鑑定によれば、直接の死因は、頸部圧迫による窒息だと考えられる。
だが、その頭皮は灰褐色、淡褐色に変色、同様に顔面も淡褐色や赤褐色に変わり、表皮がはがれていた。
いずれも重度(三度)の熱傷によるものだが、実に正和の身体の80%はこうした熱傷でおおわれていた。
まず、「日本クレジットサービス(JCS)」で15万円を、続いて「レイク」でも15万円を引き出させ、藤原達はわずかの時間に30万円もの大金を手に入れた。
藤原と松下は、正和から巻き上げた金でソープランドに遊びに行き、正和だけが一人、藤原のオデッセイに残された。
藤原らが正和を連れまわしていた約2ヶ月の生活費のすべては、正和の知人やサラ金等でだましとった金と正和の両親に振り込ませた金によって賄われていた。
食事代、ラブホテルの宿泊代、ガソリン代などのほか、パチンコ、ソープランド、ファッションヘルス、ピンクサロン、ストリップ、パブ・居酒屋での飲食、洋服、下着、北海道への旅費などの遊びに消えていったと、彼らは供述している。
犯人グループと正和が、宇都宮市内のスナック「ロコガール」で酒を飲んだのは、十月初旬のことだった。
9月30日に、正和にサラ金回りをさせて30万円、正和の会社の同僚である中井からは20万円もの大金を巻き上げた。
その収穫に藤原は上機嫌だった。
担ぎこまれた場所が「モロッコ」というラブホテルの一室だった。
泥酔状態におちいった正和は部屋の片隅に投げ出され、そのとき小便を漏らしてしまった。
「このバカヤロー、面倒かけやがった。起きろッ、須藤」松下が正和の頬を平手で叩き、目を覚ませようとするが、いっこうに起きる気配がない、植村と松下は、正和の服を脱がせて風呂場に運び込んで、小便で汚れた身体を洗うことにした。
「熱いシャワーを浴びせれば、目を覚ますだろう」植村の頭の中をちょっとしたイタズラ心がよぎった。
風呂場のよくそうで寝込む正和の身体に、最高温度のシャワーをかけたのである。
1999年10月19日
石橋署に着いたのは午後1時頃だった。
生活安全課巡査部長の難波繁男(仮名)刑事が応対し、両親にこう告げた
「きのう捜索願を受理したので、あとは職務質問でわかることもあるし、 事件や事故でわかることもあるから・・・」光男(父親)は瞬時にやる気のなさを感じ取ったが、警察もいろいろあって忙しいのであろう、ただ単に息子の行方がわからないというだけでは相手にされないのであろうと解釈して、それまでに得た情報をもとに、正和が事件に巻き込まれている可能性が高いことを理解してもらおうと話し始めた。
それまで一度も無断欠勤したことがなかった正和が、10月12日以来、ずっと会社へ行っていないこと、寮へ戻った形跡もないこと、携帯電話も通じないこと、友人の話では長髪だった髪が剃られて丸坊主になっていたことなど、知り得た情報のすべてを、藁をもつかむ思いで難波刑事に伝えた。
しかし、難波刑事はボールペンを指でくるくるまわしながら、次のような信じられない言葉を吐いたという。
「でも。今回は息子さんが金を借りてるんでしょ。 悪いのはあなたの息子で、借りた金をほかの仲間に分け与えて おもしろおかしく遊んでるんじゃないの? 警察はね、ちゃんと事件になんないと動けないの」
1999年10月22日
以下は難波刑事と光男のやりとりだ。
「で、今日はなにしにきたの?」
「実は、先日、正和と連絡がとれまして、電話での話の中に『助けてほしい』といった言葉はなかったのですが、まわりから変な笑い声が聞こえたりしていました。誰かに監禁か軟禁状態にされているんじゃないかと・・・」
「あんたの倅は19歳になるんだろ。携帯ももっているし、トイレに入ったときとか一人になれるはずでしょ。その気があるなら、そういうときに逃げるとか、携帯で助けを求めないのはおかしいだろ」
