たからの地図

たからの地図

高校生・神村尚樹がある日発見した、幼き日の「たからの地図」にまつわるミステリ。

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 尚紀の住んでいる市は人口こそ少ないが、かなり面積が大きい。草木や水などの自然も比較的たくさんある。そのためか市のはずれには大きな工場が乱立し、ダムが建てられ、その近くには原発まで建てられた。これらを歓迎していない市民は少なくなかったが、広い市内を行き交う路面電車においては、二十年前に設置されてから現在までずっと人気がある。しかし人口が少ないため、混み合うことは滅多になかった。

 尚紀はそんな路面電車に乗りながら北町へと向かった。車内には六十は過ぎているであろう老人が数名と、その孫であろう子供が数名乗っているだけだった。

 北町はその名の通り、市内の最北端に位置する地域だった。路面電車の駅を降りると、すぐ前には巨大な脳外科病院と駐車場とがあり、嫌でも尚紀の視界に入ってきた。そしてその隣には探していた『スペシャル・マート』があった。更にその隣にはパチンコ屋、建物を挟んで向こう側には河川敷が広がっているようで、手前には線路が走っている――尚紀は一応ポケットから地図を取り出した。一番上の道端に書かれた『スペシャル・マート』の隣には建物の姿は無く、前後に河川敷も線路も無かった。尚紀は踵を返して、今度は緑ヶ丘町行きの電車を探した。

 

緑ヶ丘町もその名の通り、森に囲まれた丘の上にあった。十年程前から新しく開発されてきた地域の一つで、丘の麓にある駅から上を見遣ると、モデルハウスの旗が幾つか揺らめいているのが見えた。

 尚紀は駅を降り、丘の上へと続く坂道を上り始めた。真っ直ぐに舗装されているその道は森に囲まれているせいもあって、尚紀の通学路と似通ったところがあった。尚紀は一瞬あのトム・ソーヤーの物語を思い出したが、すぐ頭を左右に振り、考えないようにした。

 丘の上は、まだ開発中なのか、それほど広大な感じはしなかった。地域全体を静けさが覆っている感じだった。しかし、確かに新開発地域というだけあって、住宅も皆新しいものばかりが整然と並んでいる。坂を上りきったところにある町内の案内板にも、綺麗な碁盤状の地図が描かれていた。

 尚紀はその案内板から、あるものを探していた。そしてそれはすぐ見つかった。現在地が図の一番左上に記されていて、そこから右に半分ほど進んだところ、そこに『スペシャル・マート』はあった。

 尚紀はすかさず地図を取り出し、案内板と照らし合わせてみた。案内板の図に比べて、尚紀の地図は『スペシャル・マート』の位置が少し左よりになっていたが、隣に建物がないところ、そして道の端に建っているところは一致していた。もうひとつ、地図中の建物がこの場所に比べて少ないという違いがあったが、この辺りの地域が最近新しく開拓された町であり、手元の地図の古さを考えれば、一応納得がいった。

 これはきたぞ、と尚紀は心の中で笑った。彼は早速宝の位置を探して掘り出そうかと考えたが、すぐに掘ってしまうのは少し惜しい気がした。それで少し町内をぶらぶらすることにした。

 案内板でいうと東の方角に進んでいくと、例の『スペシャル・マート』が見えた。本当に地図がこの場所だとすると、このコンビニは十年前くらい――まだ開発が初段階の時から建っていたことになる。確かに壁が黒ずんでいる部分もあるが、本当にそんな前から建っていたのだろうか、と尚紀は少し疑問に思った。

 それから更に進んでいくと、曲がり角に突き当たった。周りの森が一瞬途切れて、街の様子が少し望めた。この街にはあちこちに坂や丘があるが、ここはその中でもかなり高い位置にあるようだった。

それにしてもあまり大きい街でないとは言え、高い場所から見下ろすと、まるで小さな建物が敷き詰められているようだった。坂があるせいで街全体の高低差が激しく、余計奇妙な光景だ。あんな場所で毎日を過ごしているのかと思うと、尚紀は息が苦しくなる気がした。

