全く行くつもりもなかった春ツアーも、蓋を開けてみれば、結局それなりに通ってしまっていて、さながら現役バリバリのオタクかのようです。


それにも関わらず、(今更ことさらに言及するようなことでもないのですが)依然として僕の心の中ではれいなさんがあまりにも多くの場所を占めてしまっているので、現状なんかもう意味がわからないです。


直接できることも何もないので、それこそ「幻を追って」ビヨーンズの現場にいたりあんなさんの現場にいたり、あるいはいなかったり、とにかく、地に足着くことはなく、フラフラと過ごしています。





日々ビヨーンズ界隈にまつわる風向きは、色々と目まぐるしく移ろうようですが、そんな根無し草はただただ浮草のごとく漂い、翻弄され、一人浮き沈みを繰り返すだけです。推しメンがいないオタクはこうも不安定です。


あまり深刻に思い詰めてやっていたんじゃあの頃から何の成長も無いですから、できるだけヘラヘラしているのですが、伝え聞く限りにおいて、まあこれくらいがちょうどいい温度感なのかもしれません。





とは言え、ビヨーンズはビヨーンズで山﨑さんの卒業という一大事が控えているこの6月末ですから、卒コンに向かってオタクモードにしっかりと切り替えて、豊洲に臨むのみです。


実際、この一大事がなければ、僕自身にとっては春ツアー途中離脱も全然あり得た話ですから、曲がりなりにも駆け抜けてのラストだった先週の名古屋でのツアー千秋楽公演は、しっかりと現役バリバリビヨヲタの顔つきで、感慨深さもひとしおというか、万感の思いに尽きていたのでした。





ただ、それもれいなさんのことはもはや無関係に、10人と1人への気持ちに切り替えていたからこそだったというのに、夜公演の高瀬さんの最後の最後のMCだけは流石にちょっともう駄目でした。


メンバーが卒業するということは、とりも直さずそのメンバーのオタクもいなくなることに直結しているわけですが、卒業した後でも、それでもまだ応援したいと思ってもらえるグループでありたいという彼女達のその想いは、まさにそれでもまだ応援し続けてしまっている僕自身を奮い立たせるものであったし、亡霊オタクだか地縛霊だか知りませんが、もう本当に意味わからなくなって、現状として半ば自暴自棄で暴走している僕自身の溜飲を下げる言葉でもありました。



ビヨーンズがこの大きな変化の最中にあっても、できればあの子達のためにあり続けたいし、この変化の先にある最後のその瞬間まで見届けたい、その気持ちだけは確かです。


いつかビヨーンズへの愛が心を占めるように、真にそうなれたなら、少しは腰を据えてオタクするようになるのかもしれません。



そんなわけで、まあ全然ヘラヘラオタクできそうもないですね。いやはや。