第7章 韓国ドラマ映画
134.大王の夢❷
現在KBSワールドで放送中の70部作の新羅中心ドラマ『大王の夢』が正月も関係無く黙々と展開されて60話目に至りました。
百済とのファンサンポルの戦いが詳しく描かれ、見所が有る場面も多く有りました。
しかし、まさしくウリハッキョの教育を受け、大学まで歴史を専攻して来た私には到底受け入れ難いドラマ展開で、観ていてスリッパを画面に投げ付けたくなる(笑)描写で溢れて居ます。
そもそもドラマ内で、大御所チェ・スジョン演じるキム・チュンチュ金春秋は「三韓一統」の偉業を成し遂げる為に、数多くの艱難辛苦をものともせず、東奔西走します。
その度に出る常套句は「三韓一統の偉業の為」です。
勿論、新羅が主人公、そして共和国で売国奴と否定されて居る金春秋とキムユシン金庾信を当の韓国が描く訳ですから、多少の美化は覚悟して居ましたが、これ程までとは!
韓国放送時にも批判が起こった事は充分首肯出来ます。
ましてやドラマ『テージョヨン大祚栄』や『テジョワンゴン太祖王建』で正反対の役を演じているチェ・スジョンが演じているので、白々しいにも程が無く感じました(笑)。
余談ですが、上記ドラマ以外にも登場する俳優が似て居て、ドラマへの没入度がかなり下がります。
ドラマ製作数が多いので仕方が無いと言えばそれまでですが、なるべくダブら無い様にして貰えない物でしょうか?
ドラマに目くじら立てても仕方がないですが、正月の朝から毎日放送されるので不愉快極まり無く、視聴放棄をいつも頭に浮かべながらも放棄出来ず、1.5倍速で嵐が通り過ぎるのをひたすら待つ様に控え目に視聴する毎日です。
後、10回我慢すれば終了します(笑)。
今日放送した60話では、敗北した百済の王に説教する場面が有りました。
ここでも「三韓一統の偉業の為」と言う常套句の乱発が空々しく感じられました。
歴史篇本篇で三国問題を深く扱えなかったので、ここで史実を整理して見ます。
高句麗が隋・唐との血みどろの抗争を繰り広げて居る間に、百済と共同で高句麗から「火事場泥棒」的に漢江流域の領土を奪った新羅は、怒った百済が両国の国境地帯の軍事要衝地「テヤソン大耶城」を奪うと国家的危機に追い込まれ、高句麗に助けを求めました。
しかし高句麗は、和親を求めるので有れば、前述の領土を明け渡せと迫り、金春秋を監禁・投獄します。
この時に脱出した戦法が以前、ワンポイントコラムで述べた「ウサギとカメ」の説話です。
↓説話はコチラ↓
追い詰められた新羅は唐への屈辱外交を繰り広げました。
648年3月に唐に派遣された新羅使臣に唐の太宗は、新羅が独自の元号を使用することを問題にし、この問題で金春秋は真徳女王の元、新羅の使者として唐に派遣されました。
唐の皇帝は高句麗攻略のコマとして新羅を利用すべく彼を極めて優遇し、金春秋も長安に留まりながら唐の皇帝と談笑を交わし、唐の廷臣たちと交流しながら両国の利害関係を確認しました。
新羅は唐の力を利用して高句麗と百済の圧迫から逃れる道を模索し、唐はすでに何度も高句麗攻撃を失敗した経験があり、高句麗背後の新羅を利用する必要性があったのです。
利害関係の一致をもとにキム・チュンチュ金春秋は3男の金文王を唐の長安に人質として残して、唐との外交の拠点を確保しました。
そして、唐の皇帝と会って高句麗と百済を滅ぼした後、平壌以南地域は新羅に帰属させるという約束をする事になります。
返して言えば、高句麗のピョンヤン平壌以北を唐に明け渡す密約を結んだのです。
これはドラマで言う「三韓一統」とはかなり異なる展開で、ただ単に敵国を滅ぼし、自己の生存を求めただけで有り、「領土拡張」以上の何物でも有りません。
これを歴史的に『新羅・唐同盟の結成』として捉えますが、同盟と言うよりも唐への屈辱外交に他なりません。
その後、高句麗ばかりか新羅までも併合せんとする唐との7年にも及ぶ戦争で唐の軍隊を追い出した後も、大同江以北を唐の領土とすると言う密約に縛られ、新羅は旧高句麗の領土を回復しようとはしませんでした。
これを主な論拠とし、新羅の戦争目的が三国統一ではなく百済の併合だったと捉える事が出来ます。
新羅が高句麗領域を完全に統合出来なかったのは本来の意図と言えるだけに、これを「三韓一統」と声高に叫ばれても白けるばかりです。
ドラマではこの点を一切描写しません。
キム・チュンチュ金春秋は単に唐の力を借りるだけでなく、体系化された唐の制度を導入して新羅を改革する事にも大きな関心を持ち実行しました。
唐の国字監を見学し、帰国した後、チンドク真徳女王に要請して新羅官服の様式を唐の服飾と同じにして、新羅固有の元号をなくし、唐の元号を使用しました。
これは新羅の対外関係方向性を示したもので、唐中心の天下秩序に帰属すると言う事大主義姿勢を、明確に示した象徴的宣言と言えます。
勿論、東アジアの枠組みの中で高句麗も百済も唐に朝貢し、唐の影響を受け入れて居ました。
しかし、唐の属国としての道を歩んで忠実に実行したのは新羅の行為が端緒となりました。
こうした行為が、朝鮮王朝時代の実学者たちを皮切りに、日帝期のナショナリズム的歴史家たち、現代の進歩派史家たちにより、『三国統一』では無く、大同江以北を放棄するという盟約を唐と締結し、外勢の力を借りて同じ民族である百済と高句麗を滅ぼしたという点、そして自分の息子を唐に人質に渡し唐の年号と服式に従うなど、屈辱的な条件で唐の支援を受けて中世朝鮮史の事大主義の始発点になった点などが21世紀の現代まで批判されて居るのです。
特に今の共和国の地に中心を置いた古朝鮮-高句麗-高麗-共和国を朝鮮史の正統とする共和国学界では金春秋を売国奴と卑下して居ます。
民族史家シンチェホ申采浩は1908年に発表した『読史新論』で新羅の統一を否定し、新羅と渤海の両国時代を主張し、異種を呼び同種を滅ぼす事は、盗賊を引き入れて兄弟を殺すことと変わらない行為だと新羅の統合戦争を非難しました。
新羅が民族的能力と領土の縮小をもたらし、外勢と結託した反民族的行為で事大主義の毒素を植えたと言う事です。
勿論、これについての反論も存在し、三国の「同族」意識やその実態は、完全に解明されたとは言い難いです。
しかし、ドラマの様な「美化」は反発を呼ぶだけと思われ、もう少し抑え目に「仕方が無く」追い込まれたと言う描き方が必要だと思う次第です。
これは、現在の南北の正統性競争と大いに関わる事柄で、韓国が新羅を強く擁護する理由が理解出来ない訳でも有りません。
ドラマを観ながら、現在にも横たわる『分断国家』と言う現実が我々に投げ掛ける、避けられない「現実」を再三ながら実感させられざるを得ませんでした。
この矛盾を解消出来る日が早く来る事を願います。
<参考文献>
나무위키