歳とったらいろんなことある←急に



思い起こせば

りんたんが生まれた頃


りんたんの曾祖父母は5人いましたが


11年たった今

残りは1人になりました


そのひいおじいさまも100歳超えたそうです


りんたんの祖父母は4人健在です


ほんとに当たり前じゃなくて

幸せなことです


りんたんをそして私たち家族を見守ってくれる人達がまだまだいてくれること…


私は生まれた時から核家族


その上一人っ子で

しかも勝手な父親ときたもんで


思えばほとんどの時間を母親と2人で陽気に楽しく生きてきました

女2人がどんなに幸せで楽しいのかは

経験した人しか

わからないとおもいます❤️


母は酷い偏頭痛の持ち主でそれが遺伝した私も

結構な頻度で偏頭痛に悩まされていますが


母は鬱鬱詐欺の死ぬ死ぬ詐欺

で←(夫も)


私は10代の頃そんなこんなで母に脅されてきたので母が早く逝ってしまうんではないかと

たまに恐怖に襲われることがあったけど(その割には好き勝手してた←)


結局今でも30キロの孫をおぶり


腰ひとつ曲がらず元気に走りまわり

ガンガン仕事をしている母

(見た目も超絶若い)


母は私が産まれてから一度も入院などしていない。

何だかんだ丈夫で元気だったのです。



なんとその母が乳がんになりました


幸い超初期の初期でステージも0とかで(のちに1になったけど)


けれど今後のことを考えて全摘を選んだ母。

(萎れたおっぱいに未練はないらしい)

夫が帰ってきてくれて、我が家でリモートワークしてくれると言うことで

病院に行った方がよいといってくれ


1週間ですが

りんたんをお願いして

私は地元へ帰ることになりました


そして、実家からは微妙に遠い病院だったので

病院近くのホテルを取る事にしました。


母は最初来なくて良いと散々言ってましたが行くとなると

そりゃあ喜んで

入院を楽しみにして←


わたしが来るのを心待ちにして

入院した瞬間に撃沈事件


なんと

家族と一切面会交流が出来ないという!!

(にっくきコロナのせいで)



おい!!


ちゃんと説明きけよ!


ナースステーションで真実を知らされた母は

泣き崩れ

院長がせつめいにくるという始末で

入院当初から

ブラックリスト入りでした←


手術なんかなんも怖くない!みさに会えんのが辛い😭


とずっと泣いておりました


私も病院近くのホテルを1週間予約したあとで

聞かされた事実に唖然


でも仕方ない


オペ当日は会えるし

と散々母を慰めて

帰省


1人でホテルお泊まりなんて…


いつぶりだろう


きっと仕事の研修以来なので15年振りとか?


飛行機で帰省した次の日にはそっこう病院にいって

入るまでも名前書いたりパスを首に掛けたり本当に大変で

コロナって…


ただただにくい


いつまでクラスターにびびってんのよ


母はこの日の記憶が全然ないらしいけど

手術室に入るまで手を繋いで一緒に行けて

待合室で孤独に待ってたんだけど

2時間くらいかな。


説明を受けた通りの時間内に終わり

術後の説明を受けて


若くてイケメンの先生と聞いていたので


期待していたら

若くもなけりゃ、イケメンでもなかった


まぁこんなことはどーでもよく


術後の目覚めた母と

1.2時間過ごせて

ギリギリまで過ごして

看護師さんにもう帰れと言われるまで

話し続けて

帰るとなった時に

母が全然手を離してくれないので

大変だった(笑)


私が赤ちゃんのときに

貪りつくした←おっぱいは

片方だけど

もうないんだなとおもうと

無性に悲しくなりました。


でもリンパ節に転移などもなく

放射線治療も抗がん剤治療もしなくてすんだし


なんにせよ

命があるだけ

幸せですよね


そしてりんたんが早く

おっぱいがなくなった胸を見せろと

ワクワクしていたことにも

家族で爆笑


あの子が居るから

悲しいことも笑いに変わる


ということで

早くも終わってしまったのです


毎日面会して

色々お世話する予定が

全てなくなった…


なんてこと!!


ということで

切り替えて大都会博多を堪能することに致しました←


そして寂しさはあったけど

家の事を一切しないで済む

娘の事も怒らなくていいし


毎日何しようかなって考えるこんな日々…


控えめに言って


パラダイス


が存在しました


なんといっても

会いたかった友達たちも遊んでくれました


昼間は1人でお茶して買い物して

というか爆買いして


夜は友達たちとご飯


帰れば清掃してある綺麗なお部屋で

心ゆくまで本を堪能して


気が済むまで寝る


この世の極楽浄土ここにあり


母の手術、入院には心痛めましたしコロナのせいで病棟に行けないという地獄はありましたが

幸い

命を落とすことなく順調に元気で


そのせいで?


こちらは

子供産んで以来の

こんなファンタスティックな時間を

母がくれたようなもので…


改めて母に幸せな時間をありがとう←

と言いました


じゃないと母も気の毒がってたし。


やっぱり結婚してから

自分のためだけに生きてるって女はしないもので

常に夫のことを考えるし

子供が出来たら考えることは2倍になって


自分のことだけ考えれば良いなんて

時間そうそうないです


それが母が病気になって

母がちゃんと入院の際しての話を聞かないばっかりに

こんなことになり


おかげでこっちは

近くにいるのに会えない


せっかく東京から駆けつけたのに

会えない


けれど

快適なホテルで数日1人っきり


ピンチはチャンス←




娘ちゃんも

我が家から応援してくれて



私が送ってた抱き枕

飼ってた猫にそっくりだったので

母の入院のお供

母は今でも仲良く抱っこしてる模様



食べたかった福岡限定のLAWSONの

からあげクン うまかっちゃん味

早速食べれて満足



シソンヌ ジロウに激似の店員さんがいるところで私のお仲間とご飯❤️❤️❤️

最高に楽しい夜ですた←



昼間に1人でタリーズ

ゆっくりした時間

かわいすぎるーー

トムジェリ



シアトルコーヒーも。

本当にお茶しまくったよ



これも別のお友達と。



DEAN&DELUCAの塩キャラメルラテ



どーしても食べたかった福岡と言えばの

おうどん❤️


帰りの空港で!


ごぼ天うどん



そーいえば

こちらも見たよ

公開日に!

なんていうか

阿部サダヲがうますぎて


佐藤隆太が心配になった。



そういえば飛行機で福岡に向かう日

バレンタインデーでしたので

JALの機内に入る時にこれ頂きました❤️

嬉しい


あとね、結局今回も私が娘のチョコは作らされてね




前日にガトーショコラ頑張ったよ…


おかげで睡眠時間3時間くらいで死んだー


そのあと仕事こなして

飛行機乗ったから!大変すぎた


娘は何食わぬ顔であげたそうです←


ということでね

私はすっかり1人の時間、1人の空間に味をしめましたので←


今年のお誕生日は

1人になります←


何が贅沢って

なにもしない、何も考えない、1人だけの時間があるということなのです


なので

お誕生日は1人っきりで

過ごさせていただきやすっ←