ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
262. 冬季オリンピック
 
 
 
 
 
2022年2月4日から第24回オリンピック冬季競技大会で有る2022年北京冬季オリンピックが開幕しました。
2月20日までの17日間、北京および隣接する河北省張家口市を会場として開催されます。

 

 

これにより、2018年韓国ピョンチャンオリンピック、2020年東京オリンピックに続き、3大会連続で東アジアでのオリンピック開催となりました。
近代オリンピックの歴史で、3回連続で東アジアで開催されるのは異例で、欧米一色だったオリンピック大会の歴史では初の出来事です。

 

 

これは2008年の世界経済危機以降の世界経済の不安定性と、大会後の競技場維持費の捻出困難が原因と言え、冬季オリンピックは夏季オリンピックより競技場の補修や維持費用が遥かに掛かる為、開催地の競争率が減少する点にも起因すると言えます。
現在、冬季オリンピックの開催は現実問題として先進国に近い国以外不可能になって居ます。
相変わらずアジアではオリンピックを開催した国が日中韓しかなく、偏りが顕著です。

 

<フィギュア チャジュンファン選手>

 

ちなみに、2008年夏季オリンピックでも開催都市となった北京は、オリンピック史上初めて夏季・冬季両大会を開催する都市となり、アジアで4番目、中国では初めての冬季オリンピック開催地となりました。

 

<北京オリンピックメダル>

 

開催前から政治ボイコットやコロナ感染問題で揺れた今大会は、判定疑惑問題や中国のコロナ対策無視の自国応援などで世界を大いに騒がして居ますが、平野歩夢選手のスノーボード男子ハーフパイプ最高難度の演技での金メダル、羽生結弦の4回転ジャンプの成功など多くの感動を与えてくれて居ます。

 

 

今回はこれにちなみ、冬季オリンピックの歴史と南北朝鮮の活躍の歴史を見たいと思います。
 
冬季オリンピックは多くの国で開催されて来ました。
アメリカが4回と最も多く、フランスが3回、イタリアも2026年開催予定で3回、日本、オーストリア、ノルウェーなどが2回ずつで、いずれも北半球です。
2019年6月23日の第134回IOC総会で2026年冬季オリンピックの開催地がイタリアミラノ/コルティナ・ダンペッツォに決定して居ます。

 

 

伝統的に古代ギリシャで開かれたオリンピックに冬季種目は無く、クーベルタンが古代オリンピックを継承した今日のオリンピックも最初は夏季オリンピックだけでした。
 
しばし冬季オリンピックは夏季オリンピックより低い地位で扱われます。
理由は天気と気候の問題が一番大きいと言えます。
気温が一定のレベル以下で雪の維持が必要な種目が多数布陣して居る為、気候上アフリカ、中南米、中東、東南アジア諸国は開催が困難です。
日本や韓国でも南部では冬でも雪の見物が困難で、開催地が限られます。

 

 

2010年バンクーバー、2014年ソチのように大会中に異常高温現象でも起これば競技場の雪が溶ける事態が生じます。
気温以外にも交通と宿泊問題などもネックです。
さらに開催都市も、夏季オリンピックが主に大都市やその国の首都の様に全世界的にも認知度も高く、都市規模も大きい都市で開催するのとは異なり、冬季オリンピックは主に余り知られていない小都市で認知度が低く、都市規模も小さい都市で開催する事が多いと言えます。
勿論冬季オリンピックもミラノやバンクーバー、北京のような大都市や首都の地域で開催した場合も時折有ります。

 

<共和国切手>

 

最初の冬季オリンピックはフランスのシャモニーで1924年に開催されました。
それ以前はフィギュアスケートとアイスホッケー競技のみ、夏季オリンピックで行なわれて居ました。

 

 

