S52年世代
昭和52年生まれの世代が中心のチーム。
井上勇氏と田丸大氏が所属してたPBBとイラプションが合流してTOP-Jを旗揚げ。武闘派集団のTOP-Jは他のチームを次々に吸収して拡大(約200人)。それを気にいらないヤクザや先輩もいて吸収されようにも断固として拒んだ為、ヤキも半端じゃなかったが勢いを止めようとしなかった。23区とまでいかないが渋谷は完全に牛耳って千葉や埼玉にも繰り出した。その後田丸氏が市原少年院から出た時は世界が変わっておりTOP-Jは解散状態になっていた。それまで20人しかいなかった宇田川警備隊が100人になっていたり、もともとKGB(200人)の頭と仲良かった関係でTOP-Jの半分がKGB(200人)になっていたりした。そこで2代目はどうするか話し合った結果一代で終えて伝説になったチーム。それから残った各メンバーは用賀喧嘩会に合流。チーマー世代では井上勇氏や田丸大氏が当時の有名人であった。
元暴走族が多い。「女にモテること」と「不良」を両立させようというコンセプトであった。
「チーマー」最後の世代。
この世代の2個下(S54年世代)までBAD-G・イラプション・ジャックスといったチームが存在していた。
S53年世代
昭和53年世代「永福町ブラックエンペラー」・「新宿メデューサ」。昭和53年の見立真一が永福21代目の高橋氏(稲川会系暴力団員)に話を通し復活させた「永福町ブラックエンペラー」が徹底的に仕切っていた。主な活動目的=集会・集団暴走・威嚇行為・自宅襲撃・奇襲・抗争・喧嘩・凌辱・拉致監禁・脅迫。「歩き集会」をチーマー達の本拠地・渋谷で行うこともあった。「楽しけりゃいいじゃん。」のチーマー達にとって暴走族は抗争相手としては厄介な相手でだった。暴走族達はチーマー達を「眼中なし」としていた。
S53のキチガイ達が出てきてから楽しかったはずの渋谷が地獄絵図になった。S53の関東連合のメンバーはS52のTOP-Jのメンバーを先輩として立てているようには見えなかった。S53は見立氏の登場。加藤氏の代が全員パクられて関東連合が解散になったのを復活させたのがこの世代の永福町ブラックエンペラー。襲撃は加藤氏の代を遥かに超え、総力戦・ゲリラ・奇襲・凶器戦・恐怖心を与えることに関しては相当長けていて関東連合の知名度を一気に上げた。S53の西川氏・山田氏率いるこの世代の用賀喧嘩会も凄かった。見立氏達とつるんでるうちに関東連合に加盟。CRS連合の三鷹スペクターの鈴木氏と小俣氏が22代目黒皇帝の佐藤氏とメデューサ邑井氏が教護院が一緒で仲良かった関係で友好団体で各地の抗争に参加。
S54年世代
この辺りから都内最恐で抗争・喧嘩無敗の宮前愚連隊が出てくる。
吉田安清氏・小池氏・柴田大輔氏、見立真一氏と仲良かった関係から宮前愚連隊も関東連合に加入。
S54は宮前愚連隊の柴田大輔氏人気で宮前愚連隊総勢50人以上(キック/ボクサーやら格闘技経験者と喧嘩が出来る奴ばかりが集まり、めった刺しも普通にやるキチガイも集まった喧嘩殺人集団。後に都内最恐と言われる。)片腕がグチャグチャになるまでバットで叩き続けたり、腕を数十ヶ箇所刺して刺殺したりといった相手の精神まで崩壊させるような手段は背筋を寒くさせるものがあった。宮前愚連隊が考案した拉致った後に立てなくなるぐらいさんざんシバいた後に下剤を飲ませ、うんこ我慢できなくなった同士のシックスナイン&食糞。顔面下痢まみれの奴に「ウンコうまいです。」と言わせるのが残虐ポイント。拉致って裸にしてさんざんボコってる途中に一人が糞を漏らした。「てめぇー汚ねえなー。」とさらにボコり、処理するのが嫌だったから自分で食わせたのが始まり。「シゲルは変態です。これから自分の糞を食います。」龍の刺青をした奴がうんこ食べてる動画がチェーンメールで全国に流れる。抗争相手に顔面をバーナーで焼いたり(相手は後に自殺)、10Kgの鉄アレイを膝の皿に落として破壊したり(車イス生活)、くるぶしを砕いたり、ねじれるぐらい腕をバットでグシャグシャにしたり、腕をナイフでめった刺しにして壊死させたり(相手は刺殺)していた都内最強無情殺人集団。
鬼面党の西山氏と金井氏も見立氏に認められ関東連合に参加(当時のブラックエンペラーの見立氏達と宮前愚連隊の柴田氏達相手に二人で全面戦争仕掛けた気合いの入った男達)。人数関係なし(全狂連30人に襲われるが一歩も引かず闘う)に引かないので数十人の武装してる敵対チームに襲われることが多い。千歳台ブラックエンペラーも加わり、関東連合・鬼面党・宮前愚連隊・用賀喧嘩会・小次郎の時代が始まる。用賀喧嘩会がチーマーから暴走族に変更。
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