(6月の全体朝礼より)

自分が正しい!という人は成長しないという話を以前から朝礼などで話をしてきました。

自分は正しくないかもしれないという人は成長する可能性を秘めていると思っています。

履歴書に長所・短所の欄があるのは何故でしょうか?

長所が多くて短所が少ない人と仕事をしたいからではありません。

自分の長所・短所はその人のアイデンティティです。

何を大事にしているのか、自分の苦手な部分をどう補っているのか、今後の課題はなんなのかという全く分からない人の価値観を理解するためです。

長所と短所は紙一重、というか観方によって変わります。

人見知りは短所でしょうか。社交的は長所でしょうか。

どちらでもありません。

何故人見知りが短所ではないのか。それは人見知りは相手のことのほうが自分より大事だと思っている、相手を気遣ってるだけだからです。

とある芸能人はこんなことを言っていました。

この業界で長く生き残っているのは人見知りのほうが多い。

皆の前に出る職業なのに人見知りでできるのかと思う人もいると思いますが、目立ちたがり屋だから長く仕事ができるわけではありません。ながく仕事するために大事なことはそれを引き立たせてくれる人といい関係性を築けるか、だから相手への気遣いできる人見知りのほうが長く生き残ることができる。

話題だけのタレントが生まれ消えていくことはその世界では常識です。調子に乗った目立ちたがり屋と誰が長く仕事したいと思うのでしょうか。

これは持論なのですが社交的な人はとても丁寧です。誰に対してもいい顔をします。そういう人は知り合いも多いはずです。ただその人たちの口癖は

「今度何かあったら、食事行きましょう。」

はたしてどれだけの数が実現されるのか。それに対して人見知りの人は一回一回の出会いをとても大切にしているので、確実に約束は実現されていきます。

それ以外にも長所短所として

字が汚い、字がきれいということがあります。

もちろん人に見てもらうためには字はきれいなほうがいいのできれいなのは長所です。

汚いのは短所でしょうか。

とある研究者によると字が汚い人は頭の回転が速すぎて、字が追い付かないということを言っています。東大生の上位のほうは字が汚い人が多いとのことです。字の丁寧さはその人たちの中では重要視されていないだけのことだと思います。

部屋がきれい、汚い。

世の中では整理術的な本が出ています。これらの本は大衆に向けて書かれています。

整理整頓して物事を考えやすくしましょう。素晴らしい考えです。じゃあ部屋が汚い人はダメなのか。

研究結果によると部屋が汚いのはとめどなくアイデアがあふれて、整理している暇がもったいない、整理せずにもいろんなことができる人に多いそうです。部屋が汚い人のほうが発想力に富んでいるというデータもあるそうです。

何が言いたいかと言うと長所・短所と言うのは観方の問題であり、何が正しくて何が間違っているとか個人の個性の違いであるということ。

しかしその中で相手の長所に気づかずに短所ばかり目につく、探して人はこの2パターンに分かれます。

①自分もそれはできていないのに他人には厳しく、ただ言いたいだけの人(これは恥ずかしい、目くそ鼻くそ笑う、どんぐりの背比べってやつです)

②相手の長所が短所としか見えていない

②が非常にもったいない。そもそも個性は人によって違う。自分が正しいと思っている人は成長しないと最初に述べましたが、こういう長所に気づかず、短所ばかり探してしまう。

成長とは自分にない部分を足していくことだと思います。自分のもっている部分を活かした経験は作業であり慣れでしかなく、成長することはありません。

相手の価値観が違うとき、何が自分と違うのかを考え、自分にない考えを足したときに新しい自分に出会える、それこそが成長だと思います。

相手の短所が気になったとき、ありえない!!ではなく、なぜあの人はああいう考えなのかな?と何が自分と違うのかなと考え、相手を認める行為が自分は正しくないかもしれないに通じると思います。
久しぶりのブログになります。

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今日はちょっと個人的なことを書きます。

全体朝礼で損と得について話しました。

誰しも幸せでいたい。周りの人に必要とされたい。魅力的な人だと思われたい。

そういう気持ちは多かれ少なかれあると思います。

何か人との関わりでやらなければいけない、決めなければいけないときに

自分が損しないように、自分が得するようにやったり、決めたりすると、

一時的には自分が得をします。嫌な仕事も増えません。面倒なことも増えません。

でもそれをし続けるとどうなるか。

自分の近くにそういう人がいる場合はその人のことをどう思うか。

絶対にこう思うと思います。

(あの人、いつも自分勝手じゃん。楽してるだけじゃん。ずるい。)

ほとんどの人はそう思っても面と向かっては言いません。

しかし続けば続くほど、その人はいろんなところで気が付かないうちに嫌われていく。

何か面倒なことに巻き込まれたときには

ざまあみろ!

