急に暑くなりましたねびっくりアセアセ


暑くもなく、寒くもない照れ

過ごしやすい時期が短い気がするのは、私だけでしょうか……




今年に入り、父の具合が少しずつ悪くなっていたショボーン


母は、面会に行くと度々「急変時の対応」を確認されたタラー


3月初旬発熱

左手の動きが悪くなるもやもや

軽い脳梗塞を起こしたんじゃないか…🤔

と、母と話をしたが、受診はしない方向で話がまとまった


食事が中止になり、点滴が始まる

抗生剤の点滴も追加され、抗生剤が効いたのか?一度は解熱する


2.3日後、再び発熱🤒

今度は痰の絡みが始まる


再び、抗生剤が追加された


肺炎かなぁ…ショボーン

嫌ーな感じがした


3月20日過ぎ頃

呼吸状態が良くない

Spo2は悪くないとの話で、酸素はしていなかった


この頃、週末は職場の内覧会

月曜日~開業したばかりで、バタバタで私は休みが取れなかったショボーン


3月31日(日)に、やーっと休みが取れたので面会を予定していた


が…


3月31日 朝5時25分

携帯が鳴ったピリピリ 

画面の着信名は父の施設名


「これは、ヤバいヤツだ…ガーン

と、電話に出る


「お父様が危篤状態です。お母様に連絡をしたのですが、繋がらず、こちらに連絡させて頂きました。すぐに来られますか?」…やっぱり…不安


「すぐに母と、姉に連絡します。そちらに向かいます不安


母と姉に連絡📱

「今から行って何をするの?」


(心の声)「はーーー?ポーン


「多分、間に合わない。家族の到着を待って、Dr.が最後の診断をする。家族がどうしても立ち会えないのであれば、家族を待たずに診断をする事になる。」と説明。


母に「今からそちらに行きますって連絡して。その後、父のお迎えをどうするのか?聞かれるから、確認しといて!」


と📱話しながら、出掛ける支度をする真顔


姉にも連絡。一緒に施設に向かう。


やはり最後には間に合わなかったが、まだ温かく、寝ている様だった


「日曜日なので、当直のDr.で、父は一度もお会いした事のないDr.になってしまいますが…」と看護師より話があった


Dr.は誰だろう?……と、不安だったが

私が勤めていた時、病院の方でも当直してくれていた、若いが優しく、丁寧なDr.だった泣き笑い良かったー


それから、父を実家へ

私が同乗する事に

「じぃじ、家に帰る道だよー」

「桜が咲いてるよ」

「ずっと帰りたかった家に帰ってきたょ」

と、話しかけながら実家に向かった


車から家に運ぶ際

母、姉、私、葬儀会社の方=女性3人+男性1人…

「男手が無いけど大丈夫ですか?」

と、心配されたが、運んでみると驚き👀‼️


「軽すぎる‼️」


手も足もほぼ骨

こんなに痩せてたかな?

と、皆で驚いたガーン


その後、葬儀会社の方と今後の話があり


一度家に戻れたのは、お昼過ぎだったポーン


息子の先生に連絡し、外出許可を頂く

主人も珍しく会社で仕事の日だったので、お昼過ぎに一度戻ってもらい、一緒に息子を迎えに行く🚙💨


息子は制服が無いので、UNIQLOでリクルートスーツっぽいセットを購入する

黒のネクタイはじぃじの物を貰った


母の分と、自分達の分のパンメロンパンコッペパン🍕ホットドッグ左ホットドッグ右ハンバーガージュースを買い、実家へ向かう


長い1日だった……ショボーン



翌日、湯灌をして頂いたり♨️


決める事、やる事がとにかく多く、結局4日まで休みを頂いた


良くも悪くも悲しんでいられない日々を過ごしチーン

通夜が3日.葬儀が4日と何とか無事に終わった


葬儀では、孫2人からそれぞれ手紙を読んでもらって、手紙は懐に入れた


ずだ袋には、好きだったお菓子を沢山と、紙パックのお酒、お金、歴代の🐶の写真も入れた


道中、お菓子を食べて、お酒を飲んで、孫の手紙を読んで、歴代の🐶達も待っててくれるかもね照れ


外面のよい人で、気前の良い人だったから、周りの人にお菓子を配ってるかな

「沢山あるから持ってけ」って台詞、良く聞いたな―🤭


来月の49日法要が終わると、一段落着くのかな……