 尚紀が街から目を逸らし、曲がり角を曲がろうとした。すると、急に広大な空き地が視界に飛び込んできた。先ほど見た街の光景とのギャップが激しく、尚紀は少しうろたえた。

 その空き地は広さこそあるが、少し荒れ果てたような感じだった。雑草は生い茂り、コンクリートの破片が散らばり、端には木材や土管が積まれている。新しく出来た建物に囲まれた中で、明らかに異彩を放っている。『立ち入り禁止』という看板が出ているので何か土木関係の物置なのかな、と尚紀は思った。しかし開発中の場所ならまだしも、結構な数の住宅が建ち並ぶこの場所に物置など作るだろうか。木材などを運び出すにしてもかなり不便のはずだ。そして実際、かなり広大な土地なのに、使われているスペースはほんの僅かだけだった。尚紀はどうにも奇妙な感じを覚えた。彼にとって、全くどうでもいいようなことではあったが。

 しばらくそうやって空き地の中を見遣っていた尚紀の背後に、不意に一人の女性が近づいてきた。

「あれ、ひょっとして神村君?」

「はい?」尚紀は虚をつかれたように少しびくっとして振り返った。

 尚紀の後ろには、首が隠れる程度に伸ばした艶のある黒い髪と、丸い瞳が印象的の若い女性が立っていた。私服を着ていたので若干雰囲気が違うが、その姿は確かに尚紀と同じ学校に通う黒川結だった。彼女は手にビニール袋を提げていた。

「あ、やっぱり神村君だ」神村君、という言葉が尚紀の胸を少しつついた。

「黒川……なんでこんなところに?」

「なんでって、私の家はこの近くだもの。神村君こそ一体何してるの?」

「俺か? 俺は……」尚紀は言葉に詰まった。

「?」結は不思議そうに首を傾げた。

「このあたりに知り合いがいてな、ちょっと使いを頼まれたんだ」

それは尚紀の口から辛うじて出た嘘だった。さすがに地図の話をするのは阿呆らしいよな、と彼は思った。

「へえ、そう」結は少し疑っているようだったが、それ以上聞かなかった。

 

神村尚紀と黒川結は幼稚園以来の知り合い、いわゆる幼馴染みという関係だった。幼稚園と小学校の頃はお互い近所に住んでいて、よく一緒に遊び回っていた。尚紀はその思い出の多くを不思議なほど忘れてしまったが、冬に近所の雪山でソリ遊びをしたことだけは何故か鮮明に覚えていた。もっともその場所は排雪車が雪を捨てる場所だったので遊ぶことは禁止だったが、彼等はそんなことに構わず歓声を上げながらソリ遊びに勤しんだ。そしてソリを押す役は、概ね尚紀だった。

「なおき、はやくおしてよ」結のそんな声は、尚紀の頭の片隅に未だ残っていた。

しかし小学校に入って、尚紀と結の距離は少しずつ離れていった。そして中学校に上がると、結は市内の別の場所へ引越していった。それを尚紀が知ったのは、結の引越後二日経ってからだった。高校に入ってからも、お互い同じ高校だという認識はあったが、話したことは無かった。

 尚紀は久しぶりに言葉を交わした結を目の前にして、『なおき』と最後に呼ばれたのは何時だったろう、などと考えていたのだった。

 

 二人は緩やかな芝生の斜面に腰をおろして、少しの間雑談をしていた。だが内容はクラスのこと、教師のこと、進路のことなど極めて表面的なものだった。そしてしばらくすると当然のように話題が途切れ、二人とも同じタイミングで腰を上げた。それと同時に、尚紀は気になっていた疑問を思い出し、結にそれとなく尋ねた。

「ここ……随分広い空き地だよな」

「え? ああ、そこは」予測していなかった質問らしく、結は少し戸惑いながら言った。

「昔から空き地なんだけど、土地の持ち主はいるらしいのよ。でもずっと放っておいたままで……土地の管理会社の人も困っているみたい」結は短めの髪をいじりながら言った。

「それはまた不思議な話だな」

「うん。私が五年くらい前に越してきた時から、こんな感じだったよ」

 尚紀はへえ……と呟き、再び結に尋ねた。

「そういえば、なんで黒川は引っ越してきたんだ?」

「それは……実は私も良く分からないんだけど、早い話が親の仕事の都合ってとこかな。ウチの父親、八年位前に会社を変えたしね」結はどこか浮かないような顔をして言った。

「ああ、そうか」尚紀は、結の父親が薬剤の調合師をしていたことを思い出した。

少し沈黙が流れそうになった。それが嫌だったので尚紀は話を続けた。

「それにしても、この街にこんなところがあるなんて全然知らなかったな」

尚紀がそう言って街を見渡した。すると、結は少し意外そうに言った。

「私は引っ越す前にも一回この辺りに来たことあるけど……あれ? その時に尚紀君いなかったっけ?」

 え? と尚紀は振り向き、結の目を見た。尚紀は初めて訪れる場所という前提でここに来た。昔訪ねてきたという記憶などひとつも無い。しかし尚紀は結の目が本当のことを言っているような気がして、少し嫌な予感がした。


