6年前

一目惚れ(わたしが)

したランドセル

大きな大きなランドセル


幼稚園から巣立つ娘。


嬉しいより

寂しいが勝って

涙が止まらなかった。


ものすごく心がざわざわして

荒れた←


ずっとずっと

幼稚園児でいて欲しかった←



けれど


小学校6年間の娘


本当にただただ

可愛かった


やっぱり何歳になっても

どんどん体が大きくなっても

芯は変わらないっていうか


りんさんは

りんさんのままだった




卒業式の前の日、最後のランドセル日?は

安定の←

大寝坊ぶちかました


なんか感が働いたのかな?

だからこの写真はその日の前の日←


りんさんのランドセルは

中村鞄さんですが

本当に雑に扱っていた方ですが←


雨風に晒されても


ほらご覧下さい


無傷です


ぺちゃんこになることもなく

ずっと綺麗なままでした。


ランドセル自体が

意味の無いカバンだと

思っていますので

好きじゃないですが

愛おしい娘のランドセルでした。


娘はまだランドセルを自分の部屋にしっかり

鎮座させています。

娘もまだランドセルとバイバイ出来ないようなので

そのままにしてます。




娘の小学校ライフ


やっぱり

いろいろいろいろ

ありました。


全て先生に左右されました。


大方

娘は思った通りの人間でしたが←


とうとう

最後の最後まで

娘の手を挙げての発言する姿

見ることがありませんでした。


なので、通知表の意欲、関心の項目が

良くできるってひとつもなかったんですが、

高学年になると

国語、算数、音楽、図工は

全てが良く出来るに丸がつくようになったので

高学年になると

先生の見方が変わるようです?


まぁ5.6年の先生は男性でしたが

私のことも

生徒扱いでしたし?

しょっちゅう電話かかってきては

まるで諭すように

ゆっくりゆっくり

語りかけられ?

イラッとしましたが←

それでも

りんさんのことは

もう

甘やかしていきます←

とか言われて

もう全て任せました←


とりあえず

4年生の時の担任に

キレ散らかして暴れた私は

身を潜める形になりました←



嬉しいことも山ほどあったはずだけど


悔しい、悲しいと思うことも沢山ありました。


りんさんが泣いて泣いて

本当に可哀想なときも。


男の子の事は

結局

家来

としか思えず

恋バナには無縁でした。


女の子のマウントにもうんざりで

自分がえばりんぼう←の娘は

ずっとストレスをかかえた

女子との付き合いで


6年間一緒に通ったお友達は本当に平和な世界線で、感謝しかありません。


なんとなく

もうちょっと

評価されてもよいのにな…


親の欲目でしょうけど

なんとなく

どこかで燻っていて


それが

卒業式で全て

払拭されました。


卒業式のお衣装

仲良したちがみんな

袴だから

袴が良い。


と言われ。


私が20歳の時に着た

母親の袴。


あれは…

りんたんの大学の卒業式で着てほしいなぁと

思っていたら

りんたんサイズの袴はないので

レンタルする形しかないよなーと。


そうです

呉服屋の孫


和装に関しては

うるさいのです。






ということで

私がずっと憧れていて

いつかここのスタジオさんにお邪魔したいと思っていたところでレンタルさせて頂きました。


これ何年前くらいのものかしら…

絶対50年以上前のものだと思うけど。

わたしも母も大好きな柄。


もう新年からこのレンタルする作業も

ストレスというか

心配の連続で

無事に家に届くのか…と

ヒヤヒヤでしたが

ちゃんと届いて

そして母親が

わざわざ福岡から

私たちの和装の着付けのために

泊まり込みです←




久々の和装。

(鏡きたな)




髪飾りはフェルトでお願いしてたけど

これもめちゃくちゃかわいいー。

ちなみにフェルト髪飾りも娘だけだったと思う。

多分ボブ頭スタイルも娘だけだったような。


今回、ヘアーは全部私がした。

いつもは母親がしてくれるけど

自分のアップヘアーも気に入ってます


いざ参らん



そうです。


大トリの大トリ←


娘が1年かけて頑張ってきた

旅立ちの日にの

伴奏。


もうこれを勝ち取るのが…

精神的に

MAXのストレスでしたが←


3月に本決まりして


そして



すみません、

ずっと動画撮ってたので(夫と)

こんな写真しかなく…


学校のカメラマンさんが

珍しく←

りんたんだけのピン写真を沢山撮ってくださっていたので←

そちらは無事に購入済!


もうさ

号泣


震えながら動画撮り。


そんな私を動画撮る夫(おい)


全てが報われた。

りんたんも報われた。


小学校最後の思い出が最高なものになった。


私のお友達もたっくさん

写真とってくれてた。

わたしより全然素晴らしく撮ってくれてた。


保護者の人達からも

たっくさん

素晴らしかったよと声かけられた


りんたんが1番可愛いと言ってくれた←


もうさ

感無量


ていうのは

このことや←







なんか離れがたくて

しつこくいた。


りんたんにもう帰ろうよ←

って言われるまでいた


たっくさんのお友達たちと写真を撮って

お世話になりまくった

先生たちと写真を撮って。



今の子たちは

みんなLINEで繋がっていて

そんなに寂しくないのかな。


殆どの子達は

みんな一緒の中学にあがり


りんたんだけは

1人で別の女子校へ行く。


けれど、りんたんはすっごくワクワクしていて

もう前だけ見て生きてる


強い


私はどーしても

友達たちと離れられなくて

好きな人と離れられなくて←


私立中学を

蹴ってしまったというのに。


りんたんは

まっったく

そんな思いが

微塵もなかった


逞しい…



りんたんの中学年は

コロナに振り回されていて

思うような学校生活は送れなかった。


友達とも沢山揉めたし

4年生の担任は

ですのーとに書き込んでるし←

勉強の心配はひとつもせずにすんだけど


わたしも娘と一喜一憂

ううん、娘が悲しいときは

多分私の方が悲しかった←


悲しい気持ちは全部私に流れて欲しいと

思ってた。


だから娘が最後の最後に1番やりたかったことが

達成出来て

親子で浄化できた。


目を閉じれば

可愛くダンスしている姿

友達とキャッキャしている姿

リコーダーを吹いたり

アコーディオンを弾いていたり

教室でノートに真剣に書き込んでいる姿

わたしを見つけると走ってくるときの可愛い笑顔。


全部全部が宝物で

その全てを抱きしめていたいです


長くて短かった6年間。


本当に感慨深いです。


そして行きも帰りも迎えに来てくれた母親様。

保護者が2人までしか入れなくてガッカリだったけど、

嫌な顔ひとつもせず

全部支えてもらって

本当に私たち

幸せだなーと思えてならないです。

そして夫との写真が全然無かったことにも

ビビりました←


なので中学の入学式では

山ほど夫と娘撮りました← 







お祝いへも行きました


こんな素敵なプレート描いてくださいました。