尚紀の住んでいる市は人口こそ少ないが、かなり面積が大きい。草木や水などの自然も比較的たくさんある。そのためか市のはずれには大きな工場が乱立し、ダムが建てられ、その近くには原発まで建てられた。これらを歓迎していない市民は少なくなかったが、広い市内を行き交う路面電車においては、二十年前に設置されてから現在までずっと人気がある。しかし人口が少ないため、混み合うことは滅多になかった。
尚紀はそんな路面電車に乗りながら北町へと向かった。車内には六十は過ぎているであろう老人が数名と、その孫であろう子供が数名乗っているだけだった。
北町はその名の通り、市内の最北端に位置する地域だった。路面電車の駅を降りると、すぐ前には巨大な脳外科病院と駐車場とがあり、嫌でも尚紀の視界に入ってきた。そしてその隣には探していた『スペシャル・マート』があった。更にその隣にはパチンコ屋、建物を挟んで向こう側には河川敷が広がっているようで、手前には線路が走っている――尚紀は一応ポケットから地図を取り出した。一番上の道端に書かれた『スペシャル・マート』の隣には建物の姿は無く、前後に河川敷も線路も無かった。尚紀は踵を返して、今度は緑ヶ丘町行きの電車を探した。
緑ヶ丘町もその名の通り、森に囲まれた丘の上にあった。十年程前から新しく開発されてきた地域の一つで、丘の麓にある駅から上を見遣ると、モデルハウスの旗が幾つか揺らめいているのが見えた。
尚紀は駅を降り、丘の上へと続く坂道を上り始めた。真っ直ぐに舗装されているその道は森に囲まれているせいもあって、尚紀の通学路と似通ったところがあった。尚紀は一瞬あのトム・ソーヤーの物語を思い出したが、すぐ頭を左右に振り、考えないようにした。
丘の上は、まだ開発中なのか、それほど広大な感じはしなかった。地域全体を静けさが覆っている感じだった。しかし、確かに新開発地域というだけあって、住宅も皆新しいものばかりが整然と並んでいる。坂を上りきったところにある町内の案内板にも、綺麗な碁盤状の地図が描かれていた。
尚紀はその案内板から、あるものを探していた。そしてそれはすぐ見つかった。現在地が図の一番左上に記されていて、そこから右に半分ほど進んだところ、そこに『スペシャル・マート』はあった。
尚紀はすかさず地図を取り出し、案内板と照らし合わせてみた。案内板の図に比べて、尚紀の地図は『スペシャル・マート』の位置が少し左よりになっていたが、隣に建物がないところ、そして道の端に建っているところは一致していた。もうひとつ、地図中の建物がこの場所に比べて少ないという違いがあったが、この辺りの地域が最近新しく開拓された町であり、手元の地図の古さを考えれば、一応納得がいった。
これはきたぞ、と尚紀は心の中で笑った。彼は早速宝の位置を探して掘り出そうかと考えたが、すぐに掘ってしまうのは少し惜しい気がした。それで少し町内をぶらぶらすることにした。
案内板でいうと東の方角に進んでいくと、例の『スペシャル・マート』が見えた。本当に地図がこの場所だとすると、このコンビニは十年前くらい――まだ開発が初段階の時から建っていたことになる。確かに壁が黒ずんでいる部分もあるが、本当にそんな前から建っていたのだろうか、と尚紀は少し疑問に思った。
それから更に進んでいくと、曲がり角に突き当たった。周りの森が一瞬途切れて、街の様子が少し望めた。この街にはあちこちに坂や丘があるが、ここはその中でもかなり高い位置にあるようだった。
それにしてもあまり大きい街でないとは言え、高い場所から見下ろすと、まるで小さな建物が敷き詰められているようだった。坂があるせいで街全体の高低差が激しく、余計奇妙な光景だ。あんな場所で毎日を過ごしているのかと思うと、尚紀は息が苦しくなる気がした。
