ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
275. 青瓦台チョンワデの歴史
 
 
 
2022年5月10日、歴史的な韓国大統領就任式が行われ、ユン・ソクヨル大統領が大韓民国第20代大統領に就任しました。

 

 

それと同時に大統領執務室が選挙公約通りリョンサンに移転され、大統領府として47年間もの間君臨したチョンワデ青瓦台が一般に公開される事となりました。

 

 

これにより、10日の1日だけでも3万人以上の市民が詰め掛け、チョンワデ青瓦台は人山の群れに溢れる歴史的瞬間を迎えました。
放送されたKBSニュースではその瞬間をひとつひとつ捉え、歴史的快挙として生き生きと映し出して居ました。

 

 

と言う事で、俄然話題になったチョンワデ青瓦台ですが、今回はそのチョンワデ青瓦台の歴史とその存在について軽く述べて見たいと思います。
 
そもそもチョンワデ青瓦台は歴史的に、高麗時代の「ナムギョン南京」の離宮があった場所です。
 

 

 
コリョ高麗スクチョン粛宗の時代に国土を天秤になぞらえて、今のソウル(当時南京)のサムガクサン三角山(北岳山)の麓(ふもと)に都を遷都すべきで有るとの主張を容れて離宮を造りました。(1104年)
結局遷都はされませんでしたが、その主張は朝鮮王朝に引き継がれ漢陽ハニャンが朝鮮王朝の王都になった事は周知の事実です。

 

 

しかしサムガクサン三角山の麓(ふもと)は平野部が少なかったので、王宮の景福宮キョンボククンは南京離宮を少し南に下がった位置に建てられ、離宮の場所は1426年(世宗8)に創建された景福宮の北門(神武門)の外の後苑と成し、この一帯を『キョンムデ景武台』と名付けました。
 
プクアクサン北岳山山麓に位置し、ソウル城内を臨むこのキョンムデ景武台は御営の鍊武場や科挙の場として使用されました。

 

 

そしてこの地には元々「リュンムダン隆武堂」「キョンノンジェ慶農齋」などの建物が建築され朝鮮王朝期間存在しましたが、日帝期の1927年、日本総督府によって破壊され、日本の朝鮮総督官邸が建立されました。
 
こうして朝鮮総督府が官邸として使用したこの地は解放後アメリカ朝鮮駐屯軍司令官ハッジ(Hodge,JR)中将の官邸として使用され、1948年8月韓国政府樹立とともに韓国政府に移管され初代大統領リ・スンマン李承晩大統領の官邸として使われました。
同時にこの地は朝鮮王朝時代の「キョンムデ景武台」という名前が取り戻され、大統領官邸名として使用されました。 
なので、皆さんもこの時代の大統領官邸を表す言葉として「キョンムデ景武台」と言う名前を一度は耳にされた事が有ると思われます。
 

 

リ・スンマン李承晩(在任1948~1960)大統領は6.25戦争の避難時代を除き、1960年4月まで初代・2代・3代大統領としての12年間をここで過ごし、4.19人民蜂起により居を移しました。
 
「キョンムデ景武台」という名前は3.15大統領不正選挙など独裁と不正の代名詞のように認識されイメージが悪いと言う事で、同年8月、第4代ユンボソン大統領が入居する際にキョンムデ景武台本館の青瓦(かわら)の屋根に着目して、現在の名前で有る『チョンワデ青瓦台』に名称を変えました。
 

 

アメリカのホワイトハウス(ペクアククァン白堊館/ The White House)になぞらえて建物の特徴を表した言葉ですが、韓国大統領府を表す象徴的名称として定着しました。
 

 

ロ(ノ)・テウ第13代大統領が現在の本館を新築したこの建物群は、「大統領執務室」をはじめ、会議室・接見室・住居室などがある「2階本館」と警護室・秘書室および迎賓館など付属建物があり、庭園と北岳山につながる後苑や池などを備えて居ます。
 
その後、
1963~1979年(5~9代)パク・チョンヒ朴正熙
1979~1980年(10代)チェ・ギュハ崔圭夏
1980~1988年(11~12代)チョンドゥファン全斗煥
1988〜1993年(13代)ロ・テウ盧泰愚
1993〜1998年(14代)キム・ヨンサム金泳三
1998〜2003年(15代)キム・デジュン金大中
2003〜2008年(16代)ロ・ムヒョン盧武鉉
2008~2013年(17代)イ・ミョンバク李明博
2013~2017年(18代)パク・クネ朴槿惠
2017〜2022年(19代)ムンジェイン文在寅大統領が入居し、勤務しました。
 
大統領府境内施設を簡単に見ます。

 

 

❶迎賓館
〜大規模会議と外国国賓の為の公式行事を開催する建物です。
1978年1月に着工、12月に竣工しました。
こちらの迎賓館は文字通りゲストを迎える場所で、外国の大統領や首相が訪れた時、韓国の民俗公演や晩餐会などが催される公式行事場として利用されたり、100人以上の大規模会議や宴会場として利用されて居ます。
 

 