冬季スポーツの初の国際競技大会は1901年スウェーデンで開催されたノルディック競技大会です。
国際オリンピック委員会の創立委員ヴィクトル・グスタフ・バルクの呼び掛けで始まり、1926年まで開催しました。
以降、ヴィクトル・バルクはオリンピックプログラムに冬季スポーツを追加する事に力を注ぎ、1908年夏季オリンピックでフィギュアスケートが採択されました。

 

<第1回大会>

 

3年後、IOC委員ウジェニオ・ブルネッタ・ディセアウがストックホルムで開かれる1912年夏季オリンピックで、別に冬季スポーツ大会を一週間開催することを提案しましたが、他の組織委員たちの反対で霧散しました。
 
しかしこの意見を受け入れ、1916年ベルリン大会でスピードスケート、フィギュアスケート、アイスホッケー、ノルディックスキーが競技種目に計画され(第一次世界大戦で中止)、大戦後のベルギーのアントウェルペンで開かれた 1920年夏季オリンピックでフィギュアスケートとアイスホッケー競技が正式種目で行われました。

 

 

翌年開かれたIOC総会で1924年夏季オリンピックの開催地をフランスに決定し、「国際冬季スポーツ週間」を委員会の支援のもと独立して開催することに決定、シャモニーがこの大会を開催する都市に選ばれ、大会は11日にわたって計16カ国から258人の選手が16個の種目に参加して成功裡に開催されました。
結果、フィンランドとノルウェーの両国で28個のメダルを席巻しました。
 

<第1回大会>

 

1925年、国際オリンピック委員会は正式な冬季オリンピック競技大会を作ることに決定、またシャモニーで開催された大会は第1回冬季オリンピックとして記録される事になりました。
日本は第2回スイスのサンモリッツ大会に初参加、スキーのノルディック種目の6人が選手として参加して居ます。

 

<日本初出場>

 

1940年以降第二次世界大戦で中断された冬季オリンピックと夏季オリンピックは1948年冬季オリンピックを皮切りに再び開催される事になりました。
1992年までは夏季オリンピックと同年に開催されましたが、1994年からは冬季オリンピックが夏季の間の年に開催される事になりました。
その最初が1994年ノルウェーでのリレハンメルオリンピックです。
 
歴代冬季大会に1回から欠かさず参加する国はイギリス、フランス、スイスのみです。
この内1980年アメリカ、レイク・プラシッド大会は歴代大会の中で唯一選手が個人資格で参加、自国の国旗の代わりに五輪旗を掲げ、又選手が金メダルを取るとオリンピック賛歌を流しました。

 

<韓国初の出場>

 

韓国が初めて参加した冬季オリンピックは、1948年スイスのサンモリッツで開催された戦後初のサンモリッツ冬季オリンピックです。
これはスイスが第2次世界大戦中に中立国を守った事、1928年の冬季オリンピックの競技場をそのまま活用出来る為の選択で、サンモリッツは史上初めて冬季オリンピックを2回開催した都市になりました。
 

<サンモリッツ大会>

 

この大会には合計28カ国が参加し、連合国の占領統治を受けて居たドイツと日本は招待されませんでした。
韓国選手団は大韓民国政府樹立以前でしたが、スピードスケート選手のイ・ジョングク、イ・ヒョチャンなど選手3人と役員2人を派遣して初めて冬季オリンピックに出場しました。
 

<1936年朝鮮選手冬季オリンピック初参加>

 

ちなみに、それより先の1936年ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヒェンで開催された第4回冬季オリンピックでキム・ジョンヨンとイ・ソンドク、チャン・ウシクが冬季オリンピックに参加、スピードスケートの試合に出場して居ます。
勿論日帝期の時代なので、彼らは日章旗をつけて出ました。
 
1947年国際オリンピック委員会(IOC)に会員として加入した韓国は1948年サンモリッツ冬季オリンピック出場以降、朝鮮戦争中だった1952年のノルウェーオスロ大会には不参加でしたが、1956年イタリアコルティーナ・タンペッツォ大会から着実に冬季オリンピックに選手団を送り出しました。
 
