私がここで話していることは、解離性(同一性)障害の人であれば誰にも当てはまる一般的な現象とは限らない。
残念ながら私は自分の症状を正確に表現する文章力を持たないし、認識できる「自分」の境界が、とてもあいまいだ。どこまでが自分の体験で、どこからが交代人格の経験なのか、あるいは他者から見聞きした記憶なのか、区別しがたいことがよくある。
まるで水の中に漂いながらまわりの世界を眺めているように、重さや音、色、形、味、光がぼんやり感じられて、自分が存在していないような、空気になってしまったような、ふわふわした状態になることも多い。
歩いたり話したりしながら、「あれ、おかしいな。いま、これをしているのは私じゃないぞ」と思うことがある。そんなとき、自分の肉体があれこれしているのを見て知ってはいるけれど、それが自分の意思でしているように思えないし、その肉体が受けているはずのいろいろの刺激は、感覚にまでのぼってこない。
私が私じゃない感覚。痛みも温度も喜びも悲しみも感じない、靄や霞にでもなったかのような感覚。まるで映写室からガラス窓越しに自分主演の映画を見ているかのような、実感のなさ。
これを、「離人症」というらしい。
離人症は、解離性障害でよく見られる症状のひとつでもある。私は、世間の人が「幽体離脱」と呼んでいる体験は、おそらく離人症のことではなかろうかと思っている。自分が自分じゃない感覚、意識が身体から切り離されて存在しているような離人の感覚は、幽体離脱の経験者が語る「魂が肉体から出て自分を見ている」に近い気がする。私は幽体離脱をしたことがないから、本当のところは確かめようもないのだけれど。
情報サイトなどで読んでいる限りでは、離人症はたいした病気のように思えない。多少意識がぼんやりしているだけで、生活に支障をきたすほどの症状ではなさそうだ。五感にリアリティが欠けているだけであって、視覚や聴覚がまるごと失われるわけではないのだから。実際、この離人の感覚は、健康な人でもしばしば体験しうるものらしい。
だけど実際のところ、悪化し慢性化した離人症は、とても厄介だ。
私はしょっちゅう段差や階段で足を踏み外していたし、赤信号の横断歩道に進んでしまい、車に接触しかけることが少なからずあった。夢の中を行くように歩き続けて、気がつくとどこだかわからない場所で立ち往生していることもあった。暑いとか寒いとかいうことに気がつかず、季節や天候に合わないトンチンカンな服装で外出してしまうことも。
家の中も安全とは限らない。特に、刃物や火を使う台所には危険がいっぱいだ。私は、火傷も切り傷もたくさんこさえた。体は日常の作業をしようとして動いているけれど、意識のほうはまるで他人のように無関心だから、ケガをしてもしばらく気がつかない。そんなふわふわした状態で、たとえば車の運転などしてしまったら、どんな悲惨なことが起きるだろう。
「自分」がわからなくなるというこの病気は、熱が出るとか腫瘍ができるとかいったように肉体が蝕まれる性質のものではないけれど、ほんの一瞬で身体を破壊する危険をはらんでいる。通院し始めのとき、主治医がよく「本当に危ないから、気をつけてください。ちゃんと家族に見張ってもらって」と言っていたのが、今では理解できる。
こうして健康に生きていられるのは、小さな幸運の積み重ねだと思う。
感謝…!