鎌倉時代の承元元年(1207年)念仏が禁止され、浄土真宗の開祖 親鸞聖人は越後(新潟県)の国府(直江津)に流罪となりました。
京都から直江津へ向かう途中、立ち寄ったのが桜井の庄 三日市です。
御本尊です。
ご住職です。
親鸞聖人が座っていた石です。
流罪となったみすぼらしい姿であっただろう、旅のお坊さんを誰も泊めてはくれず、疲れ果てている親鸞聖人はこの石に座っていたそうです。
そんな姿を見た辻徳法寺(その当時はまだお寺じゃなかった)の御先祖 辻源左衛門時国が家にまねき入れたそうです。
親鸞聖人から終夜教えを説かれた辻源左衛門時国は直ちに聖人の弟子となったそうです。
三本柿です。
聖人は、食べ終わったカキの種を囲炉裏に入れ「我が法末世に栄えるならば再び根芽を生ぜよ」と、半焼きにしたカキの種を植えられた。
その時の柿の1本です。
多分…おまじないでしょうか・・・流罪となっている自分をカキの種にたとえたのでしょうか・・・
半焼きになった柿の種から発芽するわけがない・・・でも、自分の教えがいつか広がる(理解してもらえる)日が来るのならば、この柿の種からも発芽する♪
秋には渋柿が実ります。
干柿にしていた柿ですからもちろん渋柿ですね♪
「帰命尽十方無碍光如来」親鸞聖人の直筆です。
聖人が出立するとき、別れをかなり悲しんだみんなにこの十字の名号を残していかれたそうです。
「病む子をば あづけて帰る 旅の空 心はここに のこすこそすれ」
力強いお顔。
もう1つ・・・
気になる扉です。
聖徳太子像(南無仏二歳の尊像)
1603年ウナヅキ谷の滝で発見された聖徳太子の童姿の像です。
着替えの衣です。
聖徳太子像は袴をはいているのですが、何故だか上半身が裸です。
辻徳法寺の門徒さん方が上半身裸じゃかわいそうだからと、手縫いの衣を寄進されたそうです。
聖徳太子様と言えど、2歳児の像・・・門徒さん方の温かい心づかいが伝わってきます。
毎年お盆に、この小さな衣を虫干にしているそうです。
色とりどりの心のこもった衣が干されている情景が頭に浮かんできます♪
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