ちなみに日本はこの大会で、猪谷千春選手がヨーロッパ選手以外で初めてアルペン・スキーの回転競技で銀メダルを獲得して居ます。
 

<1960年スクエベリ大会>

 

韓国が出場選手を出した種目はスピードスケートだけでしたが、1960年のアメリカのスクエベリ大会ではスピードスケート、クロスカントリースキー、アルペンスキーなど3種目に増え、計7人の選手を派遣しました。
スピードスケートのハン・ヘジャとキム・ギョンヒが韓国女子選手で初めて冬季オリンピックの舞台を踏みました。
 

<初めてのメダル>

 

韓国の冬季オリンピック初のメダルは1992年フランスのアルベールビルで開かれた第16回大会でした。
スピードスケート男子1000mでキム・ユンマンが金メダルを獲得したオラフ・ジンケ(ドイツ)にたった0.01秒差の1分14秒86の記録で銀メダルを獲得し、韓国史上初の冬季オリンピックメダリストになりました。

 

 

続いて当時初めて正式種目に採択されたショートトラックで、韓国の冬季オリンピック史上初の金メダリストも登場しました。
キム・ギフンがショートトラック男子1000mで金メダルを、イ・ジュンホが銅メダルを取る快挙を挙げたのです。

 

<キムギフン>

 

韓国はショートトラック男子5000mリレーでも金メダルを取り、キム・ギフンは韓国冬季オリンピック史上初の2冠王に名を連ねました。
 
アルベールビル大会で金メダル2個、銀メダル1個、銅メダル1個で総合10位になった韓国は、以後冬季オリンピックで着実にメダルを獲得しました。

 

<ショートトラックの女王 チョンイギョン>

 

1994年のノルウェー・リレハンメル大会では金メダル4個、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得し総合6位に上って居ます。
当時「ショートトラックの女帝」チョン・イギョンは女子1000mと3000mリレーで金メダルを獲得。
チョン・イギョンは1998年の長野冬季オリンピックでも1000m、3000mリレーで金メダル2冠王になり、韓国選手としては初めてオリンピック2回連続2冠王に輝く栄誉を享受しました。

 

 

韓国は1998年長野大会で金3個、銀1個、銅2個で総合9位、2002年アメリカのソルトレイクシティ大会で金2個、銀2個で総合14位、2006年イタリアのトリノ大会では金6個、銀3個、銅2個で総合7位に着けて居ます。
 
イ・ガンソクがスピードスケート男子500mで取った銅メダルを除いて全てショートトラックです。
 
ちなみに日本は戦後、19562年大会からコンスタントにメダルを獲得して居ます。
1956年1個(銀1)、1972年札幌3個(金1、銀1、銅1)、1980年レークプラシッド1個(銀1)、1984年サラエボ1個(銀1)、1988年カルガリー1個(銅1)、1992年アルベールビル7個(金1、銀2、銅4)、1994年リレハンメル5個(金1、銀2、銅2)。
2度目の自国開催の長野オリンピックで萩原兄弟のスキージャンプを含む金5個、銀1、銅4と、トータル10個のメダルを獲得して居ます。
2002年トリノ五輪では金1個、2010年バンクーバーでは銀3個、銅2個、2014年ソチでは金1個、銀4個、銅3個でした。

 

<アンヒョンス、チンソンユ>

 

一方の韓国勢はトリノ大会でアン・ヒョンスがショートトラック男子1000m・1500m・5000mリレー金メダルを、チンソンユがショートトラック女子1000m・1500m・3000mリレー金メダルを獲得、韓国冬季オリンピック史上初の3冠王の登場でした。
 

 

今やショートトラックは韓国で「ヒョジャ孝行種目」「韓国のお家芸」と呼ばれて居ます。
 
2010年カナダのバンクーバー大会は韓国の冬季オリンピック挑戦史で画期の大会でした。
韓国は歴代最多タイの金6個を含め計14個(銀6個·銅2個)のメダルを獲得し、総合5位になりました。
これは韓国の冬季オリンピック歴代最高の成績です。