 それからすぐ、結は宅配便が来る時間だと言って帰っていった。宅配便が来るから家にいなくてはならない――というのは尚紀が昔部活をサボるのに良く使った嘘だったので、彼はいささか気になった。

丘の上から見下ろす街の向こうに、日が沈んでいくのが見えた。それは中々壮観だったが、だからといって楽しい気分や感傷的な気分に、尚紀は何故かなれなかった。ましてや宝を掘り出す気分になどなれなかった。尚紀は仕方がないので、また路面電車を使って家へ戻ることにした。

 柏田町行きの路面電車は、朝と同じで乗客は少なかった。座席もほとんど空いていたが、尚紀は吊り革に掴まりながら外を眺めていた。正体は分からないが、漠然とした嫌な感じが彼の胸の中に渦まいていた。

 尚紀は何ともなしに車窓の外を眺めていたが、やはり冬は日の暮れるスピードがかなり早い。彼が自宅のある柏田町の駅に着いた頃には、空にくっきりと月が見えていた。

 尚紀は玄関のドアを開け家の中に入った。相変わらず何の臭いもしない家だ。それとも自分の家だから気付かないだけかな、などと思いながら彼は靴を脱いだ。

 尚紀はそのまま玄関脇の階段を上って自室へ行こうとしたが、階段に足をかけた瞬間、居間の扉が開いて彼の母親が顔を出した。

「遅かったね。どこに行っていたの」

「ああ、ちょっとね」

「へえ、そう」

尚紀が「ちょっと」とか「別に」などと言う時は、大抵機嫌が悪い時だった。彼の母親はそれを知っていた。

「もう少しで夕食だからね」彼女はそれだけ言って後は何も言わず、扉を閉めた。

 尚紀は階段を上がり、部屋の扉を開けた。急に冷たい空気が流れてくる。彼は素早く電気とストーブを点けた。そしてフリースを脱ぎ、そのままベッドに横たわった。

少し天井を眺めてから、彼は机の上に手を伸ばして携帯電話を手に取った。実は今日、携帯電話を忘れて彼は出かけてしまったのだった。

 尚紀は電話番号の登録画面を開いた。やはりそこには黒川結の名前は無かった。

(番号くらい、聞いておいても良かったかな)

