もう、今世では出来ないこと確定。
とても残念だけど、ご縁がなかったのだ。仕方ないと分かっているけど、寂しい。
それは、犬と暮らすこと。
子どもの頃は、完全に犬派だった。社宅に住んでいたので動物と暮らすことは出来ず、『犬の飼い方』の類の本をいつも眺めるのが楽しみだった。その本を眺めては、家を建てる日が来るのを夢見てたのだ。
ところが、いざ家を建てても犬と暮らすことを、両親に許してもらえなかった。
母が、特に頑なだった。
後で知ったことだが、母が子どもの頃に近所の預かっていた犬が死んでしまったことがあり、それを見て動物が死ぬのが耐えられなくなったらしい。
その数十年後、母は犬と暮らすんだけど😹母が犬を迎えたと聞いた時が、今までで1番驚いたことかもしれない。
夫も、子ども頃に飼っていた犬が苦しんで死ぬのを見て、それからは飼わなくなったらしい。
昔は今のようにフィラリアの予防接種などはなく、獣医に診せるということも少なかったのだろう。
他にも、私が世話をしなくなって、母が散歩などの世話をすることになることを見込んで、飼うことを承知しなかったのだと思う。
まぁ、母の判断は間違いなかったかな😅そのくらい、命への責任は大きいということだ。
今の家を購入した時に犬と暮らすはずだったのが、長女猫と出会って完全に猫派へと鞍替えした。
それでも、もし迷い犬や捨て犬などで縁があれば、一緒に暮らしたいと密かに思っていた。2度、その縁があったと思ったのだが…結局縁は結べずしまいだった。
1度目は、向かいの家に迷い犬が保護された時。
数日保護していたので、もし飼い主が見つからなかったら、ウチで引き取ろうかと夫と話していた。ところが、幸運にも飼い主が見つかったのだ。喜ばしいことこの上ないが、少しだけ寂しかった。
2度目は、大きな白い犬が我が家の庭に入ってきて、玄関ドア前に寄りかかっていた時。
家の中から見ると、夏なのに雪が積もった?!という感じで、玄関ドアのガラスに映っていた。そーっと裏から回ってみると、大きな犬が疲れたように横たわっていた。白犬だがずっと彷徨っていたのか、薄茶色に汚れていた。
とにかく元気がなさそうなので、慌てて水と猫缶を出してみたが、のそのそと立ち上がり行ってしまった。
「うるさいなぁ。少し休ませてくれれば良かったんだよ。」
「私は、私の家族に会うんだ。」
とでもいうように、私のことなど目に入っていないか、拒否してるいるかのように立ち去った。
保護して飼い主を探したかったし、もしいない時は我が家で…と思ったが、頑なな様子の白犬の後ろ姿を、追いかけることが出来なかった。
今でも、あの白犬のことは思い出してしまう。
がんを経験した今、とても犬を迎えて暮らすことは出来ない。今暮らしている、4歳のにゃんこ様を看取れるかどうかだけでも、心配なのに。
私の寿命が分かったら、まだチャンスはあるんだけど😹
友人が、スタバで買ってきてくれた。スタバってオシャレすぎて、気後れして買いに行けない💦サイズがSMLじゃないし(笑)