 

 

ショートトラック一辺倒から抜け出し、スピードスケートとフィギュアスケートでもメダル獲得に成功、スピードスケートでモ・テボムとイ・サンファが男女500mで優勝し、イ・スンフンも男子1万mで金メダルを受賞しました。

 

<イサンファ>

 

イ・サンファの金メダルはスピードスケート初のアジア女子金メダル、イ・スンフンの1万m金メダルはオリンピックスピードスケート長距離種目での初のアジア選手金メダルと言う意味でも意義が大きいです。

 

<フィギュアのキムヨナ選手>

 

不毛の地とされていたフィギュアスケートでは、キム・ヨナが当時女子シングル歴代最高点である228.56点を獲得、金メダルを獲得して「フィギュア女王」の戴冠式を行いました。
この大会で日本の井上真央との氷上対決が話題を呼びました。
 
バンクーバー大会で冬季スポーツ強国に成長した韓国は、2011年南アフリカのダーバンで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会で江原道ピョンチャンが「3回目の正直」で2018年冬季オリンピックを誘致しました。
 

<ソチ五輪>

 

2014年のロシアソチ大会では金3個、銀3個、銅2個で総合13位に終わり少々残念な結果にはなりましたが、イ・サンファが意味のある記録を立てました。
イ・サンファはスピードスケート女子500m2連覇を達成、これはオリンピック史上スピードスケート女子500mで2連覇に成功したメイドン(カナダ)とボニー・ブレア(アメリカ)に次いで歴代3番目の快挙でした。

 

<ピョンチャンオリンピック切手>

 

地元ピョンチャンで開かれた2018年ピョンチャン冬季オリンピックに歴代最多の146人の選手を出した韓国は、総合7位と大きく飛躍しました。
金メダル数は歴代最多の2006年トリノ、2010年バンクーバー大会より少ない5個でしたが、総メダル数は17個(銀8個・銅4個)と最も多い結果でした。

 

<ユンソンビン>

 

氷上リンク以外の種目でメダルを獲得したのが注目すべき成果で、ショートトラックとスピードスケートがそれぞれ6個(金3・銀1・銅2)、7個(金1・銀4・銅2)ずつメダルを取り、スケルトンとボブスレー、カーリング、スノーボードでもメダルを収穫しました。

 

 

男子スケルトンでユン・ソンビンが金メダルを獲得し、ウォン・ユンジョンが主将のボブスレー男子4人乗りチームは銀メダルを、カーリングでは「メガネ先輩」率いる「チーム・キム」が韓国カーリング史上初のメダル(2位)を獲得し、韓国に「カーリング・シンドローム」を巻き起こしました。

 

<日本でも人気メガネ先輩キムウンジョン>

 
アルペンスノーボード男子に出場した「ペーチュ(白菜)ボーイ」イ・サンホは銀メダルを獲得、韓国アルペン種目に初のオリンピックメダルをもたらしました。
 
ちなみにピョンチャンオリンピックでは日本も大健闘で、金4、銀5、銅4の計13個と躍進しました。
前回大会までの冬季オリンピックメダル獲得数は金14個、銀22個、銅22個の計58個です。
 
韓国は歴代冬季オリンピックで金31個、銀25個、銅14個など計70個のメダルを獲得して居ます。
その内、24個の金を始め48個(銀13個・銅11個)のメダルがショートトラックから出ており、16個(金5個・銀8個・銅3個)のメダルがスピードスケートから出て居ます。

 

 

今回の北京オリンピックでは疑惑の判定のせいで韓国のメダル量産に赤信号が灯って居ますが、苦しい中でも金メダルなどのメダル獲得に成功、これからのメダル獲得に期待が掛かります。
 

 