彼はそう思ったが、登録したところで電話をすることもないだろうなと思った。ふっと息を吐き、彼は一番上に登録してある番号を選んだ。

 呼び出し音が三回鳴って、西村が出た。

「はいはい」

「見つかったよ」

「いきなりそれか。まあいいや、一体どこの地図だった?」

「緑ヶ丘。最近新しく出来た地域だよ」

「へえ、あそこか……」西村はそう言って、少し黙り込んだ。

「……どうした?」

「あ、いや何でもない。ところで何だったんだい、『宝物』ってのは」

「それなんだけど、実はまだ掘り出してないんだ」

「え? だって実際にその場所まで行ったんだろ?」

「ああ。でもちょっと知り合いに会ってね。話していたら時間が過ぎちまったんだ」

「それはそれは。何というか……二度手間になってしまったね」

「誰に会ったか聞かないのか?」

「僕の知っている人なのかい?」

「三組の黒川だよ」

「へえ。あそこに住んでいたのか」

「そうらしいね。俺も今日初めて知ったよ」

「君は彼女と親しいのかい?」

「昔幼馴染みだったってだけさ」尚紀は少し苦笑いを浮かべた。

「初耳だな」

「昔の話だからね」

「昔ねえ……」西村は呟くようにそう言い、話題を元に戻した。「それじゃあ、今度はいつ掘りに行くんだい?」

「さあねえ、いつ掘りに行くかは決まってないな」尚紀はまた苦笑いを浮かべながら言った。「このまま放っておくかもしれないし」

「なんだ、朝と違って意欲がないな。彼女と会ったからかい?」

「別に。そんなことはないよ」

「別に、と行った時点で君の機嫌が悪い証拠だ」

尚紀はやってしまった、と少し悔やんだ。

「まあいいじゃないか、いつかは堀りに行こうと思っているよ」尚紀はそう言って茶を濁した。

「まあね」西村はそう言って尚紀の機嫌についてそれ以上触れなかったが、最後に一言こんなことを付け足した。「明日だったら僕も一緒に行ってあげるけど?」

尚紀は最後の言葉に少し驚いた。「なんだって?」

「明日なら僕も暇だから、付き合ってもいいよってこと」

「なんで急にそんなこと……宝探しなんか興味がないんじゃなかったのか?」

「少し理由がね、できたんだよ」

「どんな?」

「ひとつは、やはり君がどうもやる気を失くしたようだから、手助けしてやろうと思ったからさ」西村はそう言ったが、尚紀は直感的に嘘だと思った。

「ふたつめは」西村は少し間を置いて言った。「君の話がちょっと変だからさ」

「俺の話が変だって?」

「君の話が本当だったら、という話さ。良く考えてごらん。君の話だと緑ヶ丘町に宝が埋まってるんだろ? でも君の言った通り、緑ヶ丘はまだ開発中ともいえるほど新しい地域だ。十年前はそれこそ建物が数軒建っていたかどうかって感じだな。そして僕の予想ではその地図も十年くらい前に書かれたものだ。いいかい? まだ森に囲まれていて、やっと工事が始まったくらいの高丘の上に、小さな子供達が宝物なんか埋めるんだよ。一体なんの必要があってそんな場所に? 良く考えれば、これは結構不気味な話だと思わないかい?」西村は一息でそこまで言った。

尚紀はその話を聞いて一瞬混乱したが、整理してみて、なるほどなと思った。

「……それもそうだな……一体どうしてそんなところに、か」

「あそこは丘が重なって出来たような地域だ。市内で一番高い場所にあると言ってもいい。当時、普通の人なら近づかないよ」西村は少し力説した。

「確かに少し不気味だな」

「だろう?」

「家族でハイキングに行った……なんて、無いな」

「はは、それは無いだろうなあ。当時はもう工事も始まっていただろうし」

西村も電話口で何か考えているようだった。少し間を置いて彼は言った。「工事現場の人も、自分の子供は連れて行かないだろうしなあ」

「自分の子供が宝物なんか埋めたら、工事現場の人は怒るだろう」

「そうだよねえ」

 二人の間に沈黙が流れた。開拓工事が始まったばかりの何もない場所に、何故子供達が宝ものなんかを埋めたのか? その不自然じゃない理由を、二人は考えているのだった。しかし答えなかなか出ず、三分くらい二人は黙ったままだった。

 沈黙を破ったのは、西村だった。「あ」と声を出し、彼は言った。

「こういうのはどうだい? 丁度十年くらい前に大洪水があっただろ。緑ヶ丘を含めてあの辺りの地域一帯は高い場所にあるから、避難場所として使われたわけだ。そしてその時、子供達が暇つぶしに今の緑ヶ丘町まで行って、宝を埋めた。どうだい?」

 西村が避難場所、と言ったところで、尚紀の心臓に一筋の電撃が走った。そして先ほどの『嫌な予感』が、若干具体的な形となって尚紀の胸に響いた。

「ああ、それはあるかもしれないなあ」

尚紀はうわ言の様にいい、通話を切った。そしてベッドに腰掛け、記憶の糸を手繰り寄せ始めた。


 

 市内で最大のオフィスビルでは、今日もいつも通り電話やコピー機の音が鳴り、社員達は気合を入れたり、サボったり、雑談したりしている。

しかしその真下――地下三階の古い倉庫では、積まれたダンボールの陰に隠れて息を潜めている男がいた。黒皮のジャケットとジーンズを履いた尚紀だ。彼は血走った目をギョロギョロさせながら、辺りを警戒していた。

 やがて、コツ、コツ、と何者かの足音が聞こえてきた。徐々に音が大きくなる。尚紀はごくり、と唾を飲んだ。

 不意にぴたりと足音が止んだ。何者かはしばらく立ち止まって辺りの様子を確認した後、急に懐から拳銃を取り出し、尚紀の方に発砲した。けたたましい音が三度響き渡り、銃弾が段ボール箱を貫通し、金属音を立てて床に転がった。運良く銃弾から逃れた尚紀は、近くに転がってきた銃弾を掴んだ。何者かは、またコツ、コツ、と尚紀の方に少しずつ近づいてくる。