「でも、以前に彼女がいるとか言っていましたので、彼女を人質に取られたりして、そういう事ができないのでは・・・」
「あんたね、憶測でものを言うな。何度も言うけど、金を借りているのはあんたの息子なんだ。悪いのはあんたの倅なんだよ。(こんなに金がいるというのは)もしかしたら、倅は麻薬でもやってんじゃないか」
「それなら、麻薬の線で操作してください。お願いしますよ、刑事さん」
「だから、警察は事件にならないと動かないって言ってるでしょ」
正和に殺虫剤のキンチョールを使って「火炎攻撃」を加えたのも、「熱湯コマーシャル」と同様に植村の発案だった。
それは10月25日の午前3時頃のことである。
藤原が「ホテル博多」の部屋に備え付けのキンチョールの噴射に火をつけ、30cmもの火炎で正和を脅かして遊んでいた。
―中略―
植村は、全裸の正和を燃えにくい木製のドアの前に立たせると、ライターでキンチョールの噴射に着火し、30~40cmの至近距離から正和の腹をめがけて火炎を浴びせた。
「熱い。やめてください」正和は大声で叫びながらその場で飛びはね、両手で火炎を防ごうとした。
植村はそんな正和の姿を楽しんだ。
彼にとっては遊びでしかない。
植村は何度も何度もフェイントをかけながら、正和に火炎を浴びせつづけた。
室内に異様な臭いが立ち込めた。
殺虫剤が燃える強烈な刺激臭と、正和の肉体が焼けこげる臭いが入り混じったものだ。
残忍な植村の執拗な攻撃は、いつ果てるともなく続いた。
いじめゲームの世界にハマってしまった植村の目は殺気だち、狂っていた。
その後も4,5分間この攻撃を続け、なんと正和の性器にまで火炎を向けたのだ。
正和は身体をねじり、股間を手でかばい、恐ろしい火炎から身を守ったが、結局、太股にも大火傷を負うことになる。
「熱い、熱い。すいません、すいません」
大声で泣き叫び、逃げまどう正和を植村は執拗に追いまわし、部屋の隅に追い詰め、背中一面にキンチョールの火炎を容赦なく浴びせたのだった。
その結果、正和は、右手、下腹部、両太股、背中に火傷を負い、身体全体にできた水ぶくれが破けて皮がむけ、皮膚はベロベロの状態になり、肉は真っ赤に腫れあがった。
陰湿な「熱湯コマーシャル」の攻撃方法は、まず正和を素っ裸にすることから始まる。
「そろそろはじめるぞ。裸になれ」そんな声にも正和は逃げ出すことはできない。
もはや抵抗する気力さえ、失ってしまっていたのだ。
しかも、すでにこの頃には「熱湯コマーシャル」は毎日、定期的におこなわれる習慣になっていた様子がうかがえる。
素っ裸の正和の皮膚は、火炎攻撃と熱湯シャワーによって、見るも無残な状態だった。
皮膚はボロボロにただれ、傷口からはジクジクと体液があふれだし、腐敗すらはじまる状態だった。それでも、植村はむりやり正和を風呂場に連れて行く。
もしも抵抗して逃げるようなことがあれば、その「お仕置き」として狂ったように体じゅうを殴りつける。
こうした虐待が繰り返されたために、逃げることを断念していたとしか思えない。
飲食を終えてホテルに帰り着くなり、正和は植村のスーツを着るよう、藤原に命じられた。
正和は、それが植村から制裁を受ける口実になることを充分に承知していた。
しかし、それを無視すれば、今度は藤原の逆鱗に触れる。
どうしたって正和は殴られる運命にある。
だから、正和は意を決したように植村のスーツを着てしまった。
「なんだッ、その格好はッ!」
植村はそれが誰のさしがねであるのか当然理解しているが、正和をいたぶることは、時間をもてあます植村にとって快感だった。
「てめえ、殺してやる」
いきなり正和の頭上に木製の椅子を振り下ろした。
まともに食らった正和は後方によろけて倒れこんだ。
植村は、その上に馬乗りになり、正和の顔面をまるでサンドバッグのように「ワン、ツウ」と左右のこぶしで殴りつけ、最後は正和の背中を蹴って松下の方に倒れこませた。