一方の共和国が初めて冬季オリンピックに出場したのは1964年のインスブルック大会でした。
当時、ハン・ピルファがスピードスケート女子3000mで銀メダルを獲得、共和国で初めて冬季オリンピックのでメダルを獲得し、スピードスケート種目でアジア女性選手として初めての冬季オリンピックのメダリストになりました。
共和国の冬季オリンピック参加は韓国に比べかなり遅れましたが、韓国が1992年大会で初のメダルを獲得したのに比べてメダル獲得はもっと早かったのです。

 

<ハンピルファ選手>

 

以後共和国は1968年フランスグルノーブル冬季オリンピックには欠席し、1972年日本での第11回札幌冬季オリンピックに出場しました。
札幌冬季オリンピックは欧米以外で初めて開催された冬季オリンピックで、共和国は5人の選手を参加させましたが、残念ながらメダルとは無縁でした。

 

<ハンピルファ選手>

 

以後共和国は1976年インスブルック、1984年サラエボ、1992年アルベ–ルビル、1998年長野、2006年トリノ、2010年バンクーバーオリンピックに出場しました。
 
アルベ–ルビル冬季オリンピックではファン・オクシル選手が女子ショートトラック500mで銅メダルを獲得しました。
ファン・オクシル選手は決勝戦でずっと先頭を走り、共和国冬季オリンピック史上初の金メダルを手に入れるかと思われましたが、最後の一周を残してバランスを崩し銅メダルに留まりました。

 

<離散家族だったハンピルファ選手兄弟の再会>

 

残念ながら、1964年インスブルックオリンピック以来28年間のメダルの沈黙を破ったこの銅メダルが2022年現在、共和国の冬季オリンピック最後のメダルになりました。
共和国の冬季オリンピック通算メダルは現在銀1個、銅1個が全です。
 

 

2002年アメリカのソルトレイクシティ冬季オリンピックには参加予定でしたが、ブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言など政治的な理由で不参加、2014年のソチオリンピックには各種目のワイルドカード(特別出場権)をもらう事が出来ず、不参加でした。
 
8年ぶりに2006年イタリアトリノ冬季オリンピックに参加した共和国は、国際氷上連盟からワイルドカードを6枚もらい、ショートトラック500m及び1000mにリ・ヒャンミ、ユン・ジョンスク選手と、フィギュアスケートシングル及びペアにキム・ヨンスク、チョン・ヨンヨク選手など計6人を出場させましたが、残念ながらメダル獲得ならずでした。
しかし、南北が開閉会式に「COREA」という名称で共同入場した事に大きな意義が有ったと言えます。
 

<トリノ五輪切手>

 

2006年トリノオリンピックでは南北が統一旗を持って共同入場し、歴史に大事な1ページを残しました。
韓国のスピードスケート、イ・ボラ選手と共和国のフィギュア、ハン・ジョンイン選手が共同騎手を務め、大型統一旗を持って先頭に立ち、南北選手と役員など計56人が多くの人々の拍手喝采を受けながら入場しました。
南北共同入場は2000年シドニーオリンピックでの共同入場を始め7番目で、冬季オリンピックでは初めてでした。

 

 

その後の2018年ピョンチャンオリンピックでも劇的な和解がなされ、開閉会式の共同入場と南北単一チーム結成がなされて居ます。
 
今回の北京オリンピックは前回、共和国が夏季オリンピックで有る2020年東京オリンピックへの不参加を理由に、IOCが共和国を制裁、参加を認めないと言う暴挙に出た為、共和国の参加が叶いませんでした。
南北関係も2020年『開城公団南北協力事務所ビル爆破』事件以来膠着したままです。
今後、新たな進展が起こる事を心より願いつつ、長い筆を置きたいと思います。

 

 

 

 

<参考文献>
나무위키 
[카드뉴스] 숫자로 보는 한국 동계올림픽
[스잘알]1948년 첫 출전·1992년 첫 메달…한국 동계올림픽 도전사
인스부르크부터 평창까지…북한의 동계올림픽 출전사
 
#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画

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