コースもまたそれを反映してる。
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私たちはすでに「楽園追放」すなわち分離について論じたが、その意味は明確に理解されなければならない。
分離とは、時間の中では充分に実在性があるかに見える一つの思念体係だが、永遠の中ではそうではない。
すべての信念は、それを信じるものにとって実在している。
象徴的な楽園の中で、ただひとつの木の実だけが「禁じられて」いた。
しかし神がそれを禁じたということはあり得ない。
禁じていたのなら、それが実際に食べられることにはならなかったはずである。
神がご自身の子供たちを知っているのなら ーそして神は確かに知っていると私は請け合うがー自己破壊が可能な立場に彼らを置いただろうか。
「禁断の木」は「知識の木」と名付けられていた。
だが神は知識を創造し、神の被造物たちに自由に与えた。
ここにおける象徴的意味については数多くに解釈がなされてきたが、神あるいは神の被造物に彼ら自身の目的を破壊する能力があると見る解釈は、いずれも間違っていることは確かである。