次の瞬間、尚紀はダンボールの影から銃弾を放り投げた。それは放物線を描いて、何者かの後方に落ちた。かちゃんと音がして、何者かが振り返る。その隙に尚紀は段ボールの影から飛び出し、近くの非常口までひた走った。

 しかし何者かは、尚紀が動く気配をすぐに感じ取った。彼(彼女)は素早く身をひるがえし、銃を構えた。一瞬、二人の目が合い、時間の流れが急にスローになる。尚紀は、その時初めて『何者か』が女性だということに気がついた。女が銃をぐっと前に押し出し、力を込める。尚紀は手で顔を覆いながら倒れ込み、近くの物陰へと滑り込みをはかる。

 しかし彼女は銃を構えた状態のまま、急にゆっくり前へと倒れ込んだ。瞬間、銃声が響き渡り、弾が床に突き刺さる。女は足払いを食ったのだ。倒れ込む彼女の背後に、男の姿が見える。男は素早い動きで女の腕を後ろに回した。そして尚紀の顔を見て、笑みを浮かべる――。


 そこで尚紀はかっと目を見開いた。そしてニ、三度瞬きをした。まだ頭がぼうっとしている。背中の冷や汗の不快さだけが、はっきりと伝わってきた。

「なにが、どこがトム・ソーヤーだよ」

彼は吐き捨てるようにそう言い、傍らの置時計を手に取った。六時三分だった。休日なのだから、もう一度眠ろうと彼は目を閉じたが、夢の続きを見るかもしれないと思い、再び目を開けた。

 五分ほど彼は何も考えず天井を眺めやっていたが、ふとあることを思い出した。彼は仰向けのまま、ベッドに隣接している机の上に手を伸ばし、一枚の紙を手に取った。そして八折りになっているその紙を開き、上にかざした。

 『宝の地図』は、薄暗い中でも、はっきりと黄ばみが分かった。

クレヨンのようなもので書かれた道が、縦に三本、横に二本、碁盤状に通っている。ちょうど中央に、宝らしき◎マークが描かれている。左上の道外れに、ぽつんとスペシャル・マート(四角い箱のような建物の横に、『すぺしゃるまーと』と表記してある)というコンビニがあり、他にも建物が描かれてはいるが、数は極端に少ない。

尚紀はぼんやりそれを眺めながら、昨日の西村の言葉を反芻した。

(それが君のものじゃないとして、どうなんだい。単に誰かが君の家に忘れていったものかもしれないし、君がいつか拾ったものかもしれない)

確かにそうだと、尚紀も思った。小さい時のことだ、いつ何を拾ったり貰ったりしようと、覚えていなくても無理は無いと。

 しかし彼にはよく理解できない点が、この幼稚な地図の中に三つあった。

 一つ目は、地図中の中央に描かれている◎マークだった。その周りに高級感を表しているらしいキラキラマークが幾つか描かれていることから、この◎マークが、『宝』を示していることは推測できた。しかし問題は、◎が一体何なのかということだった。尚紀は直感的にドーナツを連想したが、いくら小さい頃といっても小学校一年程度の子供が、土の中に生ものを入れるとは思えなかった。そこで尚紀は、これは『物』自体を表すのではなく、ただ宝の位置を示すだけの抽象的なマークであると考えた。可能性は十分あると思った。しかし位置を示すだけの印に、わざわざキラキラマークをつけるだろうか、とも思った。

 二つ目は、地図中の右下にある棒人間だ。○に木の枝をくっつけたような、お粗末な人間が、一箇所に五人固まっている。その無機質さに、尚紀は少し気味の悪さを感じた。地図に人物を描き込むという妙な描写が、それだけで彼をそういう気分にさせた。

 三つ目は非常に根本的な疑問だ。それは、この地図が一体どこの地図なのか、というものだった。つまり、尚紀はこれがどこの地図なのか分からないのだ。どこにでもあるような道に、どこにでもありそうな建物――唯一、地図中に書かれた『スペシャル・マート』というコンビニエンス・ストア名だけが、手がかりになりそうだった。

 尚紀はこの三つの疑問について、色々と思案してみたが、それらはあくまで推測でしかなかった。やはり事実を知るには実際に掘るしかない、と彼は思った。しかし何をするにしても、まずは地図の場所を知らなくては話にならなかった。