尚紀が街から目を逸らし、曲がり角を曲がろうとした。すると、急に広大な空き地が視界に飛び込んできた。先ほど見た街の光景とのギャップが激しく、尚紀は少しうろたえた。
その空き地は広さこそあるが、少し荒れ果てたような感じだった。雑草は生い茂り、コンクリートの破片が散らばり、端には木材や土管が積まれている。新しく出来た建物に囲まれた中で、明らかに異彩を放っている。『立ち入り禁止』という看板が出ているので何か土木関係の物置なのかな、と尚紀は思った。しかし開発中の場所ならまだしも、結構な数の住宅が建ち並ぶこの場所に物置など作るだろうか。木材などを運び出すにしてもかなり不便のはずだ。そして実際、かなり広大な土地なのに、使われているスペースはほんの僅かだけだった。尚紀はどうにも奇妙な感じを覚えた。彼にとって、全くどうでもいいようなことではあったが。
しばらくそうやって空き地の中を見遣っていた尚紀の背後に、不意に一人の女性が近づいてきた。
「あれ、ひょっとして神村君?」
「はい?」尚紀は虚をつかれたように少しびくっとして振り返った。
尚紀の後ろには、首が隠れる程度に伸ばした艶のある黒い髪と、丸い瞳が印象的の若い女性が立っていた。私服を着ていたので若干雰囲気が違うが、その姿は確かに尚紀と同じ学校に通う黒川結だった。彼女は手にビニール袋を提げていた。
「黒川……なんでこんなところに?」
「なんでって、私の家はこの近くだもの。神村君こそ一体何してるの?」
「俺か? 俺は……」尚紀は言葉に詰まった。
「?」結は不思議そうに首を傾げた。
「このあたりに知り合いがいてな、ちょっと使いを頼まれたんだ」
それは尚紀の口から辛うじて出た嘘だった。さすがに地図の話をするのは阿呆らしいよな、と彼は思った。
「へえ、そう」結は少し疑っているようだったが、それ以上聞かなかった。
神村尚紀と黒川結は幼稚園以来の知り合い、いわゆる幼馴染みという関係だった。幼稚園と小学校の頃はお互い近所に住んでいて、よく一緒に遊び回っていた。尚紀はその思い出の多くを不思議なほど忘れてしまったが、冬に近所の雪山でソリ遊びをしたことだけは何故か鮮明に覚えていた。もっともその場所は排雪車が雪を捨てる場所だったので遊ぶことは禁止だったが、彼等はそんなことに構わず歓声を上げながらソリ遊びに勤しんだ。そしてソリを押す役は、概ね尚紀だった。
「なおき、はやくおしてよ」結のそんな声は、尚紀の頭の片隅に未だ残っていた。
しかし小学校に入って、尚紀と結の距離は少しずつ離れていった。そして中学校に上がると、結は市内の別の場所へ引越していった。それを尚紀が知ったのは、結の引越後二日経ってからだった。高校に入ってからも、お互い同じ高校だという認識はあったが、話したことは無かった。
尚紀は久しぶりに言葉を交わした結を目の前にして、『なおき』と最後に呼ばれたのは何時だったろう、などと考えていたのだった。
二人は緩やかな芝生の斜面に腰をおろして、少しの間雑談をしていた。だが内容はクラスのこと、教師のこと、進路のことなど極めて表面的なものだった。そしてしばらくすると当然のように話題が途切れ、二人とも同じタイミングで腰を上げた。それと同時に、尚紀は気になっていた疑問を思い出し、結にそれとなく尋ねた。
「ここ……随分広い空き地だよな」
「え? ああ、そこは」予測していなかった質問らしく、結は少し戸惑いながら言った。
「昔から空き地なんだけど、土地の持ち主はいるらしいのよ。でもずっと放っておいたままで……土地の管理会社の人も困っているみたい」結は短めの髪をいじりながら言った。
「それはまた不思議な話だな」
「うん。私が五年くらい前に越してきた時から、こんな感じだったよ」
尚紀はへえ……と呟き、再び結に尋ねた。
「そういえば、なんで黒川は引っ越してきたんだ?」
