星野富弘さんの訃報。
子どもを産めない苦しみの真っ只中。
慰めを求めた書籍の中に、星野富弘さんの詩集もあった。
そうか、お亡くなりになってしまったのか。星野さんが信じた神様の元へ、お帰りになったのか。
私は無宗教ではあるものの、信仰心というものが少しあるとしたらキリスト教寄りだろう。
母曰く「制服が可愛かったから」という理由で、カソリック幼稚園に通った。教会の雰囲気、マリア像、シスターが大好きだった。
高校生になり、遠藤周作、曽野綾子、三浦綾子(敬称略)の本をひたすら読む毎日。
そんな流れからだろうか。
自宅に神棚もあるし、般若心経と延命十句観音経も覚えている。
聖書も満足に読んでいないけれど、それでもなんとなくキリスト教寄り。
「散ってゆく花の横に、ひらきかけたつぼみがあり、枯れた一つの花のあとには、いくつもの実がのこされます。人間が生きているということは、なんと、ひと枝の花に似ているのでしょう」(5月12日の天声人語より抜粋)
私がこの世から去って、何か残るものなどあるだろうか。
自分の中に、何かを残したいなどという欲求があることに驚く。
子どもを授かった人はここをもうクリアしているのかなと思うが、それとこれとは別だという人もいる。
すーっと、流れ星のごとく消えていく。
それが私にお似合いであり、理想なのかもしれない。
朝日新聞の記事「谷川俊太郎さん 未来を生きる人たちへ」に、
意味より無意味がえらいんですよ。今はすべての存在に意味があると思う世界でしょう。でも僕はすべての存在に意味がないと思ってるの。「かっぱかっぱらった」のように、無意味を作れるのは人間の強さですよね。
という一文があった。
谷川さんの「かっぱ」という詩、どこかで読んだのを覚えている。
リズムが楽しい。
かっぱがかっぱらい?
かっぱが菜っ葉を一杯買ってきて食った?(笑)
「意味より無意味がえらい」
「すべての存在に意味がないと思ってるの。」
この言葉、救われるなぁ。夢も希望もない言葉のようでも、私には支えになる言葉だ。