 

 私の本は、一高の同窓生が書いた能の本、ということだけでも、興味を持ってくださる方が一人でもいれば良いな、と考えています。お能は難しいですが、国際化のなかで海外駐在、海外出張など経験される同窓生も多いでしょう。お能は、世界最古の演劇です。日本文化の一つとして、少しでも身近に感じていただければ、ありがたいことと思っています。

 

 お蔭さまで、本は重版を決定し、第二刷も準備中です。東京だけでなく地方在住のファンの方、また、プロの能楽師の方たちからも注文がある、と委託販売いただいている東京の書店さんが驚いていました。インターネットでの注文、電話での注文、いきなりこんなに反響がある能の本は、はじめてです、と言われ、私もうれしくなりました。

 

 また、もし可能でしたら、で結構なのですが、読んでみたい、と思われる方がいらしたら、小野寺麻利子(藤沢摩彌子)までメールいただけますように書き添えていただけないでしょうか。以下のアドレスです。件名に「本の件」など「本について」のメールであることを書いていただければと思います。

  fujisawamayako@yahoo.co.jp

 

 参考までに、インターネットで買える二つの書店さんのURLも添付します。クリックすると本の概要がわかります。頼みやすい方法を試していただければと思います。

 

 【檜書店】::能に生きて 近藤乾之助 (hinoki-shoten.co.jp)

 『能に生きて 近藤乾之助』 藤沢摩彌子 | 能楽書林 (theshop.jp)

 

 本は出会いです。私の本を手にとって、文章まで書いてくださったご縁に感謝します。

 ありがとうございます。

 

  藤沢摩彌子(小野寺麻利子)