在日コリアン
2.在日コリアン❷朝鮮籍と韓国籍
 
 
 
昨年2021年10月、S大学の中川先生のご厚意で『愛の不時着と在日コリアン』と言うタイトルで特別講義をさせて頂きました。
この場を借りて改めて謝意を表させて頂きます。
機会を賜り、誠に有難う御座いました。
 

 

 特別講義は以下の内容で行いました。

 
タイトル
<愛の不時着と在日コリアン>
 
1.ドラマ愛の不時着について
〜韓国で爆発的に支持された理由
※南北分断問題に行き着く
 
2.南北分断の歴史
①日本の植民地
②米ソが分割占領(武装解除の為)
③右派と左派が分裂
④戦争で固定化
 
3.南北の分断が生んだ副次的な問題
①在日コリアンを生む
〜分断で帰国出来ず
②帰国の為に学校設立
③サンフランシスコ講和条約である日突然外国人に
④南北政府の態度の違い
〜南の棄民政策、北の融和政策
⑤在日コリアンも2つに分断
 
4.民族学校問題
 朝鮮学校–北支持:最盛期110余校,現64校
 韓国学園–南の学校:4校
①北の経済不振による支援の低下
②日本自治体の補助金打ち切り
③韓国でも支持運動の盛り上がり
④高校無償化問題
 
5.結び
 
こんな流れです。

 

 

生憎、コロナ禍と言う事でリモートにて講義を行いました。
本来は講義1時間、質疑応答30分と計1時間半を想定しましたが、事前収録だったのでパソコン画面では毎度得意とするハッタリとオーバーアクションが使えず(笑)、この内容を20分強で終えた次第です。
 
初めてのリモート講義は掴みどころが無く不甲斐ない代物でしたが、幸い多くの学生の真摯な感想を聞けて逆に私の方が感動と力を頂きました。

 

 

そして今年度2022年ですが、有り難くも再度オファーを頂ける事になり、再度講義をさせて頂きます。
今回は対面で講義させて頂く事となりましたので、キャンパスでお会い出来る事を楽しみにさせて頂きたいと思って居ます。

 

 

今回は中川先生から昨年より、より突っ込んで、『朝鮮籍』について深く講義してもらいたいとのご要望を頂きましたので、考えあぐねた挙句、以下の内容で概要を立てました。

 

 

題して
『イカゲーム・Kドラマから在日コリアンを考える』です。
 
1.日本での愛の不時着現象
2.欧米でのKドラマの盛行
3.分断と在日コリアンの置かれた状況
4.1952年のサンフランシスコ講和条約と朝鮮籍の不安定さ
5.1965年日韓条約
6.1971年永住権申請と国籍変更
7.1988年ソウルオリンピック
8.2002年拉致問題
9.2012年国籍統計変更
10.朝鮮籍は『北朝鮮』籍では無い
11.高校無償化問題
 
こんな流れでお話ししたいと思って居ます。

 

 

前回タイトルに『愛の不時着』と入れたところ、家内やウチのツインズから「羊頭狗肉」だと散々なじられたのですが(笑)、懲りずにK-ドラマのトレンドを加味して講義させて頂くつもりです。
 
細かい部分はこれから煮詰める事として、今回は「朝鮮籍」について簡単に述べたいと思います。

 

 

以前、記事でも述べましたが、私も長らく「朝鮮籍」でしたが、子どもたちが小学5年の頃「韓国籍」に変更しました。
拉致事件が日本社会を揺るがした2002年はウチのミックスツインズが生まれた年なので、それから10年近くも「朝鮮籍」のままだった訳ですが、真剣に人生を考えて無戸籍で居るよりは戸籍を作った方が良いと考えたのです。

 

 

勿論その間、帰属意識で共和国・韓国と言う選択で拉致問題も含め悩まざるを得ませんでしたが、何も日本籍に変更するでも無し、アイデンティティが南に有るだけで、自分自身に変化は無いと確信持てたのです。
事実、韓国のパスポートを取得した今でも南北を同等にバランス良く見ようとする私の立場に変化は有りません。

 

 

実際、現在では韓国籍に変更してもウリハッキョ(朝鮮学校)に子どもを送り、朝鮮総連に属して居る人が殆どです。
「三つ子の魂百まで」のことわざの通り、そうそう主義主張、帰属意識は変えられません。
 
この様に在日コリアンを悩ます国籍問題ですが、いつから始まったのでしょう。
その根源は1910年の日韓併合から始まりました。
植民地化により朝鮮人は全員「日本」籍となりましたが、戸籍欄には「朝鮮(外地戸籍)」となって居たのでした。

 

 

そして日本が敗北した1945年8月15日から主に在日コリアンにとって混迷がスタートします。
植民地時代に朝鮮半島から日本に移り住み、「日本帝国臣民」として暮らしていた朝鮮人とその子孫(以下、在日コリアン)は、1947年の外国人登録令の下で「外国人」に登録するよう通達され、そこで「国籍および出身地」を示す欄に「朝鮮」と記載される事になります。
これは「朝鮮」が出身であることを示すものであって、国籍を意味するものでは有りませんでした。

 

 

こうして、1910年の日韓併合以来、戸籍上の区別はあったものの、「日本国籍」となっていた在日朝鮮人は戦後、1947年の外国人登録令施行に際して「当分の間、外国人とみなす」とされ、一転外国人登録の対象となりました。
ここで日本籍を選択する、南北のどちらに帰属すると言う選択の余地が与えられ無かったのは当然の事です。

 

 