藤原が正和に因縁をつけると、「さあー、熱湯やるぞ」植村と松下が声をあわせて、本格的なリンチの再開を宣言した。
「いやです、もう勘弁してください」正和は必死に懇願するが、これははじめから彼らのゲームとして予定されていた行動だ。
植村と松下はむりやり正和を全裸にさせ、引きずるように風呂場に連れて行き、深夜の「熱湯コマーシャル」がはじまった。
浴室からは「ギャー」という悲鳴と、狂ったように泣き叫ぶ声が聞こえる。
ドアにしがみつき、必死に熱湯シャワーから逃げまどう正和の姿が、ガラス越しに高橋にも見えた。
藤原はそれを見ながらニヤニヤと笑っている。
「アチィ、アッチィ、アチィ、助けてください、勘弁してください」
正和は悲鳴をあげて風呂場から逃げ出そうとする。
だが、藤原と松下が外からドアを抑えて浴室に閉じ込められてしまう。
その間、植村は容赦無く正和に熱湯を浴びせつづける。
そして数十分が過ぎた頃、浴室の前に藤原とコップを持った松下が立っていた。
コップの中にはオレンジジュースが入っているが、ひと目で白いドロドロした液体が混ざっているのがわかった。
「オレンジジュースを飲め」松下が命令した。
「俺の精子が飲めねえのかよ」
それは、まるで狂人としか言いようのない所業だった。
熱湯シャワーを浴びせられつづけた正和の体から湯気が立ちのぼり、体力的限界の中でそれが何かを悟り、一瞬、いやな顔をして拒否したが、考えるまもなく松下に屈服せざるを得なかった。
2人の精子が入ったオレンジジュースを一気に飲み干したのだ。
あらゆる暴力と脅迫で、この間、正和をいたぶりつづけた藤原らが、とうとう肉体的苦痛を超え、人としての尊厳まで侵したのだ。
「おまえたちもオナニーしろ。あと3分で出せなかったら、須藤にフェラチオさせる。それでも出せない奴は罰金10万円だ」藤原は、植村、高橋、正和の3人にそう命じた。
だが、結局射精できなかった高橋は、正和にフェラチオさせることになる。
コンドームを装着し、正和に舐めさせ藤原がそれを写真に撮るという異常な事態になった。
一方、植村はコップの中で射精を終え、その中に小便を満たした。
「一気に飲め」黄色まじりの白く濁った液体を正和に突きつけた。
正和は顔を引きつらせ、吐き気をもよおしている。
だが再度、植村にそれを飲むように命令されると、本当に気持ちの悪そうな顔をしながら数回に分けて飲み下した。
結局、この日は3回目の熱湯シャワーを浴びさせるために、植村と松下が正和に難癖をつけて正和を風呂場に連れこんだ。
そして、植村が正和の後ろから羽交い絞めにし、松下は、防御のできない正和の胸から下腹部にかけて熱湯を浴びせ続けた。
その後、正和は解放されたかのように見えたが、藤原は消費者金融会社「プロミス」のコマーシャルソングを正和に歌わせながら、その場で何回も回転させ、目がまわって倒れたところを、「俺のブーツは革が硬いので有名なんだ」と言って、太股を何度も蹴り上げた。
「ホテルエムズ」に入った3人は、備え付けのビデオで映画「アルマゲドン」を観ていた。
すると突然、松下が全裸になり、ホテルにあったコンドームを自分のペニスに装着し、正和に向かって「ヒロヒト、シャクれ」と命令した。
「ヒロヒト」というのは、藤原が中学生時代にいじめていた同級生の名前で、彼らは正和のことをこう呼んだりしていた。
彼らに恐怖をさんざん叩き込まれていた正和は、抵抗することなく、その命令にしたがうだけだった。
「もういい。へたくそヤロー」
松下はこう言い放ち、その場でマスターベーションして射精した。
風呂場の中では、ふたたび熱湯シャワーが約10分間にわたって繰り返された。
さらに、風呂場のドアをようやく開けて這い出した正和を捕まえては、顔面を5、6発もこぶしで殴り、睾丸を立て続けに2,3回蹴り上げた。