「それは……実は私も良く分からないんだけど、早い話が親の仕事の都合ってとこかな。ウチの父親、八年位前に会社を変えたしね」結はどこか浮かないような顔をして言った。
「ああ、そうか」尚紀は、結の父親が薬剤の調合師をしていたことを思い出した。
少し沈黙が流れそうになった。それが嫌だったので尚紀は話を続けた。
「それにしても、この街にこんなところがあるなんて全然知らなかったな」
尚紀がそう言って街を見渡した。すると、結は少し意外そうに言った。
「私は引っ越す前にも一回この辺りに来たことあるけど……あれ? その時に尚紀君いなかったっけ?」
え? と尚紀は振り向き、結の目を見た。尚紀は初めて訪れる場所という前提でここに来た。昔訪ねてきたという記憶などひとつも無い。しかし尚紀は結の目が本当のことを言っているような気がして、少し嫌な予感がした。
それからすぐ、結は宅配便が来る時間だと言って帰っていった。宅配便が来るから家にいなくてはならない――というのは尚紀が昔部活をサボるのに良く使った嘘だったので、彼はいささか気になった。
丘の上から見下ろす街の向こうに、日が沈んでいくのが見えた。それは中々壮観だったが、だからといって楽しい気分や感傷的な気分に、尚紀は何故かなれなかった。ましてや宝を掘り出す気分になどなれなかった。尚紀は仕方がないので、また路面電車を使って家へ戻ることにした。
柏田町行きの路面電車は、朝と同じで乗客は少なかった。座席もほとんど空いていたが、尚紀は吊り革に掴まりながら外を眺めていた。正体は分からないが、漠然とした嫌な感じが彼の胸の中に渦まいていた。
尚紀は何ともなしに車窓の外を眺めていたが、やはり冬は日の暮れるスピードがかなり早い。彼が自宅のある柏田町の駅に着いた頃には、空にくっきりと月が見えていた。
尚紀は玄関のドアを開け家の中に入った。相変わらず何の臭いもしない家だ。それとも自分の家だから気付かないだけかな、などと思いながら彼は靴を脱いだ。
尚紀はそのまま玄関脇の階段を上って自室へ行こうとしたが、階段に足をかけた瞬間、居間の扉が開いて彼の母親が顔を出した。
「遅かったね。どこに行っていたの」
「ああ、ちょっとね」
「へえ、そう」
尚紀が「ちょっと」とか「別に」などと言う時は、大抵機嫌が悪い時だった。彼の母親はそれを知っていた。
「もう少しで夕食だからね」彼女はそれだけ言って後は何も言わず、扉を閉めた。
尚紀は階段を上がり、部屋の扉を開けた。急に冷たい空気が流れてくる。彼は素早く電気とストーブを点けた。そしてフリースを脱ぎ、そのままベッドに横たわった。
少し天井を眺めてから、彼は机の上に手を伸ばして携帯電話を手に取った。実は今日、携帯電話を忘れて彼は出かけてしまったのだった。
尚紀は電話番号の登録画面を開いた。やはりそこには黒川結の名前は無かった。
(番号くらい、聞いておいても良かったかな)
彼はそう思ったが、登録したところで電話をすることもないだろうなと思った。ふっと息を吐き、彼は一番上に登録してある番号を選んだ。
呼び出し音が三回鳴って、西村が出た。
「はいはい」
「見つかったよ」
「いきなりそれか。まあいいや、一体どこの地図だった?」
「緑ヶ丘。最近新しく出来た地域だよ」
「へえ、あそこか……」西村はそう言って、少し黙り込んだ。
「……どうした?」
「あ、いや何でもない。ところで何だったんだい、『宝物』ってのは」
「それなんだけど、実はまだ掘り出してないんだ」
「え? だって実際にその場所まで行ったんだろ?」
「ああ。でもちょっと知り合いに会ってね。話していたら時間が過ぎちまったんだ」
「それはそれは。何というか……二度手間になってしまったね」
「誰に会ったか聞かないのか?」
「僕の知っている人なのかい?」
「三組の黒川だよ」
「へえ。あそこに住んでいたのか」