外国人登録の「国籍」欄には、出身地域である朝鮮半島を表わすものとして「朝鮮」と記載されましたが(植民地時代の「外地戸籍」が引き継がれた形)、これは便宜上の表記に過ぎませんでした。
 
こうして今に至る「朝鮮籍」が生まれた訳ですが、朝鮮半島に国家が成立する前(1948年以前)の記載なので、そもそも国籍を示し得なかったと言え、つまりそれは日本における在留外国人管理上の「記号」に過ぎなかったのです。

 

 

その後1952年のサンフランシスコ講和条約によって、在日コリアンは国籍選択権のないまま「外国人」になりました。
そして在日コリアンはどの国家にも帰属しない「朝鮮籍」という「籍」をもった人々になった訳です。
すなわち戦後の在日コリアンは「日本帝国臣民」から「外国人」へと転じたのですが、その過程でどの国家にも帰属しない「事実上の無国籍」「国籍未確認者」と言われる人々になったと言う事です。

 

 

その間、1950年から希望者については記載を「韓国」に変更することが認められるようになりました。
そして1951年からは韓国本国の「国民登録」と紐付けた者のみ変更を許可する様になりました。
これは「朝鮮」(及び「韓国」)は記号に過ぎないと主張して居た日本政府の立場からの大きな逸脱と言えます。
 
ただし、国籍を付与できるのは当該国家のみなので、それが「国籍」として実質化していくのは1965年の日韓条約締結後の事です。
この際、「韓国籍」者にのみ永住権が認められることになった為(協定永住)、韓国籍取得者が増加しました。
当時、在日コリアンの半数の約30万人が変更したとされます。

 

 

しかし、この国籍変更がいささか乱暴だった為、何も知らず役所で勝手に国籍変更された人、韓国籍に変更する意味を分からず変更してしまった人などから抗議の声が上がる様になりました。
 
擦った揉んだの末、朝鮮籍への復帰が認められ、1970年〜1971年に国籍を朝鮮籍に戻すキャンペーン・運動が朝鮮総連を中心に起こりました。
 
一方、協定永住の期限が1971年だった事から民団を中心に韓国籍取得を促すキャンペーンもやはり起こりました。

 

 

私が小学1年生の頃ですが、学校帰りに双方の宣伝カーが各々の主張を掲げ、大声で街中を宣伝して居て、子ども心ながら恐怖を覚えたのを覚えて居ます(笑)。
私は東京の朝鮮人集住地区に住んで居たので、在日コリアンの取り合いだったのでしょう(笑)。

 

 

余談ですが最近、永住権申請の双方の横断幕を掲げた写真を見つけました。
貴重な写真なので転載します。(上2つの写真)
写真は拾い画で、出所が分からず居ましたが、中川先生に教えていただきました。
重ね重ねご迷惑お掛けします(笑)。
在日朝鮮人写真家の故曹智鉉氏の作品でした。
写真集「猪飼野-追憶の1960年代(2003)」よりです。

 

ちなみに現在では難民法の改正により朝鮮籍にも「特別永住」が与えられて居ます。

 

70年以上続いて来た朝鮮籍は、1947年の外国人登録制度の下で約59万人存在しましたが、2019年末には約2万8975 人となって居ます。

 

 

現在は在日コリアンの多くが大韓民国や日本国の国籍を取得して居て、日本には韓国国籍者が45万1千人暮らして居ます。
うち特別永住者は約28万5千人とかなり少なくなって居ます。(「在留外国人統計2019年」より)。
日本国籍を取得する人の数も、毎年数千人に上り、朝鮮籍の人は少なくなって居ます。

 

 

数の推移を見たかったのですが、統計として探せませんでした。
いずれにせよ、上述の拉致問題が大きなキッカケになった事に間違いないでしょう。
 
一言に朝鮮籍と言えど、その中には朝鮮民主主義人民共和国(以下共和国)国籍やパスポートを取得している人も居ますし、共和国の在外公民を自任して居る人、2つの朝鮮を認めたく無い人、統一した朝鮮をイメージして居る人、少数派として便宜上変更して居ない人なども存在します。
 
ただ日本政府は大韓民国を朝鮮半島における唯一合法政府とし、「北朝鮮(共和国)」を「未承認国家」としている為、共和国の国籍やパスポートを取得したとしても、それが日本で認められることは有りません。

 

 

こうした国籍をめぐる状況のみならず、日本の外国人政策や朝鮮半島情勢の中で朝鮮籍は国家にとって「都合がいい」ように解釈され、二転三転して来ました。
 
さらに2000年代に高まった「北朝鮮(共和国)嫌悪」ヘイトスピーチは誤解や偏見を生む根源となり、朝鮮籍の人にステレオタイプの「差別のまなざし」を向ける凶器となって居ます。
これらの問題を解決する為には1日も早い日朝国交正常化しか道が有りません。

 

 

最後に2012年統計が「韓国・朝鮮」籍から「朝鮮」籍に変更されて以降の朝鮮籍の人数を記します。
 
                       朝鮮       韓国
平成23年(2011) (韓国・朝鮮)542,182
平成24年(2012)   40,617 489,431
平成25年(2013)  38,491 481,249
平成26年(2014)   35,753 465,477 
平成27年(2015)   33,939 457,772
平成28年(2016)   32,461 453,096
平成29年(2017)   30,859 450,633
平成30年(2018)   29,559 449,634
令和元年(2019)    28,096 446,364
令和 2年(2020)  27,214 426,908
 

 

 
<参考文献>
朝鮮籍って
李理花 朝鮮籍とは何か
鄭栄恒 歴史の中の朝鮮籍
中村一成 思想としての朝鮮籍
Wikipedia
나무위키 
 
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