<映画 差別>

 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア>
205. 4.24教育闘争
 
 
 
4月24日は歴史的な『4.24教育闘争』記念日です。
『4.24教育闘争』は主な闘いの場で有った阪神の名を冠して別名『阪神教育闘争』とも呼ばれます。

 

 

日本に於ける、ウリハッキョ(朝鮮学校)を守る闘いのルーツとも言えるこの闘いについて今回は述べたいと思います。
 
1945年8月15日、朝鮮が日本から解放された直後、日本に居住する在日同胞数は約220万人程度で、そのうち半分以上は解放とともに本国に帰国し、残りの約100万人程が、やむを得ず後日の帰国を胸に日本に残るようになりました。

 

 

在日コリアンの最大の問題が、祖国への帰国の為の教育問題でした。
戦後、雨後のタケノコの様に600以上もの『国語講習所』が開設されましたが、徐々に「在日朝鮮人連盟(朝連)」の指導の元、朝連初等学院に統合されて行きます。
当時、学生数は6万人余りに達しました。

 

 

終戦後直ぐに、1945年当時日本共産党委員だった金天海を中心に「在日朝鮮人連盟(略称朝連、後日の朝鮮総連の母体)」が結成され、「統一朝鮮」を目指す「北朝鮮人民委員会」政府支持をいち早く打ち出しました。
祖国の分断を反映して同年11月「在日朝鮮居留民団(略称民団)」が分裂、この様に同胞社会は大きく二分されましたが、その構成比は9:1から8:2程度で、朝連が圧倒的に優勢でした。

 

 

これは、当時朝鮮国内で確固とした正義で有った「統一朝鮮」を目指す「北朝鮮人民委員会」政府を支持する朝連が在日コリアンの揺るぎない支持を受けた事を意味します。
今も南部朝鮮・韓国に故郷を置きながらも共和国を支持する捻(ねじ)れの基礎になって居ると言うワケです。
 
朝連は、活動の中心となる民族教育を行なう為、「お金ある者はお金で、力ある者は力で、知識がある者は知識で」というスローガンの元、一丸となって民族教育を展開しました。

 

 

しかし、日本を反共の砦として築く事を最優先したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)アメリカ軍司令官マッカーサーは日本政府に、在日朝鮮人に民族教育を行わせず、日本の教育基本法、学校教育法に従わせるよう指令を下しました。
 
この方針を受け1948年 1月24日、文部省学校局長は各都道府県知事に対して「朝鮮人設立学校の取り扱いについて」という通知を下し、朝鮮人学校を閉鎖し、学生を日本人学校に編入させるよう指示しました。これが悪名高い『朝鮮学校閉鎖令』です。
日本教育法違反という名分で、全国にある民族学校に対して閉鎖命令を出したのです。

 

 

同年1月27日、朝連は第13回中央委員会で「朝鮮学校閉鎖令」に対して反対して闘う方針を明らかにし、「3.1独立運動」記念日を期して民族教育を守る闘争を全国で展開することを決議しました。
こうして3月1日には「3・1運動29周年記念群衆大会」が全国で開催され、東京に於いては皇居前広場に8000人が結集し、朝鮮人の教育に干渉しないことなどの要求を掲げ闘争を表明しました。

 

 

そして、日本が全国各地に警察と軍隊を動員して民族学校を強制的に閉鎖しようとすると、このような暴挙に怒った在日同胞は総力を挙げて民族学校を死守する闘争を展開しました。
 
日本政府は全国の朝鮮学校(当時は朝連学院)を強制的に閉鎖へと追い込みました。
しかし弾圧の手が強まるほど、同胞たちは立ち上がり、闘争は激化して行きます。
山口県から始まった学校閉鎖令反対闘争は東京、神奈川、茨城、福井、島根、山口、広島、岡山、兵庫、大阪、京都など各都道府県当局への要請、交渉、抗議が一斉に始まるなど全国各地へと瞬く間に広がり、特に神戸と大阪では日本敗戦後最大の大衆運動が起こりました。
その時期と場所をシンボライズして『4.24阪神教育闘争』と呼ばれるワケです。

 

 

神戸では4月15日、同胞側代表が兵庫県知事との交渉の末全員逮捕され、民族学校が強制閉鎖されると、24日約一万人の朝鮮同胞が「学校閉鎖撤回と代表者の即刻釈放」など5つの要求を掲げ、兵庫庁舎の前に集結しました。
 
彼らの闘争の前に、後に撤回したものの県知事が「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」を約束すると言う成果を挙げて居ます。
 
『4.24阪神教育闘争』と言う名称が、神戸で輝かしい勝利を勝ち取った記念すべき日を冠して居る事に注目です。
 

 

しかし同日深夜、兵庫県は突然「緊急事態」宣言を発令し、兵庫県だけで1590人(全国では7295人)を無差別強制逮捕・連行しました。
25日には当時、朝連の兵庫県委員長だった朴主範氏が軍事法廷で有罪判決を受け神戸刑務所に服役、病気の悪化で仮釈放後死亡する事実上の獄死に遭います。

