当時を振り返って書いています。


不登校から半年経ち、完全不登校になりました。


長男は、起立性調節障害の症状の

朝起きられない、

手のひら足の裏の汗の出が凄まじい時と乾燥の繰り返し、

頭痛、

腹痛、

下痢、

昼ぐらいまでは立ち上がるときつい状態のようでした。

(昼間いないことが多かったので私が把握している範囲で)


そんな中、動ける範囲で、ホームページ作成や趣味を楽しみながら過ごしていました。


地域の学校には行かない、合わないだろうと感じていたので、新たに通うところを探し始め、オルタナティブスクールに行きつきました。


長男に「体験に行ってみない?」

と尋ねると、

「行ってみる。」

と返ってきたので、体験に行きました。


体験の後、

ニックネームで呼び合う先生との面談で、

「ここなら行ってもいいかな。」と長男が話したので、申し込みました。


先生や児童生徒の距離が近いというか、人対人で関わってくださる雰囲気を感じました。


通っていた小学校へ行かなくなった「きっかけ」は、

集団宿泊教室前の恐らく

「大きな声による締めの指導」だと

長男の話から私は推測しています。


あくまでも「きっかけ」です。


私も学校で働いていたので、その状態は知っています。


運動会や集団宿泊教室など集団での行事に向けて、必要以上に(←私の主観)強い指導が行われることがあります。


長男が体験したオルタナティブスクールは、運動会などの行事や授業参加など全て、参加したいなら参加する、参加しないなら参加しないでいい感じでした。

「自分で決める」ことが出来ました。

個人の選択を尊重される雰囲気がありました。


長男はその日の体調に合わせて、週に数日、給食に間に合うくらいの時間に通い始めました。


私は、すご〜くホッとしたのを覚えています。


この時から記録(プログ・記録編参照)はしなくなりました。ホントにホッとしたんでしょうね。


ということは、記録してる時、私は必死だったのかもしれませんね。


しかし

この時点で、私は自分自身に全く向き合えていません。

まだまだ先は長いですびっくり