そして、その場にうずくまる正和の身体を、今度は玄関においてあった約50cmの木製靴べらで、力いっぱい叩くのだった。
頭を叩かれないように、両手で防御した正和の手を、植村は集中的に叩き、正和が「ウーッ、痛い痛い」と、うめき叫び、こらえきれずに手を離すと、今度は顔面といわず頭といわず狂ったように殴りつけた。
結局、正和には睾丸、背中、腰骨に100回以上の殴打が加えられた。
まさに殺さんという勢いだった。
「20発叩かれても動かなかったら、今日はこれで終わりにしてやるよ」
植村は正和を直立不動にし、「イーチ、ニーイ、サーン」と号令にあわせながら焼けただれている尻を靴べらで叩いた。
そして、20発を終えて正和が気をゆるめたとたん「動いたのを見たぞ」と、ふたたびゼロから尻叩きをはじめた。
それは植村が息切れして、「殴るのが疲れた」と言い出すまで続けられた。
結局、リンチの時間は4、50分にも達した。
このときの正和の身体はあまりにも惨たらしい状態となっていた。
右耳がグニャグニャに潰れ、顔と肩は殴られつづけたため腫れあがり、ひどい内出血を起こしていた。
胸、背中、足の付け根、右手、左足は火傷の水泡がつぶれて皮がベロベロにはがれた。
集中的に叩きつづけられた尻の左半分は異常に大きく腫れあがって、バスケットボールのようにパンパンになって血が滲んでいた。
植村は洗面所のあたりまで正和を追い込むと、そこでポットの中に入った熱湯をコップに移し、「おーら、おーら、かけるぞ、かけるぞー」と、面白そうにフェイントをかけ、そのすきをついて煮立った熱湯を正和の頭や胸のまわりに浴びせかけた。
「あっちち、熱い、熱い、痛い痛い、すいません、勘弁してください、助けてください」正和は大声で泣き叫んだ。
しかし熱湯のリンチは、簡単には終らなかった。
ポットの湯が無くなると再び湯を沸かし、このリンチは続けられたのだ。
こうして、この日も植村と松下に熱湯のシャワーをかけられた。
正和の身体じゅうの皮膚はベロベロにささくれ立ったようにはがれ、肉がむきだしになる状態だった。結局、この日のリンチが終ったのは午前5時だった。
植村と松下はソファーに、高橋がテーブルの脇の床に寝た。
正和はテレビの下の冷たい床で、一枚だけあてがわれたタオルを敷き裸のまま放置された。
植村は、うがい用のプラスチック製のコップにポットから熱湯を注ぎ、正和を逃げることのできない壁際に立たせ、約1メートルの距離から正和の胸をめがけて一気に煮えたぎる熱湯を浴びせた。
正和は、悲鳴をあげて飛び上がったが、それでも植村は許さず、フェイントをかけ、二杯目の煮えたぎった熱湯を浴びせかけた。
正和はそのたびごとに「熱い、熱い」と泣き叫び、あまりの暑さに耐えきれず背中を植村に向けたが、植村はそれでも許さず、結局4回も湯わかし器で湯を沸かし、15~16杯もの熱湯を正和に浴びせ続けた。
すでに暴れ回ることもなく、その場にしゃがみこんだ正和は「熱い、熱い」と、うわ言のように何度も弱々しくうめくだけだった。
だが、植村はそれでも満足できなかったらしい。
動かなくなった正和の頭の上から、残った熱湯を全部浴びせた。
11月30日、藤原は正和に携帯で光男(父親)に電話をさせた。
心から心配する親の声を聞いた正和は「俺だって本当に帰りたいんだよ、電車賃がないと帰れないじゃん」とほんきになって泣き出した。
一方、難波刑事の近くで正和と話をしていた光男は「正和。今ここにお父さんの友達がいるから、ちょっと話してみろ」と、とっさに言って、携帯電話を難波刑事に渡した。
「須藤か、どこにいるんだ。早く帰ってこないとダメじゃないか。みんな心配しているぞ」
「あんたは誰だよ」正和の問いに難波刑事が答えた。
「石橋だ、石橋の警察だ・・・・・あれ、切れちゃったよ・・・・」
不用意にも身分を明かしてしまったのだ。
