占いは当てにいけ…確か、ゲッターズ飯田さんの言葉だったかな。
占いやスピ系は、がんになる前は子どもの頃から大好きだった。中学生までは雑誌「マイバースデー」も読んでいたし、全員プレゼントは必ずもらっていた。おまじないも流行っていて、友達とワイのワイのと楽しんでいた。
ところが、がんになったら何故か
「あー、私はもうこういうのいいかな」
と、そう思ったのだ。
病院嫌いのにゃんこ姫の為にと、お金をかけて習ったレイキのディプロマやテキストの類も、ぜ〜んぶ捨てた。綺麗さっぱり。
自分でも不思議だった。スピ系というか、目に見えない世界も感じて生きるというのは、自分の揺るぎない根幹だと思っていたから。
「がん」という圧倒的現実に、押しつぶされまいと必死だった。
見えない世界というのを否定するのではなく、良い方向へと何らかの変化を期待する(引き寄せ的なものも含む)手法のようには、もう使わないだろうということ。見えない世界を無視するという訳ではない。
こういう感覚になったのは私だけでなく、同時期に大きい病気をした友人も同じだったことが分かった。
やはり、経験というのは人生をガラリと変える力があるらしい。
がんが分かる直前まで占いを習っていたのに、それもやめた。占いそのものに目を通さなくなった。しいたけさんの占い以外は。しいたけさんのは、占いというよりも星座の視点を通したエッセイのように読んでいる。無料公開でいいのかしら?と思うような濃い内容だ。
毎週月曜日になると読む時もあれば、すっかり忘れて週末になることもある。読む時にすがるような気持ちや、安心感を求める感覚は全くなく、自分への理解を客観的に深めるために読む。
時々、「えっ!なんで分かるの!」と、いわゆる「当たる」と思うこともあるが。
先々週の占いだっか、「何か困難を乗り越えていくようなストーリーのもを観ると良いでしょう。そこにヒントとなるようなものが見つかるかも。」というようなことが書いてあった。
すぐに浮かんだのは、何故か「スラムダンク」。AbemaTVで見れた気がする。
でも、実際に見たのは「薬屋のひとりごと」「葬送のフリーレン」「ちはやふる」だった。
ずっーと気になっていたアニメ。
でも、
「今時の若者向けのアニメを、私が理解できるだろうか。もう歌も映画もドラマも、全然ついていけない、面白いと感じなくなってしまったし。メンバーをフルで言えるのは、嵐が最後だよ…」
と思い、そこには絶対手を出さないできた。
けれど、がんになってからはあらゆることにおいて、真反対の方向に手を出している私。
ここはひとつ、観てみるか?
占いは当てに行くものだしと、観始めたのだ。「ちはやふる」は、まだ観始めたばかりだが。
「薬屋のひとりごと」は、うん、普通に面白かった。また放送されたら、観ると思う。
私の好みとしては、「葬送のフリーレン」の方だった。「薬屋のひとりごと」よりも、理解できるか、共感できるかと、実は怪しいとおもっていたのだが。
ところが、私の年齢だからこそ、がんを経験した今だからこそ、響くものがあった。今、で大正解だった。
エルフのながーい人生と、人間の人生との対比で見えてくるものがある。そして、度々出てくるシーン、付かず離れず、見え隠れする信仰としての「女神」の存在が、物語を支えているようだ。
宗教ではなく、信仰。それは、私にはやはり必要な気がする。ハッキリ言って、なんでもいい。場所としては神棚、仏壇、教会。名前としては神様、仏様、キリスト様、マリア様。そして、猫弁さま(大山淳子さんの「猫弁」シリーズ)。
そっと頭を撫でてくれるような、抱きしめてくれるような、褒めてもらえるような、そんな存在が必要。
これを人間に求めてしまうと、ちょっとこじれそう。もちろん、そういう生身の人間が側にいることに越したことはない。いてくれたら、超ラッキーだ。
「ちはやふる」。
これは1番避けていた。映画版のキャストを見たら、あんなキラキラしたメンバーが揃っているアニメ版なんて、私は、私には〜無理っ!みたいな。
顔がニキビだらけで、近所のおばちゃんから病院を紹介されたり、通りすがりの男子に「ブスっ!」と言われた暗黒の青春時代を過ごした私には、眩しすぎる。
子どものいない私には、母的目線で観るにしても寂しく虚しい。
あんなに憧れてた産婦人科に、がんで通院している今は特に。
ところが、まぁ面白い。
観ているとキリがない。
ハードルは高かったが、今だから越えられた。
私でも、これらの今時アニメを観ても楽しいし、ワクワクするし、泣けるんだ。
それが分かったら、嬉しくなってきた。
しいたけ占いの「困難を乗り越えるヒント」を掴んだかといえば微妙だが、「葬送のフリーレン」からは信仰の必要性を、「ちはやふる」からはまだ感性は老化してない自分に気づくことができた。
もちろん、「薬屋のひとりごと」も良かった。人生、特に女性としての喜怒哀楽が切ない。
それにしても、人生をかけられる何かを見つけた人が、やはり羨ましい。
中学の先生をしていた人に、
「そういうのを見つけられる人は、大抵中学生までに見つける」
と言われて、青い鳥症候群の50歳の私は思わず笑うしかなかったっけ。
せいぜい、「ちはやふる」を楽しむとするか。