【2004年】愛犬が脊椎軟化症になったことを思い出す。 | 主夫作家のありのまま振り返り日記

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奥さんと出会ったとき、女の子は5歳で。
今はもう11歳になった。
2020年には弟もできた。
あの頃を思い出したりしながら、過去を振り返る日記を書くことにしました。
今の様子も書いたりしています。

当時、大学4年生だった僕は一人暮らしをしていた。

 

高校3年生の時に、母親が犬を飼ってきた。

ミニチュアダックスフンド(フント)でブラックのスムースヘア。

生後3ヶ月ほどだったと思う。

とっても小さくて、ほんとにかわいかった。

 



酒屋さんでパートをしていた母親が名付けたのは『モルツ』だった。

 

犬の名前にモルツってあんまりピンとこないけど

母が呼んでいたから

次第に呼ぶようになった。

 

モルツは、ダックスなので足が短いくせに実家の庭を懸命に走り回り、

雪が降ると、足はずっぽし埋まった。

その様子がかわいかった。

家族に腹を見せてくれるけど、郵便局員や配達員には吠えまくる。


歌も好きだった。

母親はモルツとドライブへ行きSMAPをかけてよく歌っていた。(吠えていた)

母親は、

『家に着くちょっと前に世界に一つだけの花をかけて歌うのがいつものルーティーンになってる』と謎に誇らしげに話していた。


朝は、モルツに顔をなめられて起きた。

夜、遅くまで起きていると吠えられた。

まるで「いつまで起きてんだ!」と言っているようだった。

 

愛嬌と忠誠心が抜群でとっても家族から愛されていたモルツ。

 

僕は一緒に暮らしたのは1年くらい、

大学1年になって一人暮らしをはじめてからはお盆と正月に会う程度だった。

 

僕は3兄弟の末っ子だったが、僕がいなくなった実家で愛犬は兄弟の4番目として

父親と母親を支えていてくれてた。

 

僕が大学4年で、卒業を控え卒業論文を書いていた12月。

母親から電話が来た。

電話の向こうで母親は泣いていた。

 

「モルツが死んじゃうかもしれない」

 

驚いた僕は母親に「落ち着いて」と言って

説明を求めた。

 

モルツはまだ4歳。

こんなに若くて元気なモルツが?なんで?

 

少し落ち着いた母がようやく話し出す。

モルツが突然、後ろ脚を引きづるように、前足の力だけで歩くようになっていたそうだ。

 

母は心配し、山梨県の動物病院に連れていくと、

『脊椎軟化症』という病気だと診断されたそうだ。

 

脊椎軟化症は、

麻痺と強い痛みにより、

肛門やお腹の筋肉の弛緩や、痛みによる攻撃性の増加などの性格の変化がみられ、

 

    

最終的に呼吸筋の麻痺により

犬は死んでしまう。

 

 

山梨の動物病院で母は

「48時間以内に適切な処置ができないと死んでしまうこと」

そして、

「ここでその処置ができないこと」

を告げられた。

 

「じゃあ、どうしたらいいんですか?」

そう聞く母に、

「千葉県の動物病院の紹介状は書けます」

とのこと。

 

母は、家に帰り

仕事から帰ってきた父に運転してもらい、モルツは千葉県の動物病院まで連れて行った。

 

治るとしたらここしかない。

 

そう言われたら、その言葉を信じて連れていくだけ。

あとはもう願うことしかできない。

 

モルツを入院してもらって、両親は帰ってきた。

 

その帰宅後の電話だった。

そんなに進行が早い病におかされたのなら、

冷静に考えたら

助かる確率は低いのだろう、

でも、なんとなく

「うちのモルツなら」

「あれだけ走り回っていたんだから大丈夫」

 

なぜか、そんな奇跡を信じていた。

 

しかし、翌日。

そんな願いも叶いそうにない。

実家の両親に、千葉県の動物病院から電話があった。

 

「命があるうちに会ってあげてほしい」

とのことだった。

仕事から帰ってきた父親と母親はまた千葉ヘ行った。

 

そこにいたのは、鼻から管を通され、

麻痺や痛みによって、大好きな家族になんの反応もできなくなっている

痛々しいモルツの姿があったそうだ。

 


医療ミスがあったのか、あまりにも進行が早すぎたのか

それは分からない。

 

 

母親はモルツを抱きしめながら

車に乗り、また父親が運転して山梨へ向かった。

 

目はうつろ。

 

母親はモルツをさすりながら

「痛かったね、ごめんね」

その言葉を何度も何度も繰り返した。

 

母はSMAPが大好きで

「モルツ、いつもみたいに世界に一つだけの花を歌おうか」

と声をかけた。

母は泣きながら歌を歌った。

二人で何度もドライブしながら歌った曲。

 

サビの”そうさ僕らは~世界に一つだけの花~”のところからは、いつも歌うように吠えていたモルツ。

 

この時はもう目を閉じそうになっていた。

だが、歌を聞いて

最後の力を振り絞って

かすかに聞こえる声で、痛みをこらえながら鳴いた。

 

もうほとんど聞こえていない耳で

SMAPに反応してくれた。

 

最後に奇跡を起こしてくれたのだ。

 

そして、もうダメだと思っていた千葉県からの帰路だったが、

奇跡的に山梨の実家に着いた。

 

信じられない。

まだあったかい。

 

    

「よく頑張ったね、着いたよ。

おうちでゆっくりしよう」

 

 

そう労い、感謝をすると、

モルツは安心したように静かに目を閉じた。

 

限界以上に頑張ってくれたんだ。

 

4歳というあまりにも短い生涯を終えた。

 

 

 

12月26日。

ミニチュアダックスの宿命ともいえる病気なのだそうだが、

本当につらかった。

僕は母親から電話を受け、卒業論文の途中で車を運転して家に帰った。

 

天気予報では晴れの予報だったが、予報は外れて雪が降った。

 

モルツが好きな雪だった。

 

 

今でもクリスマスの時期になると思い出す。

雪が降ると思い出す。

 

モルツは、天国で痛みもなく、思い切り走り回っているのだろうか。

 

そして、やっぱり地元は好きだが、

田舎は医療が発達していないんだなと寂しく感じた。

 

「山梨にこなけりゃもっと長生きできたのかな」

そんな言葉が頭をよぎったが言葉にすることはやめた。

 

父親は何日もまともに寝ずに仕事と運転をしてくれたから。

「やれることはやってあげたい」

という父の思いが痛いほど伝わってきたから。

 

 

今でも色あせることはない。

まだちょっと会いに行けそうにないけど、待っててな。