と思われるかもしれません。

その反対に

相手がちょっと得するように。自分がちょっと損な役回りしてもいいやと思ってやったり、決めたりしていると

一時的には損します。嫌な役回りも増えます。余分な仕事も増えます。

でもそれをし続けると、

誰々さんがいて助かる。頼りになる。いつもありがとう。という気持ちになると思います。

ちょっとぐらいミスしても

どうしたんだろう。何かあったのかなあ。心配だなあと思ってもらえると思います。

そして面倒なことに巻き込まれても、周りの人が気づかないうちに手を差し伸べてくれると思います。

貯金と借金と同じです。

ちょっとづつためていけば増えていきます。(貯金よりも借金のほうが金利が多いのもpoint)

だから相手のちょっと得になることをため続けていくほうがいいですよ。と言う話をさせてもらいました。(それが徳をつむ、そして人徳というものにつながっていくのだと思う)

何故そういう話をしたかと言うと、

自分の親族で最も尊敬する母親の父親が今終末期を向かえています。ひょっとしたら今月いっぱいかもしれません。祖父は今まで自分が関わった中でも本当に素晴らしい人間で

この人を嫌いな人っているのかなあと感じるほどの人でした。

一緒に食事をしているときでも祖父が好きなものを食べていても、孫が美味しそうにそれを食べているのを見ると、自分は一口も口をつけていないのに、

「食べたかったらこれもお食べ」

と相手の得を最優先に考えている人でした。

いつも感謝を口にして、不満を言っている印象が僕にはありません。そんな祖父が大好きでした。

家で入浴などができなくなり、デイサービスを使い始めたとき、認知は若干進行していましたがとても紳士で人気者だったそうです。

家で生活ができなくなり、有料老人ホームに入ったとき、もう最後になるかもしれないと思い、妻と子供を連れて面会に行きました。認知はさらに進み、何回も同じことを聞きながらも、うれしそうに子供みて、

「自分は本当に幸せな人生だった。何も思い残すことがない」

と何回も言っていた。

今は病院に移り、食事もとれなくなってしまった。

自分が祖父に直接できることはもう何もないけど、尊敬する祖父の考えは自分にしっかり残していきたい。

 

職場の親睦会


昨夜は職場の親睦会でした。

親睦会委員が中心となって2回に分けて行なわれました。(この仕事は24時間365日休みのないので、全員が同時に親睦会に出席するのは無理だからです)

今回は親睦会委員が趣向をこらえて、とあるリゾート施設のラウンジで食事会を行ないました。(前回は飲食店での宴会でした)

普段なかなかできない体験を参加者にしてもらいたい、そういうことがコンセプトだったと思います。

ただどんな企画でもやっぱり100%参加者に満足してもらうことは難しいです。

自分も過去に大人数を呼んでいろんな企画をしたこともありましたが、やっぱり失敗もあるし、参加者から「ここもっとこうしたほうがいいんじゃない?」と言われたこともあります。

そもそも開催する側と参加する側には大きな開きがあります。

それは参加者一人一人の要求、価値観はそれぞれ違うものだから。

お酒を飲む人からしてみれば、いいお酒が飲みたい。

お酒を飲まない人からしてみれば、食事を豪華にしてほしい。

いつもいろんなところに行っている人からしてみれば、変わったところでやってほしい。

みんなそれぞれ求めているものがちがいます。

だから設営側は大変だと思います。

なるべく多くの人が求めているものがかなえられるようにしなくてはいけないから。

今回親睦会の中でゲームや商品が親睦委員のほうから用意されていました。


そういうもの一つ一つ、いろいろ考えて、そして見えないところで準備をしてきたのだと思います。


親睦委員の皆さま

お疲れ様でした。

本当にありがとうございました。