https://x.com/positivesalon/status/1782701750082064816?s=53&t=NORFaRgm4Ijh6qYteDF8Ww


☝️より👇


「人生の後悔とは


オーストラリアのベテラン看護師が頻繁に耳にした死を覚悟した患者の後悔


1 他人の期待に応えようとし過ぎなければよかった

2 働き過ぎなければよかった

3 素直な感情をもっと表現すればよかった

4 友人にもっと連絡すればよかった

5 自分をもっと幸せにすればよかった」




私が思いそうなのは、1と5かな。


反対方向ばかりに進んできただろうにと、両親や夫がこれを聞いたら笑うだろうが、実はそんなところもあったのだよ。

素直に言うことは聞かないし、意に添はないことはやらなかったけど、応えたい気持ちは強かったし、応えられない悲しさもあったんだよ。



自分にとっての「幸せ」とはなんなのか、今ひとつあやふやだ。自分の幸せなのか、誰かの視点を通しての幸せなのか、区別がつかない。

親の視点なのか、世間なのか、単なる見栄なのか。

猫がいてくれて、好きな将棋、アニメ、ドラマを観て、好きな本を読んで、たまに大好きな友人たちと会って美味しいもの食べて、おしゃべりして。それだけで幸せなんだけどな。

それだけでいいのかと問われると、「いいんです!」と胸を張ることは出来ないので(笑)、申し訳程度に「人の役に立てれば」なんて思ってみたりする。



でも。

がんと分かり、一応死も覚悟した時に、


「あー、人の役に立つようなことをしておけば良かった」


なんて、そういえば全く思わなかったな。

んじゃあ、このままでいいのか😛と思うと、そうでもないだろう。


本当に、もっと、そこに、「死」を感じた訳ではなかったから。

私が死を覚悟したのと、死と直面するのとは当たり前だが全然違う。

がんかも知れないと思い死を覚悟したけれどがんではなかった場合と、がんだったから死を覚悟したけど余命宣告をされるほどではなかったのと、まさに死と直面しているのと、全く同じであるはずがない。


それは重い軽いという違いではなく、死の圧倒的リアル感の違いというなのかな。

がんだけど詳しいことはまだ何も分からないという時が1番死はリアルだったが、今は大分遠のいている。

本当に遠のいたのか、背中にピッタリくっついているのかは神のみぞ知るだ。



全く後悔のない人生はないだろう。

子どもを産みたかったというのは取り戻せないけど、まだ間に合いそうな後悔は潰していこう笑笑







猫を撮るとき、どうしてもドアップになってしまう。引いて撮ると、家のぐちゃぐちゃが写るということも大きいんだが。