語り部だった杉本栄子さんが患者へ向けて選した言葉を思い出す。「苦しくても、のさり(賜りもの)と思うて暮らしてくだまっせよ」。冷たい役人口調に触れた後では特に、どこまでも温かく響く。

(2024.5.9  天声人語より)




杉本栄子さんは、水俣病の語り部さんだったようだ。

どれだけの苦しみを背負いながら、「のさり(賜りもの)」と捉えられることが出来たのだろう。信仰をお持ちだったのだろうか?と検索してみると、以下の記事が出てきた。





☝️より抜粋させていただいた。


母親の発病後しばらくして発病した父親も1969年、水俣病で亡くなるが、亡くなる前に、「水俣病も“のさり”じゃねって思おい」と言い残して亡くなった。水俣では、運よく大漁に恵まれれば「のさった」と言い、不漁のときには「のさらんかった」という。つまり人間の意思や行為とは無関係に訪れる天の恵みを「のさり」というのである。




一時は父親の言葉を真剣に疑った栄子であったが、長い年月ののち、「本当に病気のおかげだなって」思うようになったという。なぜなら、母親が人様より早く病気にかかったためにいじめられたが、そうでなければいじめる側に立たされていたはずだ、と思い、人として育ててくれた父と母、網の親方として育ててくれた村の人たちに感謝の気持ちを持てるようになったという。




類のないほど悲惨な病気と、すさまじいいじめと差別という極限的な苦しみを潜り抜けるなかで、「人様は変えならんとやっで、自分が変わっていけばよかがね」、「水俣病も“のさり”と思え」という父親の教えが大きな支えとなり、徐々に自らの実感ともなっていったのかもしれない。



「人間の意思と行為とは無関係に訪れる」のは、がんも同じ。

確かに、がんになる前の自分に戻りたいとは思わない。今の方がいい。

がんが、変化する大きなきっかけになったことは間違いない。

でも、それを「天の恵み」と思える境地には自分など到底辿り着かない。そこまで凄まじい苦しみではないし、万人が辿り着ける境地でもないのだろう。


私がこの世を去る頃までに、どこまで近づけるのだろうか。







「ザ•猫」