刑事たるもの、事態が監禁に類する疑いがあれば、絶対に立場を表にださないのが鉄則だ。
しかも、光男は「お父さんの友達だ」と紹介しているのに、難波はそのとき光男が発した言葉をはっきりと聞いていたはずで、状況を理解しているかのようにうなずいていた。
にもかかわらず、電話を手にすると、「石橋の警察の者だ」と答えたのだ。
正和からの電話は、それが最後だった。
実は、このときの電話が、正和殺害を決定づけることになる。
電話に出た刑事が身分を明かしたことが殺害のきっかけになったことは、裁判でも認定された。
藤原はイライラしたように怒鳴りはじめた。
「このままだったら捕まっちゃうぞ。警察に捕まるのはいやだ。警察を甘く見るんじゃない。留置場に入れられて朝から晩まで取り調べで、白い飯も食えねえぞ。おまえら捕まったことがないからのんきなんだ。俺たちのしたことは、『逮捕監禁、強盗、詐欺、傷害』で、結構長く刑務所に入ることになる。俺は絶対に捕まりたくない。須藤を殺して山に埋めちゃえば絶対バレない、おまえもいつも須藤のことを殺すって、そう言ってたじゃないか」
藤原は、植村に正和の殺害をもちかけた。
はじめは黙っていた植村だが、正和が生きて警察に発見されてしまった場合、数々の悪事が明かされることになるとあせった。
「わかった。じゃあやる」
植村がこう答え、松下にも同意を求めた。
「やる」
松下が短くうなずいた。
いくつかの意見が出されたが、最終的には松下が提案した芳賀方面に決定した。
遺体の処理については、藤原が「穴を掘って死体を入れ、その上にセメントを流し込み固めて、土をかける」と提案。スコップとセメント、砂を用意することになった。
だが、それらを用意するためには金が必要だった。
植村は、正和の最後の給料が振り込まれていることを思い出した。
「須藤の給料が振り込まれているはずだから、銀行に寄って金をおろし、その金で道具を買おう」藤原と松下も植村の意見に同意した。
ホームセンター「サンハウス」に立ち寄り、作業着、長靴、スコップ、桶、砂利、ポリタンク、ベニヤ板、黒色スプレー、セメント、砂、給油ポンプを購入した後、殺害現場となる芳賀方面に向かった。
-中略-
藤原がインテグラに乗っている正和に近づき、「車を埋める穴だ」と伝えた。
だが、彼らが何のために穴を掘っているのかを、正和は悟っていた。
「生きたまま埋めるのかな。残酷だな。」
正和はつぶやき、高橋のほうを向いた。
「悪いけど、セブンスターをくれませんか」
いつもなら正和がタバコを吸うこと自体、リンチのきっかけになる。
だが、この時は死を覚悟していたのか、正和は平然とそれを要求した。
しかし、高橋の一存では最後の願いさえかなえることができなかった。
藤原には外見上、さしたる変化はなかった。
この期に及んでも、相変わらず正和に歌わせる。
「黄色い看板プロミス・・・」
変化があったとするならば、正和を殴らなかったことくらいだろう。
充分な大きさの穴が掘られ、コンクリートの準備ができると、藤原はベニヤ板に黒色のスプレーを吹き付けはじめた。
黒い面を上にして穴をおおうためだった。
これで、遺体の発見がより困難になると思ったのだ。
植村はインテグラの助手席に置いてあったスーツのポケットから、日頃から着用している赤色っぽいネクタイを取り出し、運転席に置いた。
掘り下げられた穴の前で藤原は言った。
「チャッチャとやってこい」
松下には白昼堂々と殺害を決行する気持ちはなかったが藤原の命令で初めてそれが「いま」だということを知った。
植村は何のためらいもなくインテグラに向かって歩く。松下がその後を追った。
植村がチャイルドロクのかかった左側後部ドアを外側から開け「降りろ」と正和に言った。
正和は観念した様子で、なんの抵抗も示さない、言われるままに外に出た。
「服を脱げ」植村の声は終始、命令口調だ。
正和は黒のフード付きダウンジャケットを脱ぎ、植村に手渡す。
