鉄旅と寺社めぐり写真紀行 -175ページ目

伏見大黒天 大黒寺

伏見大黒天 大黒寺



京都市伏見区鷹匠町にある京都六大黒天霊場 第六番札所、伏見大黒天 大黒寺(だいこくじ)です。




伏見大黒天 大黒寺



円通山と号する真言宗単立の寺で、空海(弘法大師)の開基と伝えられています。



もとは長福寺といい、豊臣秀吉が深くこの寺を信奉したのを初め、武家の信仰も厚かったとされています。



江戸時代はじめ、この近くに薩摩藩(現在の鹿児島県)邸が置かれ、薩摩藩主・島津家の守り本尊「出世大黒天」と同じ大黒天が当時に祀られていたことから、1615年に薩摩藩の祈願所と定められ、大黒天を本尊として、寺名も大黒寺と改められました。



通称「薩摩寺」とも呼ばれていました。



本尊・秘仏大黒天は、金張の厨子に安置された小さな像で、60年に一度、甲子の年に開帳されます。



幕末に西郷隆盛や大久保利通などが国事を論じたという一室があるほか、明治維新の志士の遺墨等を所蔵します。




伏見大黒天 大黒寺



境内には、西郷隆盛が建てたといわれる、有馬新七ら寺田屋事件で犠牲となった九烈士の墓碑をはじめ、伏見義民の文殊九助、木曽川治水工事の犠牲となった薩摩藩家老・平田靱負の墓、また、「金運清水」と命名された井戸もあります。




伏見大黒天 大黒寺



不動明王





《御朱印》



京都六大黒天霊場 第六番札所



御朱印 京都六大黒天霊場 第六番札所 大黒寺



奉拝



出世大黒天



円通山 大黒寺






【アクセス】 近鉄京都線・京阪本線「丹波橋」駅下車、徒歩5分。





金札宮

金札宮



京都市伏見区鷹匠町に鎮座する、金札宮(きんさつぐう)です。





金札宮



天平勝宝2年(750)長さ二丈におよぶ流れ星が降るという異変があり、孝謙天皇が深く憂慮されていたとき、伏見の久米の里に翁が居て、白菊を植えて楽しんでいる所業が、いかにも奇妙なので、里人が翁に名前を問うたところ、『吾は、太玉命で天下の豊秋を喜び、年久しく秋ごとに白菊を賞でて来たり、もし干天で、稲が枯れる時には白菊の露を潅がむ。』と、手に持った白菊を打ち振るうと、たちまちにして、清水が湧き出てきて尽きる事がない。



そして言われるには、『人々、一度この白菊に霑えば、たちどころに福運が着て、家運は長く隆盛し、子孫繁栄し、火災の渦から除かれるであろう。』



里人は、この奇端に驚き天皇に奏上したところ、天皇は事のほか喜ばれ(金札白菊大明神)の宸翰を里人に与えられたので、里人は力を合わせて社殿を造営したと記録されています。



伏見に宮居建設中、突然金の札が降り、札には、永く伏見に住んで国土を守らん、という誓が書いてあった。



何事かと人々が集まってくるうちに、虚空から声がして、『我こそは天照大神より遣わされた天太玉命なり、我を拝まんとすれば、なお瑞垣を作るべし』と、聞こえたという話になっています。



~金札宮の由来ヨリ~





金札宮



本殿





金札宮



境内社





金札宮 かなう~さん



かなう~さん





金札宮 クロガネモチ



金札宮のご神木、クロガネモチ(市指定天然記念物)





《御朱印》



御朱印 金札宮



京都伏見呉竹乃里 白菊翁



天太玉命



奉拝 平成二十五年十二月七日





【アクセス】 近鉄京都線・京阪本線「丹波橋」駅下車、徒歩5分。





近鉄南大阪線 6053編成

近鉄南大阪線 6053編成



近鉄橿原神宮前駅にて退避している近鉄南大阪線 6053編成です。



退避場所は、橿原線1番線のりばの反対側の待避線です。



その東側には、台車振替場 があります。




※ 2013.12.07 撮影