主人と一緒に居る事に、少し限界を感じ始めていた頃、突然主人が転勤になり単身赴任することになりました。



仕事が忙しくなり、数ヶ月に一度一泊しか帰ってこなくなりました。





そしてもうひとつ………私が離れたかったもの。それは、主人の母親です。




結婚した時から、私を良く思っていなかった義母。



たまにしか会いませんが、電話や会うたびに、何度も何度も心無い理不尽な言葉で泣かされてきました。




義母は「大事な息子を、どこの馬の骨だか分からない女に、色仕掛で取られた!」と、よく私に言ってきました。




ただ私は、絶対にやり返すような事はしないようにしていました。



一度だけ強く言い返した事がありましたが、後で後悔したんです。



その時から、これからは受け流せる自分に変わろうと、何十年もグッと耐えてきたつもりです。



義母はよく「私が寝たきりになったら、あなたが一人で死ぬまで私の世話をするのよ。嫁なんだから、当たり前でしょ。介護なんて……自分の子供には、そんな苦労させたくないものね」と笑いながら言ってきました。



それでも、私が耐えられたのは………義母に言い返したり、やり返したりしない代わりに、私は義母の老後の世話は絶対にしないと決めていたんです。



その代わり、どんな意地悪をされても私はやり返さないと決めていました。



お金がないとおねだりされれば、お金も渡していました。



それでも、いざ、そんな状況(義母に介護が必要な状態)になったら………何もしないわけにはいかないんだろうな。私に耐えられるのだろうか……とも考えていました。



私は父の介護をしていたので、介護の大変さは知っています。



父はいつも私に「ありがとう」「迷惑をかけて、悪いね」と労いの言葉を忘れませんでした。それがあったから、私は乗り越えられたんです。



しかし義母が相手となると……乗り越えられる自信がありませんでした。今の調子で、嫌味を言われながらの介護に私は耐えられるのだろうか?と……




そして、ある日のこと。それは、主人の転勤が決まった同じ頃のことです。




毎日マラソンもしていて、とても元気だった義母が………突然、様子がおかしくなったのです。




急に「何もできない、分からない」と、泣きながら声を震わせて電話してきたのです。



軽い痴呆症と重い鬱病でした。




しかし、主人は遠方に転勤、私はペーパードライバー。義母の家は、車じゃないと行けないような場所にあります。



バスも数時間に1本しかありません。

交通機関を使えば片道の移動に、四時間〜半日はかかります。私一人では、通うに通えない状態。



おまけに義母は「自分の子供以外、誰にも会いたくない!!こんな惨めな私を、誰にも見られたくない!孫達もいちごさんも来ないで!」と言ってきました。



結局、義母宅の近くに住む主人の兄弟が、時々様子を見に行き世話をして下さっています。



そうやって、自分でも驚くくらいに、離れたい、手放したいと思っていたものが、勝手に次々と離れ始めていました。