2019年7月末に夫がトイレで倒れ、後日脳梗塞が判明、血管性認知症と診断された。
夫は56歳だった。
夫が倒れた後、まず第一に入院先がなく、しかもコロナの第2波の頃。
歩けない、話せない。排せつもできない。歩けないから排せつができないわけではなく、本人が排せつしたい、もしくは排せつしたという認識がない。
すぐにコンビニでおむつを買ってきて、穿かせた。
初めて成人の排せつの世話をした。
その時はもう必死だった。初めてなので。
昔、夫に「高齢になったら脱毛したほうがいいね」と話したことがある。「要らねえよ」なんて言われたことを思い出した。
いや!やっぱり必要!!絶対にやっておいたほうがいい。
拭く方の気持ちになれば「きれいにしてあげたい」「気持ち悪いところが残っていないかな」とか丁寧にしてあげたくなる。でも、当人はすっかり飽きてしまい、早く寝たいとかソファーに横になりたいという気持ちがあるようで、時間をかけるとストレスになってしまうようだ。
お互いのために介護脱毛は必要だと思う。
結婚して19年。私たちには子供がいない。
夫がどうしても同意しなかった。何度か話し合ったことがあるが、頑として譲らなかった。
「俺は子供を産む君と結婚したんじゃない。君と結婚したんだ」とのこと。
その時は嬉しかったのか、どうなのか複雑な気持ちだったような気がする。
女性が妊娠できる時間は長くなってきているというけど、19年なんてあっという間。
仕事したり、遊んだり、勉強したり、旅行に行ったり、おしゃべりしたり、猫を飼ったりなんてすると、あっという間に過ぎていった。
私も心から子供が欲しかったら、別の道を選んでいたと思う。
でも、いまならわかる。
なぜ彼が子供を望まなかったのかが。
なぜ私が子供を授からなかったのかが。
これを書いていると聞こえてくる。
「本当に愛していたら子供を作ってたんじゃない?」なんて。
何万個何億個の小さな点が、少しずつ、おぼつかない、うっすい線でつながっていく。
そんなことあるんです。
また長くなってしまった。
入院までもたどり着けていない。
書いている本人が「まどろっこしい」と思っている。
私がたどり着くところはどこなのか。
わかってる。わかっているけど。
時々どうしようもない不安に飲み込まれそうになる。
でも、もう自分を責めない。不安になって当然。そういう気弱な自分を受け止めてあげようと思う。
今日は午後から晴れ。そして思うことは、
「私の愛している人はどこにいったの?」