前回の記事からだいぶ間が空いてしまいましたが、書くことがなかったわけではありません。
この間、いろいろなことがあり過ぎて…、頭も体も疲れていました。
今回はいつもとは少し内容が違います。
もしかしたらこの記事に関して不快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、書きます。
私は、私の考えを伝えたいから。
この記事を読んで何か感じていただけたら幸いです。
先月の下旬、独身の頃にアルバイトをしていた飲食店の専務から一通のメールが届きました。
ホールマネージャーの訃報でした。
全く予想もしていなかった彼女の死。
すぐには状況が飲み込めず、何度も何度も、その短い文章を繰り返し眺めていました。
ここでは詳しく書きませんが、
検査入院のつもりで行った病院。
けれど、最後まで家には帰れなかったそう。
まだ30代半ばを過ぎたばかりの彼女。
仕事が大好きで、仕事が休みの日でもお店に来てはお酒を飲んでいたっけ。
家族のこともとても大切にしていて、少し年の離れた妹さんのことをそれはそれは可愛がっていたな。
お酒を出す飲食店なので、お酒の勉強をしにスクールにも通い、資格も取って頑張っていました。
頭の回転が早く、宴会時期など目の回る忙しさの中、マネージャーとしてホールを仕切っていました。
その他にも私の知らない彼女の顔がたくさんあったと思います。
お通夜に参列した時、とてもたくさんの方がいらしていて、彼女がいかに愛され、慕われていたかが分かりました。
私は自分自身の体調がよくなかったこと、幼い子供たちを母一人に預けてきたことが気になって、お焼香の後で帰ってきてしまいましたが、最後まで残った友人に聞いたところ、お母さんが「生きていけない」とおっしゃるほどに落ち込んでいたようで…。娘さんの葬儀の喪主を務めなくてはいけなくなったお母さんのお気持ちは私には到底計り知れません。今は悲しい、寂しいという思いを感じて、感じきって、いつかお気持ちの整理がつくことを祈っています。
私が彼女の訃報を聞いた時、真っ先に小林麻央さんのお顔が思い浮かびました。
34歳という若さでこの世を去ることになった麻央さん。
愛する夫と、幼い子供2人を残して旅立たなくてはいけなかった麻央さん。
でも、彼女はその生き様をしっかりと見せてくれた。
病気が進行し、できることが少なくなっても、その中で小さな幸せを見つけてはブログに綴った。
そして、同じ病院で苦しむ人たちの光となってくれた。
麻央さんは決して可哀想な人ではなかった。
息を引き取る直前、海老蔵さんに、声にならない声で言った言葉は、
「愛している」
だったそう。
こんなに幸せな人がいるだろうか。
私は、マネージャーもきっと同じだったのではないかと思う。
家族や、職場の仲間、たくさんの友人に囲まれて見送られて旅立った。
看護師をしている友人は「仕事柄、たくさんの人の死に直面するけれど、亡くなった時にその方がどう生きてきたのかが分かる。マネージャーはたくさんの人に愛されていた」と話していました。
また、別の友人は「マネージャーの死はすぐには受け入れられないけれど、今回のことを受けて、私は私の家族や周りの人たちに感謝の気持ちを伝えたり、会いたい人に会いに行ったりしたい」と話していました。
“死”について考えることは“生きること”について考えることと同じだと思う。
“死”という、命の終わりがあるからこそ、“どうやって生きるか”を考えるのではないか、と。
命の誕生ー“生”については何のためらいもなく言葉にできるのに、
なぜか、
命の終わりー“死”についてはどうしてもタブー視して、話せなくなってしまう。
命は、
限りあるからこそ美しいのに。
いつか終わりが来るからこそ、みんな一生懸命に生きるのに。
いつ終わりがくるか分からないこの命。
後悔しないように生きようと思う。
「生きているからこそできることを全うしていきたい。マネージャーからは本当にたくさんのことを教えてもらった」
「でも、もっとたくさん話したかったし、いろいろ教えてほしかった」
「お店に行けばいつでも会えると思っていたのに…。もう会えないかというと悲しいし、寂しい」
こんな言葉が出てくるのは、本当に彼女が愛されていた証拠。
私も、こんな風に生きたい。
最後まで長文におつきあいくださいまして、ありがとうございました。
小林裕子でした。