ついでオレンジ色のトレーナー、青色のスウェットパンツを脱ぎ、全裸となった。
植村はそれらをインテグラの後部座席に入れようとしたが、松下が抗議した。
「臭えから袋に入れてからにしろよ」
長期間のリンチによって受けた火傷は手当てされることもなく放置されたため、すでに腐っていた。水泡が破れて皮はベロベロになり、いたるところから汁が滲みだす。
正和の身体からはすごい腐敗臭が漂っていた。
すべての殺害準備を終え、まさしくそのときが来た。
二人は地面を固めるように足で地ならしし、両足を踏ん張り、正和の首にネクタイを一回巻きつけて首の裏側で交差させ、たがいの呼吸を計るように目と目で合図をかわし、力いっぱい引き合った。
正和はその苦しみのために、両手を上げて必死に首とネクタイの間に指を入れようとするが、二人はかまわずに引き合う。
まるで綱引きのように松下と正和の身体は強引に引く植村の方に傾く。
松下は正和を見ることができず目をつぶったまま、つかんだネクタイを慌てて引き戻した。
グルグルという音をさせたあと、「うーッ」と、正和はうめき、ゴボッゴボッと血を吐き、咳き込み、痙攣し、失禁した。
静かな山の中に、正和の苦痛のうめき声が広がった。
人に聞かれてはマズイと植村は慌てて正和の後ろにまわりこみ左手で正和の口をふさいだ。
90秒ほど絞めあげると、正和の身体は左斜めにうつぶせで倒れた。
「おめえ、根性ねえな。ここまでやったらしょうがねえ、やるっきゃねえ」
と言い、うつ伏せで倒れている正和をまたいだ。
そして、馬乗りの格好になり松下が放したネクタイの一方をさらに1、2回首に巻きつけ、2,30秒ほど力いっぱい絞めつけた。
一方、運転席に座っていた藤原は、正和のうめき声に耐えられなくなっていた。
林道をおよそ10メートル登ったところに、あらかじめ掘っておいた穴がある。
3人はゆっくりと正和の死体を運び、その穴の斜面の上から見て左にいったん正和の死体をおろした。
「せーの」植村の掛け声にあわせ、3人は正和の死体をうつ伏せのまま投げ込んだ。
だが、思ったよりも穴が小さく浅かったために、正和の身体ははみ出している。
植村が穴の中に入って、正和の足をくの字に曲げて姿勢を整えた。
それから桶を傾け、松下がスコップで中のセメントをかき出し、正和の頭の方から流した。
土をかぶせ、長靴で踏み固めた上に藤原が黒く塗ったベニヤ板を2枚敷き、さらに再び土をかぶせて落ち葉や木の枝を敷きつめた。
正和の遺体は遺棄され、偽装された。
12月3日午前零時頃、藤原はふたたび植村らと合流。
そこで、将来の逃走計画が練られた。
松下が「殺人罪の時効は15年だから15年逃げきれば大丈夫。北海道に行って暮らしたい」と言うと、植村は「彼女と伊豆あたりでのんびり暮らして時効まで逃げる」と言う。
だが、藤原は「それは認めねえ。こういう時は、みんなで一緒にいたほうがいい」と反対した。
その後、正和の死ぬ場面を松下がゼスチャーで再現し、植村はマスターベーションしたという。
12月4日、藤原だけは宇都宮に残り、その夜は彼女と2人で過ごした。
植村ら3人は、午後1時頃上野駅に到着。
高橋は自宅に戻り、植村と松下はパチンコをした。
そうして時を見計らい、植村は彼女に会いに行くと言って、平塚に向かった。
結局、松下だけがウィークリーマンションに泊った。
一方、高橋は、午後3時20分頃、芝浦にある自宅に着いていた。
その後、帰宅した母親と祖母に事件を打ち明けたが、母親は自首を強く反対したという。
犯行2日後の12月4日午後9時15分、反対する母親を押し切り、高橋は三田警察署に自首した。
高橋の自首を受けた警視庁三田署は色めきたった。
事件はただちに「特異報告」として、署長に伝わり、捜査員が集められた。
取調べを受ける高橋からは、事件の信憑性につながる詳細が引き出され、警視庁捜査一課に速報された。
