2020年冬、暮も差し迫った忙し気な有楽町の街を歩くと、道端では楽団がLupinⅢ世のテーマソングを演奏し、COVIDで時期をずらさなければならなかったのだろうか、結婚式場の前で、花嫁がウェディングドレスを凍てついた風に曝し、路上で招待客らと記念撮影をしていた。私はそれらを横目に『滑走路』を観るために映画館を目指していた。映画『滑走路』は、歌人萩原慎一郎さんの歌集『滑走路』をモチーフに制作された映画である。

 

 

それより10年ほど前、萩原さんと同じ職場で働いていたことがある。寡黙だったが、萩原さんはどこか人を惹きつけるところがあり、私は時々萩原さんと同じフロアにいた際、積極的に挨拶をしては近づこうと画策していた。暫くして話すようになり、会話の途上、萩原さんは休日は何をされているんですかというような話になった際に、短歌をつくっていると言われた。私がどういう答えを求めていたのかわからないが、少なくとも短歌をつくっているという返答は想定しておらず、タンカって俳句短歌の短歌ですかというような明後日な問いをしたようにも思う。

 

 

俄然興味が湧いた私は、作品がどこかで読めるのかというような問いをしたが、ネットのようなところでは読めないのではないかと言われていたように思う。それから程なくして、インターネットで萩原さんの名前を検索した。私の調べ方の問題もあっただろうが、その当時は二首ほどしかヒットしなかったように思う(一首ははっきりと覚えているのに他にピンとくるものがないので或いは一首しかヒットしなかったかもしれない)。翌日、萩原さんの側へ寄っていき、萩原さん、おはようございますと言ったのち、「萩原さん、昨日ネットで萩原さんの名前調べちゃいました」と伝えると、いつもの笑顔で笑ってらした。朝日歌壇などは読むこともあったが、普段から短歌に接していた人間でもないので、私がその一、二首で萩原さんの作品の凄さに気づくことはなく、私が萩原さんの作品にきちんと触れたのは『滑走路』が出版された後、一般の読者と変わらない。弟健也さんのツイートで、その出版と他界されていたことを同時に知った。

 

 

職場では、お昼などに歌作されていたが、遠慮を生まれた際にどこかに忘れてきた私は、萩原さんの横の席に座りながら「ちょっと横に座っていいですか」などと聞いて、今考えれば本当に邪魔以外の何者でもないが、歌壇のことを話されたり、反対に私の好きな小説の話などをした。冗談ぽく二度ほど創作ノート見せて頂けませんかと伝えたような記憶があるが(冗談ぽく言いつつも私は本気で見たかった)、いつもの柔和な顔で笑ってらした。後から知るところによると、創作ノートではなくて携帯電話に書き留めていたようだった。

 

 

結果的に萩原さんとは一度も食事にも行かず、会社だけの付き合いになってしまったが、それには理由があって、終業時間が2時間ほど違ったからである。私が早く終わるなら私が待てばいいだけであるが、萩原さんの方が早く終わるので、待たせる訳にもいかないという理由で、私は食事に誘うのを躊躇っていたように思う。

 

 

抑圧されたままでいるなよぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ

 

 

短歌は散文と違い五七五七七という文字を記憶できる。小説を読んで一つの作品に対し、ぼんやりとしたイメージを抱くのとは読み方が異なる。

 

 

作品講評として、しばしば「~のだ」の断定調は自身への鼓舞でもあったのだろうという指摘がされる。上記の歌は自分を鼓舞したものであると同時に、ぼくたちという人称を使用していることからも自分一人を鼓舞したものではなさそうであるという読み解きの上に、また、この作品は、一人の青年の人生を背負った歌そのものとして飛び立とうとしているように思われる。それぞれの作品が各人に与える所感はそれぞれ異なると思うが、作品そのものが各人の胸で躍動し、飛び立とうとしている。

 

 

萩原さんの作品は、ややもすると「非正規」というシンボリックな言葉で集約されるところがないとは言えないし、事実、非正規であったことは萩原さんを苦しめただろうが、私は、この、キャッチーな、極めて限定的なキーワードで理解しようとする態度に、些かの違和感を覚える。『滑走路』に掲載された作品は、自由で、軽やかなものも収録されている。非正規という部分にだけフォーカスされるべき歌人ではないと思っている。

 

 

文学作品というのは、いつでも毀誉褒貶の中にあるので、悪い評価がなされることはもちろんあるわけで、これはそういう意味ではないなどと作者が言おうとも、そういうことは成り立たないし、誤解を恐れず言うならば誤読すらそう誤読させ得る余地が作品にあったという意味においては作品の一解釈であるようにも思う。短歌においては、言葉が短いだけ、それは顕著で、作品の解釈は多くなるだろう。

 

 

カラオケはいかがですかと叫びたるきみの情熱報われるのか (『滑走路』未収録)

 

 

この作品の萩原さんの視線を追うことは、投影された萩原さんの心象を追体験できるように思う。ツイッター(現X)上で萩原さんの名前を検索すると最初期にこの歌が出てくるが、この作を『滑走路』に載せなかったのが不思議なくらい私は好きだ。

 

 

単純に萩原さんの『滑走路』未掲載の他の作品を読みたいという思いはあるけれど、『滑走路』の、作品としての出来が素晴らしく、それと同等か或いはそれ以上の作品というのが果たしてできるのかなという思いもある。また、現在では萩原さんのサイトがあり、未掲載の作品などもそちらで知ることができる。これもしばしば指摘されるが、歌集『滑走路』はその構成、装幀も萩原さんが決めていたらしく、驚嘆する。それらを含め、『滑走路』には一青年の人生そのものが純粋な形で記されているように思われる。

 

 

もともと新聞の歌壇くらいしか短歌に触れることのない私が一番よく読んだ歌集は『滑走路』なのだが、『滑走路』を読んだ後、興味のそそられた歌集なども手に取るようになった。そうして萩原さんが短歌を始めるきっかけをつくったという俵万智さんの作品も読んだ。『サラダ記念日』作者あとがきは「生きることがうたうことだから。うたうことが生きることだから。」と締められる。萩原さんは「僕は歌う。誰からも否定できない生き様を提示するために。」という言葉を遺されたが、通底するものがあるなと、ふと思った。

 

 

萩原さんのご家族の方に場所を教えて頂いて幾度か掃苔をした。作中にも出てくる増田書店などに行き、そこに佇む萩原さんを想像したりした。

 

 

先頃、名刺カード類の整理をしていたら、萩原さんと連絡先を交換した際の手書きのメールアドレスが出てきて、懐かしくなった。作品から想像される人となり通りの魅力的な方で、私から連絡先交換しませんかと言ったのだった。宝物です。

 

 

あまり運命というものを信じないが、自分から積極的に話しかけなければ、語り合うこともなかった。広いこの世界で、萩原さんと出会えて一瞬でも交われたことは、私の幸せです。萩原さんの、あのはにかんだ笑顔が、今でも折に触れて思い出される。

 

 

映画『滑走路』主題歌 Sano ibuki - 紙飛行機 (Official Music Video)