冷凍のたこ焼きを面倒だからと袋のままレンジで温っためてそのまま食べるとおいしさが半減するなあ、などと考えつつ貪(むさぼ)っていると、「物は器で食わせるってぇことを申しますが器が良すぎて仕舞いには器食っちゃったりなんかしちゃって」などというどこかで聞いた落語(「猫の皿」か)を思い出し呵々と笑ってみたものの、なんだかしんみりとして一日が終わろうとしていたので、一日の終わりがこれでいいのかと思い、最近見たマイクルジャクスンのSmooth CriminalのPVがかっこよかったことを思い起こして己を鼓舞、愉しいねいとなったがマイクルジャクスンと己を比較し始め、ジャクスンはあらゆるものを持っているのに俺は何も持ってねぇなと、またぞろ気が滅入り始め、あぁ、俺は今、なにもかもが不快、と涙がぽろりと落ちる直前、東京MXテレビの番組でスタッフとうまくやっていけない西村賢太の積もりに積もった怒りが或る時爆発、そのまま番組を降板する事件があったが、降板する直前の映像が以前YouTubeにあって、その、怒りが隠し切れない、鬼の形相をした西村の顔が思い出されて俺は少しだけ笑った。西村に限らず俺たちは死んだ人間に到底敵わないが、遺された者たちは笑ってやっていくしかないのだ。

 

 

以前、爆笑問題太田がダチョウ倶楽部上島の自裁した際に、芸人は先に死んだ方が負けですから、先に死んだらとやかくネタにされるのがイヤでみんな長生きしてるんだからと上島を悼み、死を急ぐ視聴者らを慮った発言をしたが、これも、どこぞの馬の骨とも知らぬ奴が書いたネット記事で「太田、死者を負け呼ばわり」みたいな意図的な編集をされていて、リテラシー0の、行間の読めないクソ読者らが太田非道いなどと言っていたのも心底馬鹿げている。笑止。俺は唾棄したが、俺たちはそういった手合いがそれなりの数いる世界で生きているってことは自覚せんければならん、とは思うわけだ。

 

 

頻りに極右雑誌などと喧伝される月刊Hanadaを読みたい。極右雑誌くらい読まなければ令和にはついていけない。多様性多様性と事あるごとに言われるけれど、多様性とは自分の嫌いな人の存在も受け入れないといけない度量の広さを必要とされる話でもあって、それは、とても局所的な話だとは思うが、問題は往々にして局所的なものから発生し、大問題へと変貌するようにできている。意見を異にするタレントがテレビに出ているだけで引きずり降ろそうとするような狭量な手合いと、多様性を標榜する層は重なるように見える気がするけれど、と俺は陰気だからそんな嫌味なことを思ったが、嫌味を思う自分にも、また、うんざりした。まァ極右雑誌というか、西村の嘗ての恋人の手記を読みたいだけなんだけどね、などと考えていたらなんだか部屋が焦げ臭い。

 

 

雑な人間日本代表こと俺はレンジの何分温っためろみたいなことを見ずにおおよその感覚でやるのが常、A型じゃないんでね、と今度はナチュラルにA型差別をし始め、A型ばかりか触れるものすべてを傷つける無敵の人状態になって、袋から直接取り出して食べているたこ焼きに解凍できていない部分があったので、袋から直接取り出して食べている冷たいたこ焼きってひとりで食べてるとこの世の終わりみたいな淋しさがあるな、全部自分の所為(せい)だけど、ってツッコんで、雑な人間日本代表こと俺は今度はレンジの間違ったボタンを雑に押したらしく、到底噛めない真っ黒焦げのたこ焼きがレンジの中で鎮座したまま即身成仏しており、俺の夕飯がお釈迦、即身成仏だけにな、などと考えて1ミリも面白くなく、昔日の西村賢太のごとき鬼の形相をして、今、一日が終わろうとしている――。