 彼は地図を折りたたみ、ベッドから起き上がった。机上に紙を置き、代わりに携帯電話を取り、ベッドに腰を下ろした。そして登録してある番号の中から『西村幾人』を選び、通話ボタンを押した。

 五回目のコールで、西村が眠そうな声で電話に出た。

「朝早くからどうしました、神村さん」

尚紀は今が朝の六時過ぎであるということに、改めて気付いた。

「ああ悪い。大した用事じゃないんだけど」

「何?」

「……変なこと聞くんだけど」

「だから何だい」さすがに少し機嫌が悪そうだ。

「ほら、スペシャル・マートってあるだろ。あれ、この町に何軒ある?」

「……はあ?」

「変なことって言ったろ。で、何軒あるんだ?」

「はあ……そういうことか」西村が電話口でニヤリと笑う気配がした。

「?」

「例の地図にそこまで凝ってるのかい」

なんて奴だ、と尚紀は思った。

「まあいいじゃないか。場所が分からないと気になるだろ?」

「場所も分からないのか……それはさすがに妙だな」

「だろ? お前もそう思うか」少し尚紀の声が弾んだ。

「いやいや、少し変だというだけだよ」西村が一蹴する。

「何だよつまらないな。……まあいいや。で、何軒ある?」

「スペシャル・マートねえ。ええと……僕の記憶が正しければ、四軒かな」

「四軒か。それぞれ何処にあるんだ?」

尚紀は、数学のノートの端にメモを取る用意をした。

「柏田町、旭町、北町、それから……緑ヶ丘」

「北町、緑ヶ丘と。悪かったな、ありがとう」

「もういいのかい」

「ああ、それだけだ」

「じゃ、何か面白いことがあったら、一応、言ってくれよ」

「ああ、分かってるさ。じゃあな」尚紀はそう言って通話解除ボタンを押した。

(なんだ、少しは気になっているんじゃないか)

尚紀は心の中でそう思い、少し真面目にやってみる気になった。


 西村が言っていた五軒のスペシャル・マートの中で尚紀が知っていたのは、家に一番近い柏田町と、国道に面している旭町の二店舗だけだった。

だがこの地図を見る限り、住宅地の密集している柏田町は違うようだった。それから旭町も違うと尚紀は踏んだ。車通りの激しい国道の脇に建っていて、あの周りにこんな場所は無いと考えたからだ。そうなると地図中のスペシャル・マートは、寿町・北町・緑ヶ丘の三軒に限られたが、生憎尚紀は町の場所までは辛うじて分かったが、コンビニの場所まではさっぱりだった。行動範囲の狭い男だ、と我ながら思った。


 それから尚紀はぼんやりと何かを考えながら、仰向けのままベッドに倒れ込んだ。そして天井を数秒見つめてから、大きく息を吐いて立ち上がった。そしてジーンズとフリースに着替え、地図をポケットにねじ込み、部屋を後にした。

 

 十月。この町の至るところには茶色の葉が散らばっている。それを踏みつければ、くしゃっと弾けるような音が脳裏に一瞬浮かぶが、前日の雨で湿ったそれは、ただしぼむように潰れるだけなのだった。
 市内の高校生である神村尚紀は、そんな朝の坂道を、少しでも気持ちよく潰れる葉はないものかと、さりげなく落ち葉を踏みつけながら学校へと向かっていた。
 彼の家から学校までは長い一本道で繋がっている。大きくも賑やかでも無く、学生もさほど利用せず、その上坂道なくせに距離だけはニキロもある道だ。この道は彼にとって退屈この上ないものだったが、その日だけは少し違った。
 彼は頭にとある物語を描いていた。それは彼が幼い頃に読んだ――というより唯一の肉親である母親から聞かされたトム・ソーヤーの冒険をモチーフにしたものだ。彼はその物語を、ハードボイルド仕様にし、そしてトムとハックルベリー・フィンを自分と同じ十七歳に設定して、オリジナリティー溢れる稚拙な物語を、落ち葉を踏み踏み想像していたのだった。しかし物語が先に進むにつれて、それはトム・ソーヤーの冒険と大きくかけ離れていった。そして彼が校舎の門をくぐった瞬間、物語はパチンと音を立てるように消えた。
 彼がそうやって物語を想像するのは、とても久しぶりのことだった。彼は小中高と同じ道を通っているが、小学校の頃などは毎日取りとめの無い想像をしていた。もっとも当時はポケモンだとかドラクエだとか、ゲームなどの世界に自分を投影するばかりであったが、当時の彼にとって、それはとても刺激的な「遊び」だった。
 そんな彼がこの日、とても久しぶりに物語を、しかもトム・ソーヤーを元にしたものを思い浮かべていたのには、ひとつ理由があった。

