ニコンフィルムカメラ撤退 | つうこんのいちげき

ニコンフィルムカメラ撤退

ついにというか、あのニコンがフィルムカメラ市場から事実上の撤退をする。

(数機種は残すが新規開発はおこなわない。)


ニコンがフィルムカメラ撤退


35mm一眼レフレックスカメラのF6がでたときに、事実上この機種が最期のニコンのフラグシップモデルとなるだろうといわれたが、実際にそうなってしまった。

ニコンの前身、日本光学は、第二次世界大戦前に日本に欠けていた優秀な光学兵器(たとえば、双眼鏡、カメラなんかも光学兵器だ)を国産化するため帝国海軍が金をだして設立した会社だ。(陸軍が作ったのが東京光学)

戦前では有名な戦艦大和の測距儀(敵までの距離を測る、測った距離から砲の仰角を決めて砲を撃つ)などを製作した。

戦後になり海軍の需要がなくなると、レンズ設計の技術などを活かして民生品としてレンズ、カメラなどを作るようになった。

カメラについては、ボディの設計がそれほどよくなくて、レンズだけを他メーカーに供給した時代もあった。

そして、ニュース中ではニコンFが爆発的に売れてというが、その前にひとつ大きな事件があった。

戦後、アメリカの報道写真家はアジアの補給地として日本を利用していた。カメラの修理なども日本で行われていたのだ。

その報道写真家の一人、デイビッド・ダグラス・ダンカンという人が日本の写真家三木淳氏をやとって使っていた。

三木氏がニコンのレンズで撮った写真を見てダンカンはそのシャープさに驚いたそうだ。

そして日本光学に出向きニコンのレンズを購入し、まもなく「朝鮮戦争」で報道写真をとりまくった。

カメラボディは「ライカ」、レンズは「ニコン」だった。

こうして多くの報道写真家がニコンのレンズを使い、それがアメリカのメディアで発表される。

戦場でも使えるタフなレンズ、(それに地の利ということもあっただろう)ということが図らずも実証されたわけだ。

そしてベトナム戦争に持ち込まれたニコンFは最初の一眼レフカメラとして「実用になる戦場カメラ」として認知された。

日本帝国海軍によって設立され、朝鮮戦争がなければレンズは認知されえず、ベトナム戦争がなければカメラボディは認めてもらえなかった。

ニコンのフィルムカメラは終焉を迎えつつあるが、世界はまだまだ平和にはなっていない。