ジュリア―ノ勝又

尾崎豊のバックキーボードとして、大阪球場から

新潟のツアーで尾崎が

ライブ前に覚せい剤を使用して廃人のようになり

急遽中止

そのあとツアー自体が中止となり

尾崎は病院に療養となるも逮捕されていく

アーティストの浮き沈みをみてきた

天才ピアニスト

 

その後、米米クラブのメンバーとなる

 

2022年のアーカイブを見ればわかるだろうが

9月17日かな

 

尾崎カフェに勝又さんを呼ぶ予定が

カフェのオーナーと嘘ついてた女が

イケズして、貸さないと言い出した

 

急遽カズさんの営む

どかんちゃんで場所を借りて

仮レストランにして

尾崎カレーを食べてもらい

接待した

 

この日ものすごい大嵐で

練馬までの道のりは

ミウの赤牛BMWが悲鳴をあげるほどの

スプラッシュマウンテン

事故ってもおかしくないくらい

豪雨で前がみえない

 

それが、待ち合わせの時間

とくに練馬に着いたとたん

晴れた

 

勝又さんは傘をもたずに来た

 

 

 

動画を見せたかったがうまく張り付かないので説明すると

BGMが流れてるはずなのに

勝又さんがピアノを演奏し、おもわずそれに合わせて

カズさんが歌った

そのセッションは涙が出るような

背中から稲妻を受けるような

身を貫く震えがくるほどだった

何と説明していいかわからないけど

 

台所でボウルが突然落ちたり

何者かがいる

そんな感じ

 

歌い終わったらBGMが流れ出し

 

あ、ちょうど切れててよかったね

とはなすと

 

カズさん

 

「BGMは通信なんで、途切れることはないですよ」

 

後で聴くと、聞こえないどころか

ピアノの後にサックスみたいな

尾崎豊らしい音が聞こえてた

 

 

 

そして

やりましょう!

 

と勝又さん

 

巨匠に払えるギャラは正直

想像がつかなかった

 

だけど

きっと熱意とカズさんの尾崎豊バリの

熱唱に応えてくれた

 

この日は特にカズさんの声が

尾崎豊にそっくりだった

 

新宿の路上で
アイラブユーを頼んで歌ってくれたジュンキも
インスタで探し、やっと会えて
オファーした

 

勝又さんのこの衣装は

米米CLUBのときのもの

石井竜也さんのデザイン

 

イベントの前日

搬入のあと

尾崎の唄

米軍キャンプあとの公園

 

光が丘公園にいった

 

広大な土地は

その昔、グランドなんとかという

米軍の住居だった

 

日本がまだ貧しく

敗戦のあとに渡した場所が

今は広大な公園

 

このとき

ミウは

自分でいうのもなんだけど

尾崎を心から愛し、美しかったと思う

汚れなく尾崎豊を愛してた

 

そして

会いたい人がもう一人

大阪からやってくる

尾崎豊に似た人

 

声をかけてから、会えるまで

疑似恋愛みたいに

ドキドキワクワクしてた

洋服も何がいいか、探してた

プラトニックloveみたいな感じに

 

そして勝又さんが来て

イベントは大成功

 

たくさんの楽曲も

勝又さんが自分で楽譜を書いて

弾いた

それはもう

私から見たら神業

 

プロは

音を聞いて楽譜に落とすし

楽譜をみたらすぐ弾けるもんです

 

と勝又さんに言われて

恐縮した

 

参加してくれた出演者たち

アツシさん、ジュンキ

そして大阪からきてくれた

尾崎豊そっくりなQちゃん

 

そうドキドキが伝わらないように

平然としたつもりだったけど

目が💛だったのはバレてた

 

勝又さんとの食事会に来てくれ

最初からイベントに参加してくれたテツさん

尾崎豊の先輩

 

燃え尽きたカズさんは

もう汗でドロドロ

それだけ尾崎豊を熱く歌ってくれた

 

来年4月23日も尾崎豊イベントやろう

となり

1月14日かな

昨年ヒルトンのスイートでレッチョコの新年会

 

このとき

もうQちゃんは、ミウのプロデュースを受けていた

だからファッションすべてミウのスタイリスト

 

よく似てるよ

と公認を得て

 

次のイベント4月は

また勝又さんのピアノで演奏となった

 

だけどこの時失敗したのは

新しさを求めずにいたカズさんに

少し任せすぎてた

もっと違うメンバーや同じことをしないようにすれば

もっと集客できた

 

前回より寂しい感じの人数ではあった

 

だけど、関係なく

勝又さんはその尾崎豊の本当のピアノをひいた

お礼は前と同じで少なかったから

よけい申し訳なく思い

 

それからしばらく連絡をしていなかった

 

すると

昨年の夏から異常に気付き

検査したところ

難病のALS筋萎縮症

ピアノを弾くには指の筋力もいるが

それも衰えていってしまう恐ろしい病気

 

11月の大阪尾崎生誕祭はお呼びしたが

ちょうど入院となっていた

 

なぜ

こんなにも良い人がと思う

 

だけど思ったのは

尾崎が会わせてくれたんだと

 

昨年会わなかったら

きっと今はもうあの本物のピアノを聴くことができない

 

私たちは

彼が一番良い時に出会うために

巡り合えた

 

そう思うことにした

 

勝又さんは今、胃ろうになったけど

腕を吊りながらも

大好きなピアノでセッションしてる

 

きっと

その姿もすべて

尾崎豊が支えてるし

楽天的な勝又さんを

明るくさせていると思う

 

だから4月29日は江口さん(バックギタリスト)を呼び

2人が30年ぶりに再会できるよう

ミウは頑張ろうと思う

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愛ゆえに

 

恩ゆえに