3月に合気道四段の審査を受けるために稽古していましたが、審査2週間前に脳出血を起こしてしまい、当然受験は延期。

奇跡的に回復して、今改めて審査に向けての稽古を再開しています。

うまくいけば7月の中頃に審査を受ける事ができそうです。

 

段位のために稽古してるわけではありませんが、昇段審査が大きな成長の機会であることもよく理解しています。

そして立場が人を成長させることも。

 

武道の世界の昇段という仕組みは、よく出来ていると思います。

 

ただし「謙虚に稽古し続ける人にとっては」という条件つきです。

 

うまい例えが思い浮かばないのですが「風を通すために扉を開ける」

 

そんな感じで昇段できたらいいなと思ってます。

 

ということで、今日はこのへんで!

コロナが始まった頃に、改めて自分というものをちゃんと商品として扱っていこうと決めました。

 

具体的な内容はたくさんありすぎて今日はここに書く余裕が無いのですが、とにかく自分の音楽を愛してくれている人をがっかりさせない、そして新たに興味を持ってくれる人に常に情報を提供する、などを心掛けてきました。

 

これが効果を出し始めたのがハラキリゾンビの1stアルバムを出した頃で、特に県外や海外のほうで評価が高まったように思います。

音源が売れている地域が急速に広がり、売り上げも上がりました。

 

ここ2年ほどで沖縄県内でもその効果が出たようで、出演するライブの内容や金額的な条件がかなり良くなってきました。

 

とてもありがたいことです。

 

が、こういうステージの変化にはえてして孤独がつきまといます。

 

地元のアンダーグラウンドミュージックのコミュニティからは完全に孤立しました。

 

私のやっている事が商業的に見えるのかもしれません。

敷居が高くなったのかもしれない。

単に音楽性が合わなくなったってのもあると思います。

 

いずれにしても、これは避けて通れない道だと思ってます。

 

 

昔は私が突破口をひらいて沖縄のアンダーグラウンドシーンを地上に押し上げる活動をしていました。

一定程度成功しましたが、結局商業的な成功とやりたい活動形態(音楽スタイルではない)のバランスを取ることが出来たバンドが非常に少なかったためにそのムーブメントは自然消滅しました。

「盛り上がって『ありがた迷惑』とまではいかないけど、それに伴う責任を負うのはきついというのが本音」の人は思ったより多かったのかもしれません。

ちなみに、そうでなかったバンドはほとんどが成功しています。

 

以来、私はそういう「お節介」はやめて自分のことを優先してきました。

その結果が現在の沖縄での私の立場です。

 

でも、これでいいと思ってます。

今でも仲間というのはいます。

メンバーは当然ですが、同じような立場のバンドマンどうしの交流はあります。

ライブハウスやイベンターさん、音響業界の方々も私のスタンスを理解してくれて、それに見あった仕事や活動の場を提供してくれています。

 

理解してくれている人はいる。

理解したから距離をとっている人もいる。

理解しから一緒に仕事したいと思ってくれる人もいる。

単にそれだけのことなんですけどね。

 

 

結局何が言いたいかというと、私はいつも「お客さん」というものに向き合っていたい。

ファンやリスナーにとって一番だと思うことをやっていくことにした、方法の一つが自分のブランディングでした。

 

ライブを観るのを毎回スペシャルな体験にしてほしいし、質の良い音源を手にして生活の中で楽しんでほしいし、私のファンでいることが幸福であってほしい。

私の音楽で幸せになって欲しいわけです。

 

そういう気持ちです。

そのために手放したものがあったけど結果的に私自身もより幸福になった。

 

私にとって音楽活動は一生続けていくものであり、自分の存在意義そのものです。

それを受け取ってくれる人たち、共有してくれる人たちのために何が出来るかをこれからも考えていきます。

 

 

こういうことはこのブログでしか書かないです。

ここを見に来る人は特別だと思ってるので。

 

いつも読んでいただきありがとうございます。

 

これからもマサ一撃をよろしくお願いいたします。