心が折れた52歳ランナーの顛末
2年連続の出場となる。「よく当りますね」、と言われるが、 記念すべき第1回大会(2007年)、
かの有森裕子氏の引退レースからハズレること5度。
昨年からは東京マラソンの会員組織 「ONE TOKYO」にも加入しているため倍率の優遇と
補欠当選の権利を得ている。
奏功した結果、2年連続補欠での当選。
私のレース歴は
2007年 ホノルルにてフルマラソンデビュー 5時間48分
2008年 ボルダーボウルダー アメリカ最大の参加者を誇る高地10キロレース出場
2009年 PARACUP 10キロ
2010年 外苑駅伝 5キロ
そして
2012年 東京 5時間18分
タイムトライアル 10キロ
公務員ランナー 川内選手と違って出場レースを
厳選して
厳選して
厳選した上で万全で臨むのが私のスタイル(笑)、
ホントは昔も今も長距離は好きじゃないし得意じゃない。
でも出場となると準備はしたい
2012年 1月 14日練習 720分 2月 13日練習 540分
体重 正月 70.5 レース当日 68.5
だったのに対して
2013年 1月 14日練習 790分 2月 12日練習 680分
体重 正月 71.5 レース当日 68.5
ということで
目標タイム 4時間44分44秒に設定
これ位の練習でも体内時計は完成するもので
1キロ当り
ウォーク 10分
ウォームアップ 8分
ジョグ 7分半
ロング用 6分半
5、10キロ用 5分半
皇居1周5キロでは時計無しでも10秒と狂わないタイムマネジメントが可能となった!
昨年はとにかく完走が目標
5キロ毎のラップは
32、33、36、34分、2時間17分で20キロに到達し
関門での撤収は無いなと思ってからはとにかく
ご機嫌に
ご機嫌に
ご機嫌に
思う存分楽しむことができた
さて2013年
32、32、32、と刻みつつもどうもスタート直後から脛に痛みが・・・
沿道に応援に来ていただいた方には申し訳無くも
立ち止まる余裕は無く
笑顔でのみの御礼に止めてとにかく前に前にと進めたかった。
妹、相棒に給食を頼んだ19キロ 御成門で初の一服
この5キロは33分、計2時間10分で20キロを通過。
夢の5時間切りが見えた後半、
20~25 35分 腰、膝、首に痛み発生
その後暑いのだか寒いのだかカラダに発熱っぽい症状が起きて
強風にもあおられたらもういかん
4時間台はあきらめ
昨年記録の更新もあきらめ
ひょっとして棄権も、との恐れが脳裏をかすめだすともう大変
25~30 40分
30~35 45分
35~40 48分
もう歩いている時間の方が多くなっている。。。
人生、初の経験、
心も体も両方折れたことって
人間こうなると
頑張ってた自分までを否定するんですね
何のため年末年始の暴飲草食を節制したの?
食事コンントロールしたの?
風邪ひきはご法度、留意して、留意してマスクして
あの寒さが続く中、外練したの?
頭の中はネガティブだらけ
自分の見たことの無い一面を随分と見させてもらった
長い長い後半、3時間11分、苦行の旅が終了となる
5時間21分
実は昨年と3分しか違わない???
不思議な感覚を抱きながら
去年より元気そうと出迎えてくれた彼女たちには
マラソン引退を表明。
翌日、2番機で福岡出張のため連日の5時起床、
意外にカラダのダメージは少なかったようだが、今日28日現在、マインドは回復していない。
またスタートラインに立つ日は来るのだろうか?
知事も変わったことだし