迎賓館は18の石柱が建物全体を支​​えている壮大な建物で、特に前面にある4つの石柱は2階までの高さ13m、周囲3mの柱で、内部はムグンファ木槿・月桂樹・テグク太極の柄が描かれて居ます。
 
 
❷本館
〜大統領の執務や外賓接見等に使用される建物で、多くの意見を収斂した後1991年9月4日に新築されました。
この本館建物は我が国独特の伝統様式で建てられており、外国の国家元首や外交使節が訪れた時、我々の伝統の建築様式と我々の文化を見せる事が出来る大事な建築物です。
 

 

伝統的な木造構造と宮殿建築様式を基本として、内部は現代的な感覚と施設を備えるようにしました。
韓国の建築様式の中で最も格調が高くて美しい『パルチャク八作屋根』を上げ、チョンワデ青瓦台の名に相応しく朝鮮式の青瓦(かわら)を継いで葺きました。
 

 

青瓦は約30万枚も有り、一個一個丁寧に焼き上げて100年以上に耐えられる強度を持たせました。
1階に大統領夫人の執務室と接見室、宴会場、食堂があり、2階には大統領の執務室と接見室、会議室が有ります。
建物の前の広い芝生の庭では国賓歓迎行事と陸・海・空軍隊、伝統服飾を着た伝統衣装隊の査閲などが行われます。
 
 
❸スグン水宮跡
〜朝鮮王朝時代の歴史的空間だったこの地の建物を我が国を支配した日本は、1910年から朝鮮総督府の庁舎の建物として使用し始め、後苑にあった建物をすべて壊し、ここを公園に造成、総督府官舎を新たに建て使用しました。
 

 

その庁舎は先に述べた通り、1945年解放後米軍政司令部ハッジ中将の居所として使用され、韓国政府の樹立後には大統領執務室兼官邸として使用されました。
この庁舎と建物は1993年11月、キム・ヨンサム大統領の指示で撤去され、昔の姿のまま復旧させましたが、昔キョンボククン景福宮を守っていた「スグン水宮」が有ったと言う事で、今は「スグント水宮跡」と呼ぶ様になりました。
 

 

 
❹ヨミングァン與民館
〜秘書室別館(新館)及び同別館で、秘書室として使用された建物です。
新館は1969年に、同別館は1972年に建立されました。
 

 

2008年リ・ミョンバク大統領の時代にウィミングァン爲民館と直されましたが、2017年ムンジェイン文在寅大統領によって元の名前に戻されました。
 
 
❺ 官邸
〜大統領とその家族が生活した建物です。
1990年10月25日に完工された伝統韓屋様式の建物で、生活空間の本屋、接見空間の別邸、伝統様式の庭とサランチェで構成されて居ます。
 

 

大統領官邸の裏側には後期新羅時代の仏像が有り、「青瓦台仏像」「イケメン石仏」などの別名で呼ばれて居ます。
2018年4月20日に「慶州方形大座石造如来坐像」という正式名称で大韓民国の宝物第1977号に指定されました。
 

 

 
❻サンチュンジェ常春斎
〜1983年4月に竣工された伝統的な韓国式家屋で、外賓接見などに使用されて居ました。
外国から客が来た際に我が国の家屋様式を紹介する格好の材料として200年以上の大木を使ってオンドルの敷かれた伝統的な韓国家屋となって居ます。
 

 

 
❼ロクチウォン綠地園
〜青瓦台の境内で最も美しい所で、120種以上の木があり、歴代大統領の記念植樹がある所です。
この場所は元々、キョンボククン景福宮の後苑で農業を奨励する野菜畑がありました。
 

 

1968年に約1,000坪の平地に草を植え、毎年春の「オリニの日」の行事をはじめ、「母の日」、「障害者の日」などに行事が行われ、多彩な野外イベント会場として利用されて居ます。
1995年5月28日には近隣住民約3,000人余りを招待して『KBS開かれた音楽会』が開催されました。
また周辺にはロクチウォン緑地園を象徴する樹齢約310年、高さ16mの松の木が有ります。
 

 

 
❽チュンチュグァン春秋館
〜1990年に完工さ​​れ、周囲の景観と良く合うように、屋根に土瓦を使用して建てた伝統的でエレガントなオシャレを生かした建物です。
大統領の記者会見場所と出入記者の事務所として使用されて居ました。
 

 

「チュンチュグァン春秋館」という名称は、高麗と朝鮮時代の歴史記録を担当していた官衙である『春秋館・礼文春秋館』から採られた名称です。
厳正に歴史を記録するという意味が、今日の自由言論の精神をよく象徴するという意味で採択されました。

 

 

青瓦台は以前から立地について様々な意見有り、特にソウル市内から余りにも辺鄙な所に有るので移さなければならないという主張が有りました。
 

 

特にソウルのへそと言えるリョンサン龍山区に青瓦台を移転する必要が有るという意見があり、龍山基地移転で青瓦台の龍山移転論が多く叫ばれました。
今回、スッタモンダの末にリョンサン龍山に移転された訳ですが、今後の課題も多く残って居ます。
 

 

<参考文献>
한국민족문화대백과사전 大統領府靑瓦臺
나무위키