「そうらしいね。俺も今日初めて知ったよ」
「君は彼女と親しいのかい?」
「昔幼馴染みだったってだけさ」尚紀は少し苦笑いを浮かべた。
「初耳だな」
「昔の話だからね」
「昔ねえ……」西村は呟くようにそう言い、話題を元に戻した。「それじゃあ、今度はいつ掘りに行くんだい?」
「さあねえ、いつ掘りに行くかは決まってないな」尚紀はまた苦笑いを浮かべながら言った。「このまま放っておくかもしれないし」
「なんだ、朝と違って意欲がないな。彼女と会ったからかい?」
「別に。そんなことはないよ」
「別に、と行った時点で君の機嫌が悪い証拠だ」
尚紀はやってしまった、と少し悔やんだ。
「まあいいじゃないか、いつかは堀りに行こうと思っているよ」尚紀はそう言って茶を濁した。
「まあね」西村はそう言って尚紀の機嫌についてそれ以上触れなかったが、最後に一言こんなことを付け足した。「明日だったら僕も一緒に行ってあげるけど?」
尚紀は最後の言葉に少し驚いた。「なんだって?」
「明日なら僕も暇だから、付き合ってもいいよってこと」
「なんで急にそんなこと……宝探しなんか興味がないんじゃなかったのか?」
「少し理由がね、できたんだよ」
「どんな?」
「ひとつは、やはり君がどうもやる気を失くしたようだから、手助けしてやろうと思ったからさ」西村はそう言ったが、尚紀は直感的に嘘だと思った。
「ふたつめは」西村は少し間を置いて言った。「君の話がちょっと変だからさ」
「俺の話が変だって?」
「君の話が本当だったら、という話さ。良く考えてごらん。君の話だと緑ヶ丘町に宝が埋まってるんだろ? でも君の言った通り、緑ヶ丘はまだ開発中ともいえるほど新しい地域だ。十年前はそれこそ建物が数軒建っていたかどうかって感じだな。そして僕の予想ではその地図も十年くらい前に書かれたものだ。いいかい? まだ森に囲まれていて、やっと工事が始まったくらいの高丘の上に、小さな子供達が宝物なんか埋めるんだよ。一体なんの必要があってそんな場所に? 良く考えれば、これは結構不気味な話だと思わないかい?」西村は一息でそこまで言った。
尚紀はその話を聞いて一瞬混乱したが、整理してみて、なるほどなと思った。
「……それもそうだな……一体どうしてそんなところに、か」
「あそこは丘が重なって出来たような地域だ。市内で一番高い場所にあると言ってもいい。当時、普通の人なら近づかないよ」西村は少し力説した。
「確かに少し不気味だな」
「だろう?」
「家族でハイキングに行った……なんて、無いな」
「はは、それは無いだろうなあ。当時はもう工事も始まっていただろうし」
西村も電話口で何か考えているようだった。少し間を置いて彼は言った。「工事現場の人も、自分の子供は連れて行かないだろうしなあ」
「自分の子供が宝物なんか埋めたら、工事現場の人は怒るだろう」
「そうだよねえ」
二人の間に沈黙が流れた。開拓工事が始まったばかりの何もない場所に、何故子供達が宝ものなんかを埋めたのか? その不自然じゃない理由を、二人は考えているのだった。しかし答えなかなか出ず、三分くらい二人は黙ったままだった。
沈黙を破ったのは、西村だった。「あ」と声を出し、彼は言った。
「こういうのはどうだい? 丁度十年くらい前に大洪水があっただろ。緑ヶ丘を含めてあの辺りの地域一帯は高い場所にあるから、避難場所として使われたわけだ。そしてその時、子供達が暇つぶしに今の緑ヶ丘町まで行って、宝を埋めた。どうだい?」
西村が避難場所、と言ったところで、尚紀の心臓に一筋の電撃が走った。そして先ほどの『嫌な予感』が、若干具体的な形となって尚紀の胸に響いた。
「ああ、それはあるかもしれないなあ」
尚紀はうわ言の様にいい、通話を切った。そしてベッドに腰掛け、記憶の糸を手繰り寄せ始めた。
