ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
248. チプカンソ執綱所
 
 
 
1週間ぶりにドラマ「緑豆の花」を借りて視聴再開し始めましたが、波濤の展開で眼を逸らせません。
11話から12話に掛けてチョンジュ全州ファイ和議が描かれました。
 
 
チョンジュ全州和議とは、甲午農民戦争に於いて破竹の勢いで朝鮮王朝発祥の地で有る全羅道チョンジュ全州を占領した農民軍(東学軍)でしたが、農民軍鎮圧の為に朝鮮王朝政府が清国に派兵を要請し、時を同じく天津条約を口実に日本軍までが朝鮮に出兵して来ると、朝鮮が両国の戦場となる事を怖れた農民軍が朝鮮王朝政府に呼び掛けて成立した『和議』です。
 
ドラマ「緑豆の花」でチョンボンジュン全琫準が観察使クァンチャルサに文を送り承諾を受ける模様が描かれました。
 
 
農民軍が要求した『弊政改革案』は何種類か有りますが、一番有名なのは12条改革案でしょう。
 
これは1940年にオジヨン呉知泳が著した小説「東学史」に出て来る条文ですが、ほぼ真実で有ったであろうと言われて居ます。
 
<東洋文庫 東学史>
 
12条の改革案は以下の通りです。
 
① 道人(東学教徒)と政府との間の宿怨を清算し、庶政で協力する事
②貪官汚吏(たんかんおり)はその罪目を査定して厳しく処罰する事
③横暴を働いた富豪の輩(やから)を厳罰に処す事
④不良な儒林と兩班の輩は、悪癖を懲戒する事
⑤奴婢ノビ文書は燃やしてしまう事
⑥七班賤人の待遇は改善し、ペクチョン白丁の頭に使う平壌笠は脱がす事、
 
<チョンジュ和議の模様>
 
⑦若き寡婦の再婚を許す事
⑧無名の雜稅は一切廃止する事
⑨官吏の採用は門閥を打破して人材で登用する事
⑩倭と奸通する者は厳しく処罰する事
⑪公私債を問わず以前の債務は全て無効にする事
⑫土地は均等に配分し耕作させる様にする事
 
などの12条です。
 
これは身分制の打破を打ち出すなど、この時期に提起された改革案としては我が国の歴史上でも画期的だったと言えます。
 
弾圧の時間稼ぎだったにせよ、列強の戦場になる事を避ける為だったにせよ、これらの弊政改革案が朝鮮王朝政府に承認された事は大きな進歩でした。
 
農民軍はこれらの改革案を実行に移す為に『チプカンソ執綱所』を開設しました。
この様に、『チプカンソ執綱所』とは1894年(高宗31) 甲午農民戦争の時、農民軍が全羅道各邑州の管轄に設置した民政機関です。
 
 
『チプカンソ執綱所』と言う名称は元々、東学の教団組織に由来した物で、各邑ごとに設置した組織の単位で有る『チョプ接』のリーダー「チョプチュ接主」を『チプカン執綱』と呼んだ事から由来しました。
 
農民軍(東学軍)が全羅道一帯を席巻した頃、全羅道内の各地域の治安秩序と地方行政はほとんど麻痺状態で、これを回復する事は非常に難問でした。
 
 
ここに全羅道観察士キムハクチン金鶴鎭は、6月にチョンボンジュン全琫準を監営に呼び、官民の協力を通じて打開策を講じ、東学教徒の協力と観察使と官民の和合の為に各郡に『チプカンソ執綱所』を置く事を許可しました。
 
『チプカンソ執綱所』は全羅道に53個有る邑全部に設置され、東学教徒が各邑の『執綱』となり、地方の治安秩序を担当しました。
 
 
執綱所の長には「チプカン執綱」1人を置き、地方の行政機関と同じく書記・省察・執事・同蒙などの役員を置いて行政事務を引き受けました。
郡守や県令・県鑑と『2重行政』状態になりましたが、それらは名前だけで形式上に過ぎず、チプカンソ執綱所と「チプカン執綱」が実質的な実権を手中にしました。
 
チョンジュ全州には執綱所の総本部である『テドソ大都所』を置き、チョンボンジュン全琫準が数千人の東学教徒たちを引き連れ、クムグ金溝・ウォンピョン院坪などを根拠に全羅右道を号令し、もう1人のリーダーキムゲナム金開南は数万人の東学教徒を得て、ナムウォン南原を根拠に全羅左道を号令しました。
 
 
全羅道各地では、ラジュ羅州やナムウォン南原の様に守令が反発して執綱所の設置を許可せず抵抗したケースも有りました。
 
この様な邑に対して最初は檄文を送り説得し、それでも聞く耳を持たない場合には農民軍を率いてそれぞれラジュ羅州・ナムウォン南原・ウンボン雲峰へ行き守令を武力で脅迫し、計画を強行しました。
 
 
農民軍はこのチプカンソ執綱所を通じて上記の改革を推進しましたが、この様にチプカンソ執綱所の存在はまさしく朝鮮に於ける民主主義の始まりと言え、大きな意義を持ちます。
 
世界的な民衆の自治機関としてフランスのパリ・コミューンが有名ですが、チプカンソ執綱所もそれに比肩する、意義有る自治機関と言えるでしょう。
 
<パリコミューン>
 
残念ながら日本軍ハニャン漢陽(ソウル)占領とアサン牙山湾の不意の攻撃による「日清戦場」没発による農民軍の第2次蜂起とコンジュ公州付近のウグムチ牛禁峙戰鬪の敗退による甲午農民戦争の敗北により、チプカンソ執綱所はその短い存続を終えました。
その年の6月に設置が始まり、ウグムチ戦闘が10月〜11月なので、約半年間の期間だったと言えるでしょう。
 
 
チプカンソ執綱所の建物も全部破壊されましたが、奇跡的に残ったキムジェ金堤市ウォンピョンに残っているチプカンソ執綱所の建物が2017年全羅北道記念物137号に指定され話題になりました。
 
1882年に建てられたこの建物は、甲午農民戦争当時、チプカンソ講堂として使われました。
以後、日帝期には面事務所として、解放後は個人の住宅として活用され、近年崩壊の危機を迎えましたが、政府の支援で大々的な補修が行われました。
 
 
ここでは現在、キムジェ市の「東学農民革命記念事業会」主導で様々な文化行事が行われ、歴史教育の場として活用されて居ます。
キムジェ市は全国初の文化財指定建物で有るこの建物の体系的な保存と活用を約束して居ます。
 
この様な激動の近代朝鮮史を真正面からダイナミックに描いているドラマ「緑豆の花」は、評論家からも絶賛を受けた近年稀に見る骨太のヒュージョン史劇です。
この機会に是非ご覧下さい。
 
 
<参考文献>
한국민족문화대사전
전라일보 집강소 
오마이뉴스 농민자치, 53개 군현에 집강소 설치

 

#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画

 愛のムチならぬ愛のポチお願いします ↓

 にほんブログ村 テレビブログ 韓国ドラマへ  PVアクセスランキング にほんブログ村 

ブログ村参加して居ます↑

韓国・朝鮮よもやまばなし - にほんブログ村