 

 

一方、大阪では4月23日、大阪府庁舎前での約1万5千人の集結を皮切りに、26日には3万人近くの同胞が集会に集まると、これに慌てた警察は集結隊に向けて消防車水で攻撃し始めました。
 
脅威射撃後、すぐにデモ隊に向かって銃を発射、この発砲で集会の先頭に居た16才のキム・テイル金太一少年が銃弾に当たって死亡すると言う、最も悲惨な悲劇が起こりました。
これに怒った同胞たちは警察隊と乱闘劇を繰り広げ、同胞20人が負傷、警察官は31人が負傷、179人が騒乱罪で検挙されて居ます。

 

 

5月5日、朝連の教育対策委員長と文部大臣の間に「教育基本法と学校教育法を遵守する」「私立学校の自主性の範囲内で朝鮮人独自の教育を認め、朝鮮人学校を私立学校として認可する」という内容の覚書が交換されました。
 
しかし、その後も日本政府は弾圧の手を緩めませんでした。
GHQと日本政府は49年9月9日、団体等規正令により朝連「在日朝鮮人連盟」を強制解散させ、10月13日には朝鮮学校の閉鎖と弾圧を趣旨とする「朝鮮人学校に対する措置について」(第2次閉鎖令)を通達。各地の朝鮮学校を強制閉鎖に追い込みました。
 

 

この様な状況下で、在日同胞は学校が閉鎖された以降も自主学校、公立学校分校、民族学級などの形態で民族教育を続けて行きました。
朝連解散後も同胞たちの闘争は着実に展開され、朝鮮人教育対策委員会と文部省の間に一定条件下で民族教育が認められるに至ります。
 
大阪では民族私立学校認可と、公立朝鮮人学校設立が認められ、日本正規科目のほかに朝鮮語と歴史教育が可能になりました。
東京では「都立朝鮮人学校」として課外授業のみ朝鮮語と歴史教育が可能だった段階を経て、後に学校法人の地位を回復、現在に至ります。

 

 

その後、民族学校存続のための闘争は次第に在日同胞の生存権と並行する多方向な運動に発展し、「JR定期券差別撤廃」運動など『在日コリアンの教育権を守る闘い』に引き継がれて居ます。
 
残念ながら、2024年現在の自民党政権下で、1948年の「4.24教育闘争」の当時を彷彿(ほうふつ)とさせるウリハッキョ(朝鮮学校)に対する過酷な弾圧が続いて居ます。
共和国の拉致問題を口実とした『高校無償化』除外及び自治体『補助金』削減・廃止です。

 

 

特にウリハッキョ(朝鮮学校)のみ『高校無償化』から除外すると言う、世界的にも稀に見る人権弾圧は、国連人権委員会で幾度もの「是正勧告」が出ているにも関わらず、一向に止(や)む気配は見えません。
国連人権委員会に参席する日本代表は、「是正勧告」があくまで勧告に過ぎないと開き直り、我存ぜぬとうそぶいて居ます。
 
同じく青少年への性虐待で国連で人権是正勧告がなされた旧ジャニーズ性加害問題で、その後のイギリスBBC放送の告発をキッカケにジャニーズ社が社会的制裁を受け会社解体、被害者への補償へと大きく舵を取って居る現状と大きな違いを見せて居ます。
ここでは司法、マスメディアの存在価値も問われて居ます。
 

 

現在、2010年に導入された高校無償化制度では制度を創設した民主党政権がウリハッキョ朝鮮学校への適用を見送り、12年発足の第2次安倍政権が「朝鮮総連と密接な関係があり、拉致問題の進展も見られず、国民の理解が得られない」などとして対象から除外しました。

東京や大阪など5カ所の学校生徒らが国を相手取り提訴しましたが、いずれも最高裁で敗訴が確定して居ます。

 

 

それを受け13年5月、原告を含む朝鮮大学校(東京都小平市)の学生らが高校無償化制度から除外されていることに抗議し、東京・霞が関の文部科学省前で毎週金曜日午後『金曜行動』を開始しました。

 

この『金曜行動』には在日コリアンのみならず進歩的な日本の市民たちも合流し、2023年12月15日、500回目を迎えました。

2024年4月現在も続いて居ます。

 

 

韓国でも14年に支援団体が結成され、この運動に合流。同年12月からはソウルの日本大使館前でも「金曜行動」を続けて居ます。

 

この様に76年前のコリアン人権弾圧が手を替え品を替え未だに続いている事に愕然としますが、過ぎし日を思いつつ今日を変革する為、たゆみなき闘いを続ける必要性を実感させられます。

 

 

<参考文献>
ニジノキセキ「4.24」教育闘争とは?
在日韓人歴史史料館 阪神教育闘争
Chongryon 424教育闘争
Wikipedia  阪神教育事件
SISAFOCUS 424한신(阪神)교육투쟁

朝日新聞 朝鮮学校の無償化除外に抗議 文科省前での「金曜行動」500回に