 

 始業四十分前に尚紀は校舎に着いた。二年生の教室が集う三階の長い廊下には、まだほとんど人がいない。彼は自分の教室である二組を素通りし、四組の教室に入った。
室内には生徒が五人いるだけだった。さらに五人中四人が今来たばかりという感じで授業道具の準備などをしていたが、ひとり、窓際後ろの席で悠々と読書をしている生徒がいた。尚紀はその生徒の前の席に座ったが、少年は気にせず読書を続けている。白い滑らかな顔に、細い銀縁の眼鏡をかけている、紅顔の少年だ。眼鏡越しには長い睫毛が見えた。
「相変わらず早いな西村は」
尚紀が挨拶代わりにそう声をかけると、西村という少年は視線だけ上に向けて「まあね」と言った。
 西村はまた文庫本に目を落としたが、すぐにパタンと閉じて机の中にしまい込んだ。
「すっかり寒くなったね。本州の方はまだ暖かいのかな」西村が窓の外を見やった。
「北海道の冬は嫌か」
「いや」西村は尚紀の方に向き直った。「雪は好きだ」
 徐々に生徒が増えてきて、教室の中はにわかに騒がしくなった。目付きの鋭い女生徒が尚紀の座っている机の上に鞄を乱暴に置き、どこかへ去って行った。
「そうだ、これを見てくれよ」
尚紀はそそくさとポケットから一枚の紙を取り出し、机の上に広げた。A4の紙を八折りにして、ずっとポケットの中で握り締めていたので、折り目が細かく人肌に温かい。
「なんだそれ?」西村が眉をひそめた。
 尚紀が広げた紙には、黒いクレヨンで道らしき線が縦横に引かれていて、その傍らには建物らしきものが数軒、書きなぐられていた。どう見ても、小学生低学年以下の作品だ。
「随分古いな」西村が紙のひどい黄ばみを見て言った。
「これ、なんだと思う?」
「地図だろ。小さい子の書いた」
「ただの地図じゃないぞ」
「そうだね……宝の地図ってとこかな」
西村が地図中に書かれた◎マークを指差した。◎の周囲には、菱形に圧力をかけて凹ませたような、キラキラマークがたくさん書かれていた。
「やっぱりそう思うか。昨日本棚の下から見つけたんだ、これ」尚紀が紙を手に取った。
「そう思うかって、どういうこと? 君が書いたんだろ?」
「いや、違うんだな」尚紀が間を置いて言った。
「これは俺が書いたものじゃなくて、誰か別の子供が書いたものなんだ。俺自身書いた記憶は全く無いし、そして何より――」
尚紀は地図中の建物の一つに書かれた「すぺしゃるまーと」という文字を指差し言った。
「俺は平仮名より片仮名を最初に覚えた」
 尚紀がそう言ったところで、不意に始業のベルが鳴り響いた。周囲の生徒の動きが慌しくなる。西村は小さく「やれやれ」と呟いた。
「それが君のものじゃないとして、どうなんだい。単に誰かが君の家に忘れていったものかもしれないし、君がいつか拾ったものかもしれない」
「そりゃあそういう可能性もあるけどさ……なんか面白いじゃないか」
「なにが?」
「『謎の宝の地図』なんてさ。トム・ソーヤーを思い出すよ」
尚紀は紙を元通りポケットにしまい、ぽんと叩いた。
 数分前から後ろに立っている女性徒に気付いたのか、尚紀は「じゃあ」と小さく言って西村の机から素早く離れていった。
「ようわからんなあ」西村が机から本を取り出しながら呟いた。
 尚紀は背中で西村の声を聞き、教室の扉まで来て一度振り返った。その時、西村の読んでいる本の題を見た。そこには大きい文字で『真・死後世界』と書かれていた。
「お前の嗜好こそ、俺にはよく分からないけれど」
尚紀は口の中でそう呟き、教室を出た。