一方で、栃木県警に対し、事件の背景が照会されたはずである。
事件を放置した石橋警察署の窓口となっていた生活安全課の刑事は、なにを考えただろうか。
そして、実際に「不作為」を指揮していたと思われる、石橋警察署長は目の前が真っ暗になったにちがいない。
現場に呼ばれた芳賀カントリークラブの支配人を立会人として、高橋が指示した場所を捜査員が掘り始めた。
3~40cmほど土を掘り下げると、コンクリート片が出て来た。
続いて45cmX90cm大のベニヤ板2枚が出土した。
さらに、捜査員が注意深く掘り下げていくと、午前11時36分、人間の顔の部分が土中から発見された。冷たく変わり果てた正和だった。
遺体はどす黒く変色し、身体じゅうの皮膚がベロベロにむけている。
藤原らに連れまわされた2ヶ月ものリンチの凄まじさを物語っていた。
操作に長けたベテラン捜査員でさえ、この光景に言葉を失ったほどだ。
現場では検証がおこなわれ、正和の遺体は手厚く回収された。
さらに、被疑者らが投棄した正和の衣類や、犯行に使用したスコップ、ポリ容器、そして松下のインテグラなどが、高橋の指示どおりに発見された。
こうして、藤原、植村、松下らの残虐非道の犯行は裏づけられたのだ。
12月5日午後4時、宇都宮からオデッセイを運転してきた藤原は、平塚から帰ってくる途中の植村と合流。
松下が宿泊する高田馬場ウィークリーマンションに向かい、到着したところで警視庁の捜査員に逮捕された。
事実関係を報告書にまとめる作業は、警察官にとって基本中の基本である。
なぜ、事実とはあきらかに異なる報告書が作成されたのだろう。
理由は簡単だ。
実は、今回の事件に関して警察現場はまったく記録を残していなかったのだ。
母親の洋子はこう証言する。
「刑事さんにやる気が無いのは感じていましたよ。だって、こっちが真剣に話しているのに、刑事さんは椅子にふんぞり返って足を組んで椅子をグリンコグリンコと回しているだけなんです。それで、指にはさんだボールペンをくるくる回し、重心が狂うとそれを整えるために、ボールペンの先をノートの上でトントンと叩くんです。その間も、まったくメモは残していませんでした。それは、私たちが警察に足を運んだ毎回のことでした。」
「刑事控訴事件記録」をめくる指が止まったのは、証人として出廷した藤原の母親の次の言葉を見つけたときだった。
「当時、夫が警察に勤務しており、なにか悪いことをすると、警察から連絡があったものですから、その時は連絡が無かったので安心していました」
藤原は日頃から素行が悪く、保護観察処分歴さえあった。
その父親は栃木県警の現職警察官だ。
警察は組織防衛上からも、身内の犯罪については過剰なほどに敏感になる。
だから、普段は「なにか悪いことをすると警察かられんらくが」あるのだが、正和の事件に限ってはそれがなかったのだ。
いつもの「悪いこと」と今回の「悪いこと」はいったい何が違うのか。
県警はかなり早い段階で現職警察官の息子である藤原の関与を把握していたのではないか
正和が殺された2日の昼に、光男は宇都宮中央署生活安全課の成澤哲夫課長(当時)をたずね、「正和を犯罪者にしてもいいからなんとか警察が事件として動く方法はないか」と相談をもちかけている。
光男はこのとき、現職警察官の息子である藤原の名前もはっきり告げた。
成澤課長は、過去に藤原が恐喝事件を起こした際の取調官で、そのことをおぼえていた。
にもかかわらず、藤原の父親には伝わらなかった。
異常である。
警察官が警察官の家族など関係者の犯罪を認知したら、しかるべき捜査に着手するのが鉄則なのに、それがなされていなかった。
もし、成澤課長が機転を利かせて藤原の父親に連絡し携帯電話で藤原をつかまえていれば、あるいは間一髪で正和を